とうとう十二月になった。冬は嫌いだ。ベッドから出られなくなる。喫煙所で過ごすのも一苦労だ。
だから、櫻井さんと触れ合っているのがどうしようもなく心地よくて。ボックスに一緒になった時も、すかさず隣にいるようになった。
毎日のように美味しいものも作ってくれるし、それはいいのだが。五曲目の歌詞が……待てども待てども出来上がらなかった。
オリフェスまで二週間になり、大城さんが櫻井さんに言った。
「もう! 期限切りますよ! 明後日! それまでにできんかったら四曲だけでやりますからね!」
「ごめんて、ごめんて……今日は帰って考えるわぁ……」
今晩は寄らない方がいいだろう、と大城さんと澄さんに夕食を一緒にとろうと持ちかけ、三人でファミレスに行った。
「はぁ……大丈夫かいな、櫻井さん……」
大城さんは着ていたパーカーの紐を弄びながら言った。澄さんが返した。
「卒論提出できなかった前科がありますからね……」
料理が届いた。食べながら僕は言った。
「僕は間に合うって信じてますから」
大城さんが言った。
「瑠偉くん、ずいぶん櫻井さんに肩入れするようになったなぁ。まぁ、ベタ惚れやもんな!」
「べ、別に……。卒業したらさよならですし」
「ふぅん?」
オリフェスは、僕にとって櫻井さんとの最後の大きな思い出になるだろう。幸せなことの上澄みだけすくっていられればそれでいいのだ。
期限の日、櫻井さんがボックスに飛び込んできた。
「できた! できたー!」
「はよ下さい!」
受け取った歌詞。タイトルは「スプートニク」。確か、小説でそんなのがあったような。元々は衛星のことだったか。ともかく、僕はすぐにイヤホンをつけて音源を聴きながら歌詞を読んだ。
他の四曲とはまるで違う、しっとりとしたラブソング。
――スプートニクが回る
その言葉がキーなのだろう。何度も繰り返された。
本番のクリスマス・イブまでに予約できたスタジオの回数は三回。僕は必死に歌った。何せ、「スプートニク」のキーが物凄く高いのだ。僕の出せるギリギリだろう。何度も水を飲んで潤しながら練習した。
今回の構成はこうだった。疾走感のある「戦士」と「青年」を立て続けに歌い、インパクトを出した後に、大城さんのMC。「恋人」「衝動」と続き、「スプートニク」を演奏してメンバー紹介で締める。
スタジオでそれを通せたのは二日前。先輩たちの演奏は問題ないようだが、問題は僕だ。五曲分の歌詞を果たして間違えずに歌い切れるのか。
前日、僕はボックスでイヤホンをつけてひたすら歌っていた。櫻井さんがやってきたが、視線さえ向けずに続けた。
「なぁ、瑠偉くん……」
櫻井さんが勝手に僕のイヤホンを外してきた。僕はギロリと櫻井さんを睨みつけた。
「何するんですか。今集中してるのに」
「ごめんて。ほら、スプートニクの解説しとこうかと思って」
「衛星でしょ。わかってるんでええっす。今は余計な単語一つも頭に入れたくないんですよ」
櫻井さんが唇を突き出した。
「……そんな言い方ないやん」
「僕は櫻井さんの歌詞、正しく歌い切りたいんです。それだけです」
「それも大事やけど、理解はきちんとしといてもらいたいと思ってさぁ」
「そんな暇ないですよ。詰め込まなあかんくなったの、櫻井さんがギリギリになったせいでしょ」
「ちょっと……確かに俺も悪かったけどな」
「元はといえば櫻井さんが安請け合いするからでしょ。勝手に出るって返事して」
「俺は瑠偉くんやったらできるて思ったからそう言うたんや!」
櫻井さんが大きな声を出すので、僕もイライラしてしまった。
「買いかぶりすぎなんですよ! 僕、一回しかステージの経験ないんですよ? なのに、あんな難しい曲作られて、歌う身にもなってくれます?」
「瑠偉くんを信じてるからアレにしたんや! 俺の気持ちわからんか!」
「わかりません!」
「あー! もうええよ、このクソ鈍感田舎もん!」
「あっ馬鹿にしましたね? 神戸の人ってそういうとこありますよね。そこが気に食わんのです!」
「口減らん奴やなぁ! もう瑠偉くんなんて知らん!」
「はいはい! 僕も櫻井さんなんてギターさえ弾いてくれればもう何でもいいです!」
櫻井さんはボックスを出て行った。僕は何も悪くない。思ったことを言っただけだ。入れ替わりに、大城さんと澄さんが入ってきた。大城さんが言った。
「瑠偉くん、どないしたん? 櫻井さん顔真っ赤にして出て行ったけど……」
「櫻井さんなんてどうでもええですよ!」
澄さんがうんざりした顔で言った。
「本番明日だよ……痴話喧嘩しないでよ……」
「痴話喧嘩なんかじゃありません! あの人なんて卒業したら他人ですから!」
大城さんが叫んだ。
「もう! こんな空気やったらあかん!
櫻井さん呼び戻してくる!」
「あっ、ちょっと……」
大城さんは駆け出して行った。僕はタバコに火をつけた。澄さんがため息をついて言った。
「とにかく……落ち着いてよね……」
ニコチンが身体に染み渡り、さすがにまずいことをしてしまったと反省した僕は言った。
「澄さん、すんません……」
「謝るのは櫻井さんにでしょ。二人ともよく話し合って……」
大城さんが櫻井さんを連れて戻ってきた。
「瑠偉くん……さっきはごめん」
「僕も……すんません。言い過ぎました」
「明日まで、お互い集中しよか」
「はい」
大城さんはパンパンと手を叩いた。
「はい! 握手で仲直りして下さい!」
僕は櫻井さんの小さな手を握った。
「明日、僕完璧に歌い上げますから」
「わかった。託しとうからな」
櫻井さんは僕の顔を見ていたようだが、僕は視線を合わせることができなかった。