「四組ぃー、ファイトー!!」
小川さんのかけ声に俺達六年四組から続けて「ファイトー!」という声が合わさった。士気が高いのはいいことだ。
運動会当日。晴天が広がっており、活気づいた空気が運動場に充満しているようだ。まさに運動会日和である。
「がんばろうねトシくん」
「おう。いっしょにがんばろう葵ちゃん」
長い黒髪をポニーテールにした葵ちゃんが気合を入れるように拳を握りしめる。今までは運動会などの体を動かす行事には消極的だった彼女だけど、今年は組体操の自主練をするくらいにはやる気なのだ。
そんな葵ちゃんに俺も負けられない。ぐっと握り拳を作って返した。
まずは入場行進からだ。最上級生になってみると下級生の行進がかわいらしく見える。たくさんシャッターを切ってしまう親の気持ちがわかってくるな。
準備体操を終えると競技が始まる。次々とプログラムを消化していく。
「二人三脚であたし達ゴールデンコンビに勝てるペアなんていないでしょうね」
「だな。がんばろう瞳子ちゃん」
瞳子ちゃんが自信満々に胸を張る。俺と瞳子ちゃんは二人三脚に出場するのだ。
四年生の時に組んで息ぴったりだったからね。これに関しては俺も瞳子ちゃんに同意見だ。負ける気がしないぜ!
「あっ、高木さーん! 今日はお互いがんばりましょう!」
手をぶんぶんと振る森田が見えた。あいつでかいから目立つよな。五年生だけどこの小学校で一番背が高いんじゃないかな。
そんな森田に寄り添うようにちょこんと品川ちゃんがいた。足元を見れば二人の足が結ばれていた。
「よう森田。品川ちゃんと二人三脚に出るのか?」
「そうっすよ。俺達のコンビネーション見せてやりますんで見ててください!」
自信たっぷりの森田とは対照的に、品川ちゃんはぷるぷる震えている。なんだか小動物みたいだ。
「品川ちゃんもがんばってね」
「右足から……最初は右足から出して、次に左足……。右、左、右……」
「……」
ダメだ聞こえていない。こんなに緊張していて大丈夫かなと心配になってしまう。
「あたしと俊成が一番速いでしょうけど、その次くらいになれるようにがんばりなさい」
「うっす! 姉御もがんばってください!」
「誰が姉御よ!!」
森田は笑いながら入場門の列に並んだ。うーん、体格差もそうだけど、性格だって正反対のあの二人は本当に大丈夫だろうか。こけてケガをしなきゃいいけど。
「俊成、あたし達も並ぶわよ」
「あ、うん」
そろそろ二人三脚が始まる。瞳子ちゃんといっしょに列へと並ぶ。
「森田と品川ちゃん大丈夫かな? 品川ちゃんが緊張しているのを森田は気づいてないみたいだったけど」
「あれはちゃんとわかっているわよ」
「え?」
横にいる瞳子ちゃんを見ると、彼女は前方にいる森田と品川ちゃんを見つめ目を細めていた。
「気遣われない方が却って楽なこともあるのよ」
どういう意味なのかと聞き返そうとすると同時に二人三脚の順番が回ってきた。瞳子ちゃんが「行くわよ」という声とともに駆け足になったので聞きそびれてしまった。
やはり俺と瞳子ちゃんのペアを前に敵はいなかった。爆走して見事一位に輝く。
俺が心配していた森田と品川ちゃんのペアだったが、森田が上手いこと品川ちゃんに合わせていた。着実な走りで運動場を駆け抜けてゴールイン。たくさんの拍手を送られて二人とも楽しそうに笑っていた。
その後も競技は続いていく。借り物競走にエントリーしている葵ちゃんが出た時には男子達から熱い応援をされていた。
葵ちゃんがスタートする。直線では遅れてしまうものの、借り物が書かれた紙へと辿り着く。
一瞬固まったように見えたが、葵ちゃんは真っすぐ俺達がいる応援席へと走ってきた。
ここにいる人が持っている物でも書かれていたのだろうか? そう思っていると葵ちゃんに腕を掴まれる。
「トシくん来て!」
「え、俺?」
葵ちゃんに引っ張られるままゴールへと向かった。あれ、物じゃないの?
そのまま一着でゴールイン。先生に借り物が書かれた紙を渡して確認してもらう。
「……いいだろう」
先生は紙と俺とを何回か見比べていたが、その言葉とともに頷いた。なんでちょっとためたんだろうか?
