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第40話 綺麗な七夕の日

「今日は七夕だな。天気もいいから夏の大三角形が見られるかもしれないぞ」


 理科の授業終わりに先生がそんなことを言った。

 今日は七月七日。織姫と彦星の出会う日である。七夕の由来はいくつかあるけれど、織姫と彦星の物語が一般的に知られているだろう。というか小学校ではそう教わった。


「一年に一回しか会えないだなんてすごくかわいそう……」


 自分のことでもないのに葵ちゃんはしょんぼりしている。女の子って障害のある恋愛って好きだよね。

 葵ちゃんは七夕がとても好きだったりする。彼女のお父さんが望遠鏡を持っているというのもあって、幼稚園時代から七夕の日には夜空を見てベガとかアルタイルを探していた。

 でもまあ、織姫と彦星が年に一度しか会えなくなったのは二人して仲良く怠け者になってしまったからだよね。そういうところを見ると怠惰でいると罰を受けるぞ、という教訓でもある。

 俺も気をつけないとな。どんなことになっても怠け者にだけはならないぞ。怠惰でいるのには前世でこれでもかってくらいには堪能したんだからな。


「今日は私の家に来るんだよね?」

「そうだね。先生も今日はいい天気だって言ってたしね」


 七夕の日には葵ちゃんの家で望遠鏡を使って夜空を見るのが毎年の恒例になっている。小学生になってからは瞳子ちゃんも加わって三人の恒例行事となっていた。さすがに天気が悪ければ中止になってしまうのだが、今回はそんな心配はいらなさそうだった。


「でもあたしと俊成は水泳があるから。葵の家に行くのは遅くなっちゃうわね」

「どうせ星を見るのは暗くなってからだからいいよー。瞳子ちゃん今すごくがんばってるんでしょ?」

「ん、まあね」


 相変わらず瞳子ちゃんはスイミングスクールの選手コースでバリバリやってたりする。俺よりも長い時間泳いで、さらにタイムを離されてしまった。

 コーチが言うには瞳子ちゃんのタイムはかなり速いらしいし、今度の大会は期待できそうだった。

 もし俺が選手コースに行ってたとして彼女ほど泳げていたか自信はない。子供だからなんでもかんでも上達が早いと思っていたけどそうでもない。実際に水泳のタイムの伸びは徐々に悪くなってきている。

 努力を怠る気はない。それでも自分には決して才能があるわけではないのだと少しずつ突きつけられているような気がしてしまうのだ。

 ええい! そんなこと考えたって仕方がないだろ。才能だけで成功が約束されているわけでもないし、俺が求めている結果はまた別にある。自分の方向性すらはっきりとしていないのに何を悩んでいるんだか。

 それに今日は七夕なんだから。織姫と彦星の久々の再会を祝福しようじゃないか。



  ※ ※ ※



 俺と瞳子ちゃんはスイミングスクールを終えてから葵ちゃんの家に向かうことにしている。とはいえ俺と彼女では終わる時間が違うのだ。選手コースに比べたら俺なんて楽をしているのかなと思ってしまう。

 瞳子ちゃんがまだ練習している間に俺は帰宅する。飯を食べてから葵ちゃんの家へと向かった。


「トシくんいらっしゃい。瞳子ちゃんが来るまで私の部屋で遊ぼうよ」

「わかったから引っ張らないでって」


 夜遅い時間だというのに簡単に家へと上がらせてもらえる。それが俺が培った信頼なのだろう。改めて葵ちゃんとは幼馴染の関係なのだと感じさせられる。

 前世では考えられなかった。宮坂葵は俺にとって高嶺の花だったのだ。こうやって気安く触れられる存在じゃなかった。

 たまに葵ちゃんと瞳子ちゃんといるのが当たり前のように感じてしまう。けれどどちらも俺とは関わるはずもなかった女の子なのだ。

 その事実を噛みしめなければならない。もし当たり前だと思ってしまって二人に甘えるようになってしまったら。なんだか罰を受けてしまうような不安に悩まされるのだ。

 元々は働き者だった織姫と彦星。二人は結ばれて幸せになったことで怠惰になってしまった。

 ただ幸せに浸ることは悪いことなのだろう。事実、織姫と彦星は幸福にかまけて働かなくなってしまった。まあ責任の放棄ってやつだ。

 俺はただの子供ではない。頭の悪い凡才のおっさんだとしても前世の記憶を持っていることに変わりはないのだ。たとえその事実が誰にも知られていないとはいえ、俺だけは知らなかっただなんて許されない。

