その後は大騒ぎになった。
まあ、授業中に教室の窓から生徒が(傍から見れば)飛び降りて死んだのだから当たり前だ。
私も他のクラスメイトと同じように、窓から下にいる真一を見た。
夏の強い陽射しをギラギラと反射する血溜まりの中にいる真一はピクリとも動かない。
地面に広がる血の匂いが、午後の熱気と一緒に四階まで昇ってくるような気がした。
死んだ。真一は死んだのだと確信した。
学校には警察も来て、教室にいた生徒と先生から話を聞いていた。
学校は残った午後の授業を打ち切り、生徒を家に帰したが、私たちのクラスだけは警察に話をするため残り、裏門から帰された。
帰り道を歩きながら、真一の死に興奮している自分がいた。
私は見たんだ……。 人が呪いで死ぬ瞬間を。
いや、殺される瞬間を。
自分だけに見えるもの、聞こえるもの、感じるものに怯え、憔悴し、最後は錯乱して暴れた挙句に命を奪われた。
私もあんな風になるのだろうか?
学校からはまっすぐ家に帰るように言われたが、私の足は千沙の家へ向かっていた。
千沙の家は山寄りの方、町の中心に近い場所にあった。
考えてみれば久しぶりに千沙の家へ行く。
この時期になると、観光客らしい人達を少しづつ町で見かけるようになるが、それはもっぱら海沿いの方や国道沿いのコンビニや飲食店。
山寄りだと観光施設の近く。
中心の住宅地でその姿を見ることはほとんどない。
海がある町でよく言われるような、潮の香りなんて全くしない。
昔はなにかお店をやっていたのだろうが、今はシャッターを半分閉め、文字の消えた錆び付いた看板を掲げた家の前にペンキの剥げたベンチが置いてある。
雑草が人の高さまで育っている庭がある家。
細く、両側に側溝がある道。
ほとんど人の気配を感じない。
この町が、私が産まれる二十年以上前には観光客で賑わっていたとはとても信じられない。
大学を出たらほとんどの人は町を出ていく。
外に仕事を見つけて新しい家族を作る。
残ったのは古い町に古い人間。
私もその一人だ。
なんの価値もない。
ここに限らず、過疎化を防ぐために町興しとかよくあるけど、人が出ていくのを防ぐなら、それはもう簡単な話で、要するにそこで生活できる産業を創り出せば良いだけの話。
それができないところは…… どうにもならない。
廃れるか余所者のコミュニティになるだけだ。
そんな住宅地を歩いていくと千沙の家に着いた。
インターホンを押して、少ししてから千沙のお母さんが出た。
「千沙さんの友達の大秦です。千沙さんはいらっしゃいますか?」
「ああ、巴ちゃん。ちょっと待っててね」
待っていると玄関のドアが開いて、千沙のお母さんが出てきた。
私が訪ねてきて、当人の千沙ではなく親が出てきたことで、千沙の身になにかあったのだと感じた。
「どうしたの巴ちゃん」
千沙のお母さんの顔には、なんというか、暗い影が落ちているようだった。
髪の毛も後ろで束ねているが、ほつれ毛が目立つ。
「千沙さん、今日学校を休んだから…… どうしたのかなって。ノートも一応とってきたんで」
「まあ…… ありがとうね。千沙はちょっと具合が悪くてね…… さっきまで休んでたの。ちょっと見てくるから、もう少し待ってて」
「はい」
私が返事をすると、千沙のお母さんはドアを閉めた。
夕方と言っても陽射しはまだ強い。
日陰に逃げてドアが開くのを待った。
こういうときは、一、二分が五、六分にも感じる。
頬に汗が伝うころに、ようやくドアが開いた。
「お待たせしてごめんね。入って」
千沙のお母さんは笑顔を見せる。
「お邪魔します」と言いながら会釈すると、玄関の中へ入った。
靴を脱いで家に上がると、何となく違和感を抱いた。
千沙の家はこんな陰気だっただろうか?
「どうぞ。そのまま千沙の部屋へ行って」
「はい」
階段を上がっていくと、陰気さはどんどん増していくような気がした。
それになんだか暗い。
電気も点いていて、窓から陽も差し込んでいるはずなのに暗く感じるのはなぜだろう?
