櫻井さんの童貞を奪う、と決めた僕の心に湧いたのは、奇妙な征服感だった。櫻井さんが卒業して二度と会えなくなっても、僕という存在は残り続けるはずだ。それを思うと、早くやり遂げたくなった。
四限が終わり、僕は一旦ボックスに行った。スタジオでの練習の予約を入れていたのだ。
「大城さん、まだ見慣れないっすね……」
「あたしもなぁ、髪洗う時びっくりするんよ。シャンプーワンプッシュでいけるんやぁ! って」
楽器と機材を携えた先輩たちと一緒にスタジオに入った。僕はまだ歌詞を完璧には覚えていないので、紙を見ながら歌った。
一番難しいのは「青年」だ。物凄く疾走感があり、素早く滑舌良く発音しなければならない箇所があるし、サビ前はじっくりと声を伸ばして盛り上げにかからなければならない。
演奏も大変みたいだ。特に大城さんは手こずっていた。曲が展開する前に入れるパターンをフィルインというらしく、そこを練習したいということで何度かやり直した。
「あー疲れたぁ! ファミレスで反省会な!」
大城さんがそう言い、いつもの感じで澄さんが注文を入れた。僕は櫻井さんに合わせてミックスグリルにした。
料理が届き、食べながら大城さんが言った。
「澄ちゃん、五曲目のドラムは簡単なんで頼むな……四曲やるんでいっぱいいっぱいやぁ」
「ああ……安心して下さい。バラードっぽく仕上げるので、シンプルなものにしますよ……」
僕は櫻井さんに尋ねた。
「作詞は順調ですか?」
「んー、内容は大体固まってて、キーになる単語決めたいんやけど、それ迷ってて。それ浮かんだら一発やねんけどな」
僕には作詞のことはわからない。アドバイスなんておこがましい。ここはひたすら待つしかないのだろう。
しばらくは演奏のことについて話し合っていたのだが、次第に話題は卒論のことになった。社会学部の大城さんは卒論が必須らしい。
「ジェンダー論でいくんで。多分アンケート取らなあかんから、協力して下さいねぇ!」
卒論と聞いて、僕は櫻井さんのことが気になった。
「櫻井さんは卒論できてるんですか? 提出できなかったみたいなこと聞いた気がしますけど」
「ああ、もうできとうで。あれなぁ……事故やったんや……」
「事故?」
詳しく話を聞いた。櫻井さんは毎晩ウイスキーを飲みながら卒論を書いていたらしい。その結果、酷い二日酔いで吐いて寝込み、目覚めると提出日が過ぎていたのだとか。
「……それは事故とは言わないんじゃ」
「いや、事故やて」
澄さんがぽつりと言った。
「あの時は……いい迷惑でした……」
確か、澄さんが最後に櫻井さんとしたのは留年が決まった時と言っていたはず。そのことか。
「ぼく、拘束プレイは別に得意じゃないんですよ……櫻井さんが色々持ってるの知って引きました……」
大城さんが大声で言った。
「拘束プレイ? それ聞いてへん! 澄ちゃんもっと詳しく!」
「ここでは言えません……」
ファミレスで解散して、僕は櫻井さんに詰め寄った。
「櫻井さん……何持ってるんですか?」
「バラされたんはしゃあないなぁ。見せるわ」
寝室のクローゼットを開けた櫻井さんは、そこから段ボール箱を引っ張り出してきた。
「うわぁ」
手錠はわかった。想像できていた。その他に、ベルトにボールが繋がっている、使い方がよくわからないものもあった。あと、電池で動くのであろう器具も。
「櫻井さん特に趣味ないみたいなこと言うてませんでした?」
「あれや。お相手の趣味に合わせてたらこうなった」
僕は手錠を掴んだ。
「……してみていいですか?」
「んっ、まあ、ええよ」
櫻井さんだけを脱がせて、ベッドに膝立ちにさせ、後ろ手に手錠をかけた。
「これだけでやらしいっすね」
「瑠偉くん……目がこわいねんけど」
「抵抗したくても……できませんもんねぇ……?」
僕は櫻井さんの身体中に舌を這わせた。ぴくぴくと震える櫻井さんの肢体。甘い声。僕は「衝動」の歌詞を思い返していた。
――止められない、止めなくていい
何度か聴くうちに、セックスのことなんだとわかったから。それならば、その通りにしてやろうと櫻井さんを突き飛ばした。
「瑠偉くんっ……」
「ほら、突き出して下さいよ」
手が使えず、頭と肩を支点にする体勢は結構辛いだろう。でも僕は容赦しなかった。僕が満足してから、手錠を外した。
「あはっ……瑠偉くん、こういうのも好み?」
「櫻井さんこそ、いつもよりええ声出てたじゃないですか」
櫻井さんはすうっと僕の胸を撫でた。
「今度は瑠偉くんな? 教えて欲しいんやろ?」
「はい……」
少しの恐怖心はあったが、櫻井さんはごくゆっくりと進めてくれたので、次第に身体をゆだねることができた。僕で感じてくれる、その日が待ち遠しい。
「痛い思いはさせたくないから……焦りなや」
「どれくらいかかりますかね……」
「人によるなぁ。瑠偉くんのペースでな。俺は待つしさ」
できることなら、クリスマス・イブまでに。僕はそう考えていた。