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37 重圧

 僕は毎日櫻井さんの部屋に通うようになった。それは大城さんや澄さんも把握していたわけで。ボックスで澄さんと二人きりになった時、こう聞かれた。


「櫻井さんと……付き合ったの?」

「いえ、そういうわけでは」

「なんか……前より仲いいみたいだけど」


 相手は澄さんだ。隠すことでもないだろう。僕は正直に打ち明けた。


「あっ……そっち?」

「童貞奪われたんで、こっちも奪おうかと」


 澄さんは窓の外を見つめた。


「瑠偉くん……四月はこんなのじゃなかったのにね……」

「まあ、それは澄さんもでしょう?」

「このサークルに入ったのが……運の尽きだったね、お互い……」


 大城さんが紙袋を提げてやってきた。今日のおやつは何だろう。


「お疲れさまー! ミミパイ持ってきたで!」

「ミミパイ?」


 それは、ハートのような形をした焼き菓子だった。フロインドリーブという店のものらしい。バターの風味がたっぷりだった。


「大城さんは美味しいお菓子たくさん知ってるんですね」

「まあ、澄ちゃんと瑠偉くんに神戸のもん食べさせたいっていうのはあるよ。折角来てんもん。卒業するまでに味わって欲しいなぁ」


 澄さんが聞いてきた。


「瑠偉くんは就職、どうするの……岡山帰るの……」

「まだ全然考えてないんですよね。店は継がなくていいって言われてますし、継ぐ気ないですし」


 父の「西川飯店」は祖父から受け継いだもので、地元で愛されてはいるが、父は僕に料理の道を強いなかった。それよりも勤め人になった方がいいから、と大学進学を勧めてくれたのだ。大城さんが言った。


「まあ、まだ一回生やもんね。ゆっくり考えたらええよ。あたしとしては、神戸に残って欲しいけどなぁ。卒業してもすぐ会えるやん?」

「大城さん……」


 僕たちはまだ短い付き合いだ。けれど、ぎゅっと詰まった絆が確かにあるのだろう。大城さんがそう言ってくれたことに胸が温かくなった。


「お疲れさん!」


 櫻井さんがやってきた。


「櫻井さん、今日はミミパイですよぉ」


 大城さんが袋を渡した。


「おっ、これ美味しいんよな。ありがとうなぁ」


 あっ、と大城さんが声をあげた。


「今日、藤田くんが来るんよ。例のライブの説明したいねんて」


 十分ほどして、藤田さんがやってきた。


「ライブ名決まりました。オリオンフェスティバル。略してオリフェスになるんで……オリジナル曲のライブっていうのも込めれると思いまして」


 藤田さんはフライヤーの原案も持ってきてくれていた。


「それで、出演順は抽選で決めたんですけど。ユービックさん、トリです」

「トリぃ!」


 大城さんがあわあわと手を振った。


「そ、そんな大役ええの?」

「もちろん。文化祭は本当に評判よかったし。それで、バンド名はどうするん?」

「あっ、新しく考え」

「ルイ・ウエストリバー!」


 僕の声は他の三人に遮られた。どれだけ気に入ってるんだ。


「了解です。それで梨多ちゃん、段取りなんやけど……」


 藤田さんはしばらくボックスにいて、あれこれと説明してくれた。午前中にリハーサルをして、午後から本番。動画を撮影して後日ネットで配信するらしい。そんなことは聞いていなかったのでひるんでしまった。

 しかし、先輩たちはかえってやる気が出たらしい。藤田さんが去った後、見るからに浮足立っていた。大城さんはトリの重圧はどこへやら、身体を揺らし始めた。澄さんが言った。


「配信なら……家族にも観てもらえるから嬉しいな……わざわざ神戸までは呼べないなって思ってたから……」


 確かに、僕も両親に観せられるのだが……恥ずかしいという気持ちの方が先立つ。櫻井さんは僕の背中をバシッと叩いた。


「瑠偉くん、頼むで! オリフェスの成功は瑠偉くんにかかっとうんやから!」

「もう、プレッシャーなんで! やめて下さいよ!」


 その日も櫻井さんの部屋に行った。今晩のメニューはチンジャオロースだった。父の作るものを思い出して懐かしくなった。


「瑠偉くんに中華ふるまうん、ほんまはこわいんやけどな」

「美味しいですよ。店出すまではいかないかもしれないですけど、僕は櫻井さんの味好きです」


 本当は、櫻井さん自身が好きなのだと伝えることができたらどんなにいいだろう。でもきっと、僕の気持ちなど受け取ってくれないに違いない。このままの関係を維持したいなら、口をつぐんでいるしかない。

 終わった後、僕はそろそろ答えてくれるかもしれない、とこんな質問をした。


「櫻井さんって初めては誰やったんですか?」

「ん? 高校の同級生。一人でいじっとってんけど、本物挿れてほしくなってなぁ。一万円払って頼み込んだ」

「あっ、その時からなんですね……」

「二万出したんは瑠偉くんだけやで」


 そう言って僕の髪を撫でてきた。


「そんなに好みやったんですか?」

「せやで。可愛い顔で背ぇ高いギャップが良くてさぁ。実際、やってみたら相性ええし」


 顔と身体は好きでいてくれているという意味なのか。それで十分だ。僕は櫻井さんの瞳を見つめた。


「僕も……櫻井さんの顔、嫌いやないですよ」

「そう? 褒め言葉やと思っとくわ」


 きっと、離れ離れになっても、僕は櫻井さんの顔を一生忘れない。忘れたくない。僕が本気で好きになった、初めての人だから。


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