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『部活や塾に行かない者は、明日の放課後特訓をするので、体育の準備をして登校すること』という連絡網が前の晩に回ってきたので、次の日それに従った。
その日の放課後、佐伯がメンバーの中心となって、使われていない校庭の隅っこに、クラスメイト十数名を集めた。草の匂いが辺りに漂い、傾きかけた日の光がトラックを明るく照らした。
「体育祭まで天気が良ければ、放課後なるべくここに集合してほしい。この企画を立案したのは俺だが、内容は西野が読んでいた本から抽出したメニューになる。ちなみに練習メニューの苦情は、すべて西野に言ってくれ」
自分には非がないと言わんばかりに流暢に告げた佐伯を、俺を含めたクラスメイトは苦笑いでやり過ごす。
(人当たりのいい陽太に文句を言えるクラスメイトなんて、誰もいないのにな――)
「まずは隣合った者がペアになって、柔軟体操する。月岡、前に出て俺とペアな」
もたもたして、最後に校庭に顔を出した俺の隣には誰もいなかったので、必然的に佐伯とペアになってしまった。前に出てお手本になりながら、きっちり柔軟体操する。
「月岡、意外と体が硬いのな。本ばかり読まずに、少しは運動を心がけたらどうだ」
「ううっ、いたた……そうだね」
立ったまま、佐伯に背中をグイグイ押されているものの、指先が地面につかない。
「佐伯はすごいね。勉強と運動を両立させて」
今度は俺が佐伯の背中を押す番。軽く押しただけなのに、佐伯の手のひらがペタッと地面についた。
「適度に体を動かしたほうが、頭に酸素が巡って記憶力があがるんだ。どこかの誰かさんは、そうじゃないみたいだけどな」
さりげなく、陽太のことを指摘した佐伯。俺よりも成績が優秀なアルファの佐伯に、ベタの俺がどんなにがんばっても、きっと成績は敵わない。それはアルファの幼馴染が傍にいた関係で、嫌と言うほど身に染みている。だけど――。
「陽太が本気を出したら、きっと一番になっちゃうと思うよ」
「ほぅ、おもしろいことを言うな」
鋭さを感じる瞳を大きく見開き、不敵にほほ笑む佐伯は、俺の両腕に自分の両腕を絡ませ、背中に乗っけて、腰を屈ませた。背骨からゴキゴキっという、聞こえちゃいけない音が派手に鳴る。
「ひーっ、痛気持ちいい!」
背筋が伸びたおかげで、身長が数センチ伸びたかもしれない。
「よし、今校庭をランニングしてる陸上部の後ろにくっついて、5周走ってくること。それが終わったら小休止!」
このタイミングで佐伯が言い放ったことで、彼を背負わずに済んでしまった。そのままランニングに参加しようとしたのに、佐伯はTシャツの裾を無造作に掴んで俺を引き留める。
「わっ、なにか?」
「週末、西野の家に行くんだろう?」
「うん、そうだよ」
よく知ってるなと思っていたら、佐伯は嬉しそうに瞳を細めて、意味深な笑みを頬に滲ませた。
「そのときに言ってほしいんだ。いいか、よく聞けよ『俺、陽太の本気が見てみたい。学年で5位以内に入れそうかな?』ってさ」
それって俺よりも、成績が上なんですけど。っていうか、陽太の成績って何番くらいなんだろ。
「佐伯、それ俺が言うの?」
「もちろん。西野の中で月岡の存在は、かなり大きいんだぞ」
「そうなのかな……?」
ここ最近、俺に接する陽太の気の遣い方が、どこか腫れ物を扱うように思えるせいで、疑問が口を突いて出てしまった。
「なんだアイツ、月岡に冷たいのか?」
「冷たいなんてとんでもない。むしろその逆だよ」
あわあわしながら否定したのに、佐伯の表情はどこか冴えなかった。
「だとしてもだ、中途半端な態度をとられて、月岡は不満なんだろう?」
「それは……そうかもしれない」
妙な線を引かれている感じというか、目すら合わせてもらえない現状は、やっぱり寂しいって思う。
「それって月岡もまた、西野にそういう態度をとっていることはないのか?」
佐伯に指摘された瞬間、無意識に首筋に触れてしまった。指先に感じる絆創膏の無機質な表面を、意味なく撫でてしまう。
「陽太に変な態度?」
「アイツだけだろ。月岡に友達になってくれって言ったのは」
「うん、そうだね」
1年のときは、友達になってくれという感じじゃなく、もっと踏み込んだ関係になりたそうなクラスメイトがいて、何人か俺に声をかけてきた。
とりあえず断る理由もなかったので、彼らが望んだ際は一緒にいてあげたり話もしたけど、いつの間にか去ってしまった。きっと俺といても、つまらなかったのだろう。
そんな俺と友達になりたいなんていう奇特な人物が、2年になって現れるとは思いもしなかった。
「西野が誰かに『友達になってくれ』なんて言うのは、初めてだと思う」
「えっ?」
告げられた言葉の衝撃で、絆創膏に触れていた手がおりた。
「だいたい、西野が頼まれる側だからな。アルファの中でもフェロモンの濃度と量がトップクラスだし、それなりに美形で部活でも活躍してる、有名なアイツとお近付きになりたいと思うのが普通さ」
図書室で汗だくになりながら、友達になりたいと俺に言った陽太。あのとき彼は、どんな気持ちでそれを告げたのだろう。
「西野にとって、月岡は特別な存在なんだ。そこのところをわかってやってほしい」
「佐伯――」
「だからさっき言ったこと、ちゃんと西野に伝えてくれよ。月岡も西野の本気が見たくない?」
嬉しげに告げられた佐伯の言葉に、俺は迷うことなく返事をする。
「見てみたいかも」
「西野の本気は、クラスの団結にも必要なんだ。そこのところ、よろしく頼む。一周遅れで走ってこい!」
佐伯に両腕で背中を押された勢いでコケそうになりつつ、笑い合いながら先に走ってるクラスメイトになんとか追いつく。週末、どんな会話から佐伯に頼まれたことを陽太に伝えようか、そればかりに気をとられていたため、あっという間に完走してしまったのだった。