 ……なんて考えるとプレッシャーで押し潰されそうになる。最初は結婚したいっていう欲望だけだったのにな。なんでこうごちゃごちゃと考えるようになったんだか。


「ねえねえ知ってる? お星様に三回お願いごとをするとそのお願いは叶うんだって」

「うん。それ流れ星にお願いするやつね」


 歳を重ねるごとに美貌を増している葵ちゃん。彼女の瞳は出会った時から変わらずキラキラと輝いている。

 とても純粋な目をしている。それは瞳子ちゃんも変わらない。二人はとても純粋な好意を俺に向けてくれる。ずっと、ずっと変わらないのだ。

 なんで俺なんかに。そう考えたことは一度や二度ではない。

 いろんなことをがんばってきたから今のところは優秀な男子であるという自覚はある。二人のためになればと行動してきた。それでもたまに自信のない前世の俺がひょっこりと顔を出すのだ。

 いつかボロが出て二人に呆れられてしまうのではと考えてしまう。だからこそ早く答えを出したいのに、未だに葵ちゃんと瞳子ちゃんのどちらかを選べないままだ。

 年に一度しか会えない織姫と彦星。でもこのままじゃあ葵ちゃんと瞳子ちゃんのどっちにも会えなくなってしまう。俺が答えも出さずにぼやぼやしてたら本当にそんな未来がきてしまいそうな気がした。


「トシくんどうしたの? 疲れちゃった?」


 気づけば葵ちゃんが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。なんだか変な考えばかりが頭の中をぐるぐると回っていたらしい。

 これだから七夕はいけない。葵ちゃんと瞳子ちゃんの輝きが強いってことを否応なく再認識させられる。


「大丈夫大丈夫。ちょっと水泳の疲れが出ちゃったのかもね」

「そうなの? よかったら寝てる? 私のベッドを貸してあげるよ」


 葵ちゃんは自分のベッドを指し示す。距離があるのに彼女の甘いにおいが鼻をくすぐった気がした。


「……いや、大丈夫だよ。ほら、瞳子ちゃんがくるしさ」


 寝てしまいたい衝動にかられたけどなんとか押さえ込めた。危ない危ない。

 葵ちゃんはぱんと手を打って「そうだ!」と立ち上がった。


「だったら私がトシくんのためにピアノを弾いてあげるよ。目が覚めるかもしれないし」


 その言葉の通りに葵ちゃんは俺をピアノのある部屋まで引っ張った。そういえば彼女の演奏を聞くのは久しぶりだ。

 そういえば瞳子ちゃんがすごく上手になったって褒めてたっけか。なかなかタイミングがなくて確かめられてなかったな。


「こほんっ……。じゃあ弾くね」

「うん。葵ちゃんの演奏が聞けるだなんて楽しみだよ」

「えへへ。いっくよー」


 葵ちゃんは滑らかに指を動かし始めた。

 その演奏には正直に言って驚いた。音楽に大して興味を持っていなかった俺だけど、彼女の演奏には心を震わされてしまっていた。

 ピアノの演奏を耳にして「上手いな」と思うことはあった。でも葵ちゃんのはそんな演奏とは次元が違っていた。前に聞いた時はそんな風には思わなかったのに、まるで別人のような成長を遂げていた。

 上手であることには間違いない。だけどそれだけでここまで心が震えるものだろうか? 音楽でこんなにも高揚感を味わうなんてこと生まれて、いや生まれる前からでも初めてだった。

 最後はゆっくりとした調子で演奏を終えた。葵ちゃんははにかみながら俺の方へと顔を向ける。


「ど、どうだった?」

「言葉にならねえよ……」

「え? どういうこと?」

「あ、いや、ものすごく上手だったよ。俺じゃマネできないくらいすごかった」

「そうかな? ふふっ、やっぱりトシくんに褒められると特別嬉しいな」


 なんだかものすごい才能の片鱗を見てしまった気分だ。ここまで葵ちゃんが大きく見えたことなんてなかった。超絶かわいい女の子だけど、瞳子ちゃんと違って才能に溢れているタイプではないと思っていたから。