階段を上がりきると廊下の蛍光灯が弱々しく点滅していた。
チカッ…… チカッ…… と、する蛍光灯の下を歩いて千沙の部屋の前に来た。
「千沙」呼びかけてノックする。
返事がないのでもう一度呼びかけてノックした。
「千沙」
「巴?」
「そうだよ。私」
ドア越しに聞こえた千沙の声は掠れたようだった。
「入っていいかな?」
「いいよ」
「お邪魔します」と、言ってからドアを開けた。
煌々と電気が点いていて、窓からも陽が差し込んでいて、ここだけは明るく感じる。
冷房を聞かせた部屋で、千沙はベッドの上に座り込んで壁に背をもたれていた。
腕とふくらはぎに巻かれた包帯が目に入る。
おそらく真一とおなじ傷跡ができたのだろう。
「そこ。良かったら座って」
千沙は自分の机を指さしたので、カバンを机の上に置くとイスに座った。
「今日どうしたの?急に休んで、先生からは体調が悪いくらいしか聞かなかったから。大丈夫?」
休んだ原因はおそらく体調とは関係ないだろう。
「ノートとってきたよ」
「ありがとう」
髪はぼさぼさで、垂れた髪の間から見える憔悴した青白い顔をした千沙はまるで幽霊みたいだった。
スマホを開いてクラスのグループLINEを見てみる。
真一の話でもちきりだった。
そして全員分の既読。
千沙も見たのだろう。
しかもご丁寧に動画まで撮影していた奴もいて、早速投稿している。
部屋のドアがノックされて、千沙のお母さんがトレイに乗せた麦茶を持ってきてくれた。
「暑かったでしょう?どうぞ」
「ありがとうございます」
私と千沙の分を机の上に置くと、笑顔を見せて部屋を出て行った。
階段を降りていく足音を聞いてから、千沙が口を開いた。
「真一は死んだの?」
「うん」
スマホを見ながら脚を組んだ。
「動画見たんだけど…… なにか来た?」
「たぶんね。でも私には見えなかった。たぶんクラスのみんなにも。見えていたのは真一だけっぽい」
動画の方にもおかしなものは映っていない。
心霊動画みたいに都合良くは行かないか。
「フフフ…… それ、最後の真一。すごくない?ジャンプ力。すごすぎて引くんだけど」
千沙は顔を伏せて方だけゆすって笑った。
「私は怖かったな」
千沙の笑いが止まった。
「真一の変わりようが。なんだか真一の方が化け物みたいだった。すごい力で、声で、完全に私たちが知らない別の真一だった」
動画ではあの物凄まじい様は伝わらないだろう。
現にLINEに投稿されているものを見ても、ただ真一が騒いでいるようにしか見えない。
「そんなに凄かったの?」
「うん」
画面をスクロールしながらクラスメイトの会話を読んでいた。
みんな真一が、あの家に行ったことは知っている。
全員が真一は呪いで死んだと口々に言っている。
「あれさあ、ほんとに自分で飛んだの?」
「真一のこと?」
千沙はうなずく。
「言っていいかな?」
私の方はいくらでも見たことを話せるが、自分から聞いてきたとはいえ、千沙の憔悴ぶりには若干の遠慮を覚えた。
「いいよ。私が見て感じたことがおかしいのか知りたいから」
「私、ずっと見ていた。真一のことを。もの凄い顔して暴れてたのが、飛ぶ直前に窓の方へ振り向いて、絶望と恐怖が混ざり合ったような顔になって…… 今まで見たことのない顔だった。次の瞬間には真一は飛んでたんだけど、あれはいきなり後ろから襟首掴まれて放り投げられた…… そんなふうに見えた。もちろん後ろには誰も見えなかったけど」
「私もおんなじ感想…… 真一にはなにが見えたんだろう?私にはこれからなにが見えるんだろう?」
千沙は小刻みに震えだした。
「巴は?巴はなにか見えないの?」
私が部屋に入ってから初めて顔を上げた千沙は泣いていた。
表情が引き攣って、口許が笑っているように見える不思議な顔。
「なんにも。変な夢を連続で見るくらい。全部同じ夢」
「どんなの?」
私は自分が見た二つの夢を話して聞かせた。
話していてなんだか引っかかった。それは最初の男が侵入してくる夢を話しているときだ。
男は庭から入ってきた。
私の記憶ではあんな部屋は見たことがないと思っていたが、今は違う。
似たような部屋を見た気がする。
いつ、どこで、というはっきりしたことはわからないが、なんだか見た気がする。
デジャヴュというやつだろうか?
