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第18話 闘技場にて

「どう、似合う?」


「はい、とってもお似合いです」


 鏡台の前に座っているのは、上品で麗しいバーベナ姫。完璧な仕上がりに、キリヤは口角を上げる。パープルピンクのドレスに、真珠の首飾り。男らしいゴツゴツした手を隠すため、手にはレースのオペラグローブをはめている。


 ガーネットは仕上げに、カサブランカの花を銀色のまとめ髪に挿した。白い花は作り物のバーベナの美しさを見事に引き出している。


「ロベリアの鎧を着た弓兵は結局、身元がわからなかったな。果実酒に入れられた毒の出どころも。まあ、あのまま勢いで一気に戦争支持へ意見を傾けようとしたんだろうけど。そう簡単には行かなかったわけだ」


「そうですね……」


 浮かない顔のガーネットに気付き、キリヤは彼女の方を振り向く。


「なんだよ。なんかあったのか?」


「いえ、あの……」


 ガーネットの顔は真っ青だった。唇をキツく結び、下を向いている。


「気になるだろ、言えよ」


「……キリヤさんは」


 彼女は意を決した様子で、キリヤの瞳を見つめ返す。


「以前、私がこの仕事を受けた理由をお尋ねした時、お金のためだとおっしゃいましたよね」


「そーだけど」


「つまり、お金のためなら、なんでもできる覚悟がおありということですか?」


 一瞬の沈黙ののち、キリヤは困惑の色を浮かべ、ガーネットの瞳を探るように見つめた。


「それ、どーいうイミ?」


 その後彼女が語った言葉に、キリヤは目を見開いた。


   ◇◇◇


 開会の儀が終わり、グラジオ王国騎士団の控え室に戻ったアリシアはあたりを見渡した。普段見かけない人間が混じっている様子はない。ただ、やはり、誰もが皆元気がない。今朝の事件は、それだけ衝撃的だったのだろう。


「王子……!」


 アリシアに気づいたものたちから、胸に手を当て、平身低頭する。「顔をあげてくれ」と言えば、皆一様に不安な顔をもたげた。


 ——ここが、王子役の踏ん張りどころだよね。


 「キリヤ」がバーベナを演じるときのように。

 強く気高い王子に成り代わるつもりで胸を張る。


「上位騎士がいないからなんだ。昨日までの鍛錬を思い出せ。敵を前にして尻込みするなどグラジオの騎士がやるべきことではない。これが自分たちの階級をあげるチャンスだと捉えよ」


 騎士たちの目の色が変わる。


「君たちには私がついている。胸を張っていけ! 意地をみせてみろ! 最終戦まで上がってきたものには褒美を取らす!」


 アリシアの言葉に呼応するように、雄叫びが上がる。誰もが闘志を取り戻し、拳を突き上げた。


 ——うまく、王子らしくできたかな?


 騎士たちの顔に明るさが戻ったのを見て、アリシアはホッと胸を撫で下ろした。



 闘技場で繰り広げられる熱戦は、決勝に近づくにつれ激しさを増していく。

 鎧をつけてはいるものの、剣は真剣。相手を殺せば失格になってしまうため、死者は出ていないが、重傷者は出ている。


 刃のぶつかり合う音を聞きながら、アリシアは決勝戦を見ていた。勝ち残ったのはロベリアのカイオスという剣士と、メンシスの若手剣士ケイン。この二人のどちらかがアリシアの相手となる。


 ——あれは相手が悪い。勝ち上がるのはロベリアだな。


 カイオスは体が大きく、力も強い。対してケインは小柄で細身。体格の良い剣士の場合、生じる隙も大きくなるため、速さが上回っていれば攻略することも可能だが。


 ——大きいのに、すごく速い。隙もほとんどない。ケインの腕じゃ倒せない。


 振りかぶった隙をついてケインは突きを狙うが、鎧に届く前にカイオスに薙ぎ払われてしまう。それでも何とか立ち向かい、手数は少ないながらも確実に剣撃を入れていくのだが。カイオスはびくともしない。


「いくらなんでも打たれ強過ぎない……?」


 アリシアは一人呟いた。


 鎧をかぶっているため、表情は見えない。だが、たった今ケインが加えた脛への攻撃はうまく入ったはず。普通なら立ち上がれないだろう。

 しかしカイオスの剣捌きには一切の曇りも生じていなかった。


 最終的にケインはカイオスの足払いに引っかかり、首元に剣を突きつけられ敗北を喫した。すでに負けているにも関わらず、カイオスはさらに攻撃を加えようとしたため、レフェリーに押さえられていた。


 若い剣士の健闘に、割れんばかりの拍手が鳴る中、アリシアはカイオスを見据える。


 鎧をとった彼の表情を見てゾッとした。極度の興奮状態にあるようだった。目は血走り、口元には薄ら笑いを浮かべ、敗者を見据えている。


 ケインを讃えるため、アリシアは闘技場に降りていく。「アラン王子」の登場に、会場からは歓声が上がった。


「ケイン、大丈夫か?」


「はい、なんとか」


 彼の目の下には、大きな刀傷がついていた。あと少しずれていたら、目が潰れていたはず。荒い息の青年の肩を、強く三度叩き、「よくやった」と声をかければ、彼は険しい顔でこちらを見た。


「殿下。対戦相手のロベリアの剣士、どこか妙です」


 アリシアは声を落とし、ケインに聞く。


「どう変だと思った?」


「たぶん、薬をやっています」


「薬……」


「以前、ロベリアとの国境付近で戦った際、同様の目をした傭兵たちをご覧になりましたでしょう。戦いの恐怖を紛らわすため、薬に手を出した者たちです。カイオスは彼らと同じ目をしています」


 薬の常用者はアリシアも見たことがある。さまざまな商品が流通する港町では、そういったものも不法にやりとりされており、港の倉庫の裏手などは、薬物乱用者の溜まり場になっている場所もあった。


「つまり、痛みも恐怖も、疲れでさえも感じていないってことだね」


「はい」


 違和感の正体がわかり、アリシアは愕然とした。強制的に意識を落とさなければ、おそらくカイオスは止まらない。


「レフェリーに報告をしましょうか」


「いや、いい。ケイン、よく休め。お前の仇は、私がとってやる」


 王子は仲間思いで負けん気の強い人だったと教えられている。きっと彼なら、こう言うだろうと思ったセリフを、アリシアは口にした。ケインは唇を結ぶと悔し涙を流し、救護隊に抱えられてその場を離れていく。


 今ここでレフェリーに報告すれば、アラン王子が勝負にケチをつけたことになる。親善試合であることを考えれば、それは望ましくない。


 カイオス本人が望んで薬を飲んでいるのか。それとも誰かに飲まされたのか。今の時点ではどちらかわからないが。アリシアがやることはただ一つ。グラジオ王国最強の剣士として相手を叩きのめすのみ。


 ——めちゃめちゃ逃げたいし、正直いますぐ棄権したいくらいだけど。


 アラン王子という大役を引き受けてしまった時点で、こういう死地は常について回るのだということを今更認識した。これから先戦が起こることがあれば、王子として出征することもあるだろう。


 闘技場に迫り出すように作られたバルコニーから、キリヤが手を振っているのが見える。彼にしては表情がかたい。心配してくれているのかもしれない。


 一度目を瞑り、息を整えてから再び目を開ける。

 ここで逃げては毎晩特訓に付き合ってくれた彼にも申し訳ない。


 自分の肩にかかった責任の重みを感じながら、アリシアは剣に手をかけた。


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