 でも、もしかしたら葵ちゃんもとんでもない人間なのではなかろうか。そう思ったら俺の中で焦りの感情が動いた気がした。


「葵ー! 瞳子ちゃんが来たわよー」


 タイミングよくと言うべきか。瞳子ちゃんが家に着いたようだった。


「私瞳子ちゃんを出迎えてくるから。トシくんは望遠鏡を用意してて」

「わかった」


 あらかじめリビングに用意していた望遠鏡を担いだ。今日は葵ちゃんのお父さんはまだ帰ってきていないので俺が準備しなければならなかった。

 今回は公園で天体観測をしようということになっていた。葵ちゃんの家の庭からでもそう変わるもんでもないとは思ったのだが、葵ちゃんと瞳子ちゃんのリクエストなので従うことにする。

 玄関を見に行けば瞳子ちゃんとお母さんがきていた。


「遅くなってごめん。早く行きましょうか」

「そんなに急がなくてもいいよ。ご飯は食べたの?」

「ちゃんと食べたわ。あんまり遅くなっちゃうと葵が眠くなっちゃうでしょ」

「わ、私!? そ、そんなにすぐ眠くならないよっ」

「へぇー、そうかしら? 葵ってまだまだ子供だから遅い時間まで起きられないと思ってたわ」

「そんなに子供じゃないよ! ちゃんと成長してるんだもん!」


 葵ちゃんの意見に同意。どこがとくに成長著しいかは言わないけど。

 むしろ瞳子ちゃんの方が眠くなってないか心配だ。たくさん泳いでいただろうし、疲れていても不思議じゃない。葵ちゃんをからかったのだって眠たいのを誤魔化すためじゃないかって邪推してしまう。

 近場とはいえ夜も遅いので葵ちゃんと瞳子ちゃんのお母さんがついてきてくれた。もちろん何事もなく公園へと辿り着く。


「あっ、野沢先輩」

「あ、俊成くんだ。それに葵ちゃんと瞳子ちゃんもいっしょなんだね」


 公園には野沢先輩がいた。ついでに弟もいた。なぜか彼に睨まれてしまう。


「それ望遠鏡? すごいねー」

「あははっ。葵ちゃんのおじさんのですけどね」


 望遠鏡を組み立てながら野沢先輩とおしゃべりする。いつもながら彼女と会話するのは楽しい。


「み、宮坂も星を見にきたのか?」

「うん。それって双眼鏡?」

「あ、ああ。これでよく見えるかと思って……」


 野沢くんは葵ちゃんに話しかけていた。俺がお姉さんをとってしまったから葵ちゃんの方へと行ったのだろう。


「……」


 瞳子ちゃんは少し船を漕いでいた。大会が近いらしいし練習がきつくなっているのだろうな。それでもこうやって俺達と星を見ようとしてくれている。疲れている彼女には悪いかもだけど、それが嬉しい。俺達を大切に思ってくれているからだってわかるから。

 ロマンとか何も気にしなければ七夕じゃなくたって星は見れる。ベガも、アルタイルも、デネブだって逃げたりはしない。

 でも、初めて葵ちゃんと瞳子ちゃんの三人で七夕を迎えた時に二人が書いた短冊の願い事を、俺は忘れたくないのかもしれない。


「今年は短冊にお願い事は書いたの?」


 野沢先輩からそんなセリフが出てきてびっくりしてしまった。

 いや、おかしくはないか。今日は七夕なんだから。


「今年は……書いてなかったですね」

「そっかー。段々書かなくなっちゃうもんねー」


 野沢先輩はふんわりと笑う。柔らかい雰囲気の彼女だけど、その芯はしっかりとしているのを知っている。だからわざわざお願い事なんて短冊に書かなくてもいいのだろうと思う。

 俺はどうかな。書かないというよりも書けないというのが正しいのかもしれない。最初の頃はいろんなことを短冊に書いていたはずなのにな。今は手が止まってしまう。


「野沢先輩達もよかったら望遠鏡使ってください。よく見えますよ」

「いいの?」

「はい。まあ俺のじゃないんですけどね」


 綺麗な天の川は織姫と彦星を隔てる壁だ。綺麗だけれど、二人にとっては会えない原因でもあった。

 みんなが天体観測している中、のんびり座ってそれを眺めていると肩に重みがかかる。横目で確認すれば瞳子ちゃんが眠っていた。

 瞳子ちゃんはとても勤勉な子だ。それは葵ちゃんも変わらないだろう。

 俺は本当に前世の俺から変われているのだろうか? 綺麗なものを見るとどうしてもそんな考えが浮かんでしまう。

 今の俺の願い事はなんなのだろうか。七夕は俺の不安を煽るように浮かび上がらせようとする日だ。

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