部屋のことは一旦、頭の隅に追いやった。
「どんどん増えてる……」
「えっ」
「最初に聞こえていた声や、影がだんだん増えてきてるの……」
「声はみんな子供?」
「うん。今は四人くらい。子供かなって思ったけど違う声も」
「ここにいるの?」
千沙は首をふった。
「いつもいるってわけじゃなくって…… ふいに聞こえてきたり、視線や存在を感じたりするの」
「たまに見えると言っていた人影みたいなやつは?」
「あれは外でしか今のところ見ていない……」
「そう。真一は体に傷ができたって言ってたけど、千沙も?」
「うん。腕と脚と背中に」
机の下にあるゴミ箱をチラッと見ると真っ二つに裂けたお守りが捨てられていた。
「お守り。買ってこようか?」
「いいよ。役に立たないし。お祓いしてもいなくならないし…… もう死ぬしかないのかな?巴は、本当は助かる方法知っているんじゃないの?だからそんな普通にしてるんじゃない?」
だんだんと千沙の声は大きくなり、口調は強さを増した。
その目は私を睨みつけ、真一が変わったときのように敵意さえ感じた。
いつも私の横にいるときの千沙からは考えられない変わり様だった。
そして、私の腹を立てさせるのには十分なものだった。
「うざっ……」言った後に舌打ちした。
それを聞いた千沙の表情が変わる。
「だいたいあんたが勝手について来たんだろうが。自分も死にたいとか言ってさあ。それが今になって私を悪者みたいに。なんなの?」
私が話している間、千沙は怯えたように私に向かって小さく「ごめんなさい…… ごめんなさい……」と、繰り返していた。
「私が助かる方法を知ってる?はあ?知らねーよ。つか、私は死にたいんだからさあ」
自分が興奮していくのがわかった。
泣きながら謝る千沙を前に、私の罵倒は止まらなかった。
「ごめんなさい!」
千沙は大きな声で言うと、布団に突っ伏して肩を震わせて泣き出した。
私は嫌気がさして、惨めに泣く千沙から視線を外して、興奮冷め止まぬ自分を落ち着かせるように大きく息を吐いた。
自分で死にたいと言って私についてきていながら、いざ死が迫ると怯えて回避しようと足掻く真一と千沙から苛立ちと侮蔑を感じていたのは事実だ。
だからと言って、ここまで言うつもりはなかった。
少なくても、その一点だけで千沙の人格全てが私の中で否定されることはない。
それは死んだ真一に対してもだ。
千沙は大袈裟なところがあるけど、良い子だ。それは間違いない。
「ごめん。私も言い過ぎた」
それからしばらくは千沙のか細い嗚咽がするだけになった。
いつの間にか日は傾いて西日になっている。
「雨戸閉めていいかな?」
布団に突っ伏したまま千沙はうなずいた。
「ごめん。私は別に必要なかったからお守りは真一に上げちゃった。今思えば千沙にあげれば良かった」
雨戸を閉めながら、千沙に背を向けたまま話した。
「大丈夫。明日また…… 今度はお寺へ行ってみる」
背後から笑を含んだ千沙の声が聞こえた。
振り向くと、千沙はさっきまでと同じ体制で今度は笑っているようだった。
雨戸を閉めると、いくら蛍光灯が点いていても暗さを感じる。
体を起こした千沙は薄く笑い続けていた。
焦点が定まらない目と、口の端から垂れるよだれ。
泣いているのに笑っている。
千沙は恐怖のあまりおかしくなったのだと思った。
「巴は高校どこ行く?」
ふいに話題が飛んで進路のことになった。
千沙はいつもそういうとこがあったのを思い出した。
「そうだね。やっぱ下田が良いかな。あそこはまだ栄えてるし人も多いし。地元の高校より通学はめんどくさくなるけど、顔触れが変わる分、新鮮で楽しいかもね」
言っていておかしくなった。死にたいと思いながら近い将来について語る自分に対して。
「私も一緒に行っていいかな?おなじ顔ぶれになっちゃうけど」
「いいよ。千沙なら。大歓迎」
「ほんと?なら頑張って勉強しないと。私、巴みたいに頭良くないからさ。頑張んないとね」
「付き合うよ」
私が言うと、千沙は「ありがとう」と言って笑顔を見せた。
それから少し話して、千沙のお母さんが持ってきてくれたお茶の残りを飲み干すと、カバンからノートを取り出した。
「ノート置いていくね。これから頑張るんだから今日だって勉強しないと」
「そうだね。ありがとう」
「明日返してね」
「明日?早くない?」
「今日一日の授業分だよ?半日もあれば十分でしょ」
「そうだね…… 頑張るよ」
千沙は苦笑いして片手をあげた。
私はその手をパチンと叩いた。
千沙は玄関の外まで見送ってくれた。
もう日は沈み、紫色の空が海の方から広がっている。
「じゃあ明日」
「うん」
千沙は私が道の角を曲がるまで手を振って見送ってくれた。