十一月に入ると、語学のテストや中間レポートもあり、そちらにも時間を割かねばならなくなった。まあ、それが学生の本分だ。しっかりこなした。
やきもきしていたのが、五曲目の歌詞がまだ仕上がっていないということ。曲だけはできたらしく、先輩たちは練習を始めていた。パソコンで打ち込んだものを聞かせてもらったが、それまでの四曲とは全く違ったゆったりしたものだった。
「櫻井さん、まだできないんですか?」
「もうちょい待って、もうちょい」
ボックスで僕は詰め寄った。櫻井さんはギターを弾きながら違う、うーん、等とこぼしていた。
「ああ、瑠偉くんおったらやりにくい」
「何それ。僕が邪魔ってことですか」
「そ、そういう意味やなくて。一人の方が集中できるってこと」
大城さんと澄さんは来ていなかった。あの二人もテストなどで忙しいのだろう。櫻井さんはギターをおろして言った。
「せや、気分転換しよう。三宮行かへん? ごはん食べようなぁ」
「まあ、ええっすよ」
連れて行かれたのは、JR三ノ宮駅から北側にある東門街というところの入口付近にある居酒屋だった。地下にあり、ひっそりとした佇まいだった。
「カツオのタタキ美味いで。頼もう」
「はい」
櫻井さんはビール。僕はウーロン茶。タバコが吸えたらもっといいのだが、最近は中で吸える店はめっきり少なくなっているらしい。
「っていうか、櫻井さんってもう単位取る必要もないし卒論も書いてるんですよね。毎日何してるんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ。シナリオの勉強しとうよ」
「シナリオも書けるんですか?」
「せやで。それで倉石さんの会社に呼ばれとう」
倉石さんは、卒業してすぐにゲームの会社を立ち上げたらしい。場所は大阪。通える範囲であり、リモートワークもできるので、あの部屋に住み続けるつもりだということだった。
「同人ゲームも出したなぁ……あの頃のユービックは、軽音サークルなんかゲームサークルなんかようわからんかった」
「そんな頃があったんですね」
卒業しても、櫻井さんには会いに行きやすいというのがわかってしまった。距離だけは。問題は、その後も僕との関係を続ける気が櫻井さんにあるかどうかということだ。それはここで聞くことではないと思った。
「それでさぁ……瑠偉くん。たまには他の場所でせぇへん?」
「するって、その……」
「えへへー。男同士で入れるとこは知っとう」
すっかり酔っぱらいの歩く時間帯になった東門街は、ビラを配る派手な女の子が道に立っていて、何度か声をかけられた。ガールズバーだという。もちろん僕たちの目当てはそれではないので、どんどん北側に歩いていった。
「瑠偉くんって……ラブホ来るん初めてやんなぁ?」
「そ、そうですよ」
「もう遅いし泊まる?」
「明日二限からなんで、余裕ありますよ」
入ってすぐ、櫻井さんは部屋のパネルを押した。それから精算。ここは前払いらしい。
「ドリンクバーあるで。何か持っていこう」
「じゃあ……コーラでも」
誰かとすれ違わないかヒヤヒヤしてしまった。大城さんと澄さん以外の人には、櫻井さんとのことは知られていなかった。もし同級生と出くわしたらどんな顔をすればいいのかわからない。幸い人とは会わずに部屋までたどり着けた。
狭い部屋の中には、ソファとローテーブルとテレビ、大きなベッド。まずはソファに並んで座り、タバコを吸った。
「部屋の中で吸えるのはええっすね」
「ヤニカスらしい感想やな」
いつもと違う雰囲気に……正直興奮した。じっくりと時間をかけて櫻井さんをほぐし、ねっとり絡み合った。僕の方が先にバテてしまい、櫻井さんの腕の中で眠った。
「……おはよ、瑠偉くん」
「おはようございます」
モーニングを食べに行こう、とにしむら珈琲という喫茶店に向かった。
「フルーツとサラダがあるで。瑠偉くんどっち?」
「フルーツで!」
朝といえばコーヒーなのだが、ミックスジュースを頼むこともできて、僕はそれにした。
「うわっ、めっちゃ豪華ですね」
「俺も久しぶりにここ来たわ」
「前は誰と来たんですか」
「内緒」
食べ終わり、駅に向かう途中で、櫻井さんがビルを指した。
「あの時計……止まってるねん。五時四十六分」
「えっ、何でですか?」
「震災のあった時間。俺の母親、若い時に被災してん」
歩きながら、話を聞いた。
「二階で寝てたから助かったんやって。一階はぺっちゃんこ。何か一つでもズレてたら、俺は生まれてなかったな」
櫻井さんと出会えたことは、偶然の積み重ね。それが震災の頃から連なっていたとは思いもよらなかった。
「学校で写真とかも見せられたけど……ほんまにぐちゃぐちゃやってんで、三宮」
「そうやったんですね……」
僕だって地震のことは知っていたが、歴史の一つという位置づけだった。神戸で育った櫻井さんにとっては、全く別の意味を持つのだろう。僕は神戸のことをまだまだ知らない。そう思わされた朝だった。