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40 前日

 とうとう十二月になった。冬は嫌いだ。ベッドから出られなくなる。喫煙所で過ごすのも一苦労だ。

 だから、櫻井さんと触れ合っているのがどうしようもなく心地よくて。ボックスに一緒になった時も、すかさず隣にいるようになった。

 毎日のように美味しいものも作ってくれるし、それはいいのだが。五曲目の歌詞が……待てども待てども出来上がらなかった。

 オリフェスまで二週間になり、大城さんが櫻井さんに言った。


「もう! 期限切りますよ! 明後日! それまでにできんかったら四曲だけでやりますからね!」

「ごめんて、ごめんて……今日は帰って考えるわぁ……」


 今晩は寄らない方がいいだろう、と大城さんと澄さんに夕食を一緒にとろうと持ちかけ、三人でファミレスに行った。


「はぁ……大丈夫かいな、櫻井さん……」


 大城さんは着ていたパーカーの紐を弄びながら言った。澄さんが返した。


「卒論提出できなかった前科がありますからね……」


 料理が届いた。食べながら僕は言った。


「僕は間に合うって信じてますから」


 大城さんが言った。


「瑠偉くん、ずいぶん櫻井さんに肩入れするようになったなぁ。まぁ、ベタ惚れやもんな!」

「べ、別に……。卒業したらさよならですし」

「ふぅん?」


 オリフェスは、僕にとって櫻井さんとの最後の大きな思い出になるだろう。幸せなことの上澄みだけすくっていられればそれでいいのだ。




 期限の日、櫻井さんがボックスに飛び込んできた。


「できた! できたー!」

「はよ下さい!」


 受け取った歌詞。タイトルは「スプートニク」。確か、小説でそんなのがあったような。元々は衛星のことだったか。ともかく、僕はすぐにイヤホンをつけて音源を聴きながら歌詞を読んだ。 

 他の四曲とはまるで違う、しっとりとしたラブソング。


 ――スプートニクが回る


 その言葉がキーなのだろう。何度も繰り返された。

 本番のクリスマス・イブまでに予約できたスタジオの回数は三回。僕は必死に歌った。何せ、「スプートニク」のキーが物凄く高いのだ。僕の出せるギリギリだろう。何度も水を飲んで潤しながら練習した。

 今回の構成はこうだった。疾走感のある「戦士」と「青年」を立て続けに歌い、インパクトを出した後に、大城さんのMC。「恋人」「衝動」と続き、「スプートニク」を演奏してメンバー紹介で締める。

 スタジオでそれを通せたのは二日前。先輩たちの演奏は問題ないようだが、問題は僕だ。五曲分の歌詞を果たして間違えずに歌い切れるのか。

 前日、僕はボックスでイヤホンをつけてひたすら歌っていた。櫻井さんがやってきたが、視線さえ向けずに続けた。


「なぁ、瑠偉くん……」


 櫻井さんが勝手に僕のイヤホンを外してきた。僕はギロリと櫻井さんを睨みつけた。


「何するんですか。今集中してるのに」

「ごめんて。ほら、スプートニクの解説しとこうかと思って」

「衛星でしょ。わかってるんでええっす。今は余計な単語一つも頭に入れたくないんですよ」


 櫻井さんが唇を突き出した。


「……そんな言い方ないやん」

「僕は櫻井さんの歌詞、正しく歌い切りたいんです。それだけです」

「それも大事やけど、理解はきちんとしといてもらいたいと思ってさぁ」

「そんな暇ないですよ。詰め込まなあかんくなったの、櫻井さんがギリギリになったせいでしょ」

「ちょっと……確かに俺も悪かったけどな」

「元はといえば櫻井さんが安請け合いするからでしょ。勝手に出るって返事して」

「俺は瑠偉くんやったらできるて思ったからそう言うたんや!」


 櫻井さんが大きな声を出すので、僕もイライラしてしまった。


「買いかぶりすぎなんですよ! 僕、一回しかステージの経験ないんですよ? なのに、あんな難しい曲作られて、歌う身にもなってくれます?」

「瑠偉くんを信じてるからアレにしたんや! 俺の気持ちわからんか!」

「わかりません!」

「あー! もうええよ、このクソ鈍感田舎もん!」

「あっ馬鹿にしましたね? 神戸の人ってそういうとこありますよね。そこが気に食わんのです!」

「口減らん奴やなぁ! もう瑠偉くんなんて知らん!」

「はいはい! 僕も櫻井さんなんてギターさえ弾いてくれればもう何でもいいです!」


 櫻井さんはボックスを出て行った。僕は何も悪くない。思ったことを言っただけだ。入れ替わりに、大城さんと澄さんが入ってきた。大城さんが言った。


「瑠偉くん、どないしたん? 櫻井さん顔真っ赤にして出て行ったけど……」

「櫻井さんなんてどうでもええですよ!」


 澄さんがうんざりした顔で言った。


「本番明日だよ……痴話喧嘩しないでよ……」

「痴話喧嘩なんかじゃありません! あの人なんて卒業したら他人ですから!」


 大城さんが叫んだ。


「もう! こんな空気やったらあかん!

櫻井さん呼び戻してくる!」

「あっ、ちょっと……」


 大城さんは駆け出して行った。僕はタバコに火をつけた。澄さんがため息をついて言った。


「とにかく……落ち着いてよね……」


 ニコチンが身体に染み渡り、さすがにまずいことをしてしまったと反省した僕は言った。


「澄さん、すんません……」

「謝るのは櫻井さんにでしょ。二人ともよく話し合って……」


 大城さんが櫻井さんを連れて戻ってきた。


「瑠偉くん……さっきはごめん」

「僕も……すんません。言い過ぎました」

「明日まで、お互い集中しよか」

「はい」


 大城さんはパンパンと手を叩いた。


「はい! 握手で仲直りして下さい!」


 僕は櫻井さんの小さな手を握った。


「明日、僕完璧に歌い上げますから」

「わかった。託しとうからな」


 櫻井さんは僕の顔を見ていたようだが、僕は視線を合わせることができなかった。


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