結局なんだったんだろうか。気になって葵ちゃんに尋ねてみた。
「葵ちゃん、借り物ってなんだったの?」
「んー……」
葵ちゃんは視線を宙に向かわせた。それから笑顔で口を開く。
「秘密だよ」
※ ※ ※
午前の部が終わって昼食の時間となった。
「葵! 借り物競走一着だなんてすごいじゃないか!」
「さすがは瞳子! 運動会でも輝いている!」
「美穂もがんばったね。障害物競争なんて一番速かったね」
親達の元へと行くとそれぞれ労ってもらえた。俺の両親も褒めてくれる。
みんなの活躍もあって四組は一番得点を稼いでいる。しかしリードしているとはいえ僅差であり、二位の一組とはほとんど得点差なんてなかった。
「午後からもがんばらないとな」
「だね。私もがんばる!」
「そうね。せっかくだから優勝したいもの」
「もちろん勝つ」
俺の言葉に葵ちゃん、瞳子ちゃん、美穂ちゃんが頷いてくれた。
これが小学校最後だからね。みんなの気持ちは一つとなっている。かつてないほどのまとまり具合だ。
午後からの競技で俺達が得点に絡めるものは騎馬戦と学年対抗リレーである。得点には関係ないけど、その前には組体操がある。
チラリと葵ちゃんを見る。女の子座りをして食事している姿が映る。
たくさん練習していたもんな。何事もなく無事終われますように。気づかれないようにそんなことを祈った。
「練習通り緊張せずにやればいいからな」
下級生のダンスが終わって組体操が始まろうとしていた。先生はそう言うけど、それで緊張がなくなれば苦労はないよと思った。
葵ちゃんはしきりに深呼吸を繰り返していた。大きく上下する胸が目に毒というのは置いといて、何か声でもかけるべきかと思案する。
「高木、待って」
「お?」
葵ちゃんに声をかけようと一歩踏み出した時、体操服の裾を掴まれてつんのめってしまう。振り返ればいつもの無表情をした美穂ちゃんだった。
「美穂ちゃん? どうしたの」
「宮坂は今集中してるから、声をかけない方がいい」
「え、でも……」
「宮坂……木之下もだけど、高木に心配かけないようにがんばってる。だから高木は自分のことに集中するべきだと思う」
真剣な眼差し。視線を逸らせば瞳子ちゃんも深呼吸をしていた。彼女も葵ちゃんといっしょに練習していたんだ。
「……わかった。じゃあ俺あっちだから。美穂ちゃんもがんばってね」
「言われるまでもないよ」
ははっ、と笑うと美穂ちゃんも微笑を浮かべてくれた。俺は佐藤達のいる男子の列へと入る。
六年生の組体操が始まった。音楽を流さずに先生の笛に合わせて技を行っていく。
一人で行う肩倒立やブリッジ、V字バランスと順調にこなしていく。ここまでなら葵ちゃんも問題なくできていたはずだ。
次に二人技へと移っていく。佐藤と組んで進めていく。
葵ちゃんの方へと視線を送る。練習した甲斐もあってちゃんとできているようだ。瞳子ちゃんもいるのだからそうそう失敗しないはずだ。
「高木くん、今は自分のことに集中せなあかんで。宮坂さんかてずっとがんばって練習してきたんやから信じてやらな」
俺だけに聞こえる程度の声で佐藤が注意する。いつものほにゃりとした柔らかい感じではなく、真剣に取り組んでいる者特有の雰囲気を放っていた。
さっき美穂ちゃんに言われたばっかりなのにな。佐藤の言った通り葵ちゃんはこの日のためにがんばってきたのだ。心配し過ぎるのはできないと思っているようで失礼だった。
「ごめん。ちゃんとするよ」
小声で詫びを入れる。もし俺の方がケガなんてしてしまったら葵ちゃんだけじゃなく、みんなに申し訳が立たないところだった。
三人技へと突入する。女子はここが一番難しい技をするところだろう。俺は自分のやることに集中する。
一つ一つ技が完成する度に拍手が送られる。「おぉー!」と驚きの声も聞こえてくる。
そんな反応に喜ぶ暇はなくて、俺達はミスをしないように丁寧に技を行っていく。一つの技に対しての人数が増えていくにつれて緊張感が跳ね上がっていく。
一人がミスをすればみんなが巻き込まれる。組体操とはそういうものだ。常に危険と隣り合わせである。
ついに最後の大技、五段ピラミッドだ。一段重なるごとに完成が近づいていく。
よくもまあこんな大きいものをやろうと思ったもんだ。子供だからやるのか、子供のうちしかできないのか。とにかくこれさえ無事に終わればいい。
三段目。俺の出番だ。
子供達でできた階段を上がり、俺もその一員となる。下の子は大変だろうなと思いつつ、上の子も高いところにいる恐怖とかあるのだろうかと考えてしまう。
四段目、そして五段目の子がてっぺんに立つ。次の笛でみんな揃って顔を上げれば完成だ。
ピー、という力が湧いてこないような音で顔を上げる。すると割れんばかりの拍手と歓声が俺達に向かって降り注がれる。
嬉しい、というよりも早く終了の笛を鳴らしてくれと思う。下の子からつらそうな息づかいが聞こえるしさ。
自分の忍耐力に頼っていると、葵ちゃんと目が合った。心配そうに見つめる瞳が真っすぐ俺を捉えていた。
……うん、俺は大丈夫だ。
俺が葵ちゃんを心配するように、彼女もまた同じだったのだ。俺だけの感情じゃあないんだ。
笛の音が聞こえてようやく組体操は終わった。誰もミスすることなく終えられて思わず安堵の息が漏れる。
退場するとすぐに両手を取られる。葵ちゃんと瞳子ちゃんだった。
「トシくん今度は騎馬戦だからね。がんばろっ」
「さあ俊成、気合入れて行くわよ!」
二人から緊張した様子が消えていた。組体操という難敵を超えられて元気になったみたい。
でもこのまま引っ張られても困るんだけどな。
「いやいや、いっしょにはいけないよ。騎馬戦は男女別なんだから」
はっとして二人は止まった。緊張感が抜けてしまったせいか、同時にいろいろと抜けてしまっていたようだ。
騎馬戦は六年生全クラスでのバトルロイヤルだ。どうしても乱戦となってしまう。
男子では本郷を擁する騎馬が大活躍した。次々とハチマキを取っていく。制限時間がこようかとするところで俺も本郷にハチマキを奪われてしまった。悔しい!
男子は負けてしまったが、女子では小川さんが大活躍した。背の高い小川さんは一方的にハチマキを奪っていく。葵ちゃんはハチマキを取れないが、下になっている瞳子ちゃんと美穂ちゃんに的確な指示を送り自分のハチマキを死守した。
午後の部も一進一退の攻防が繰り広げられていく。そして、残す競技は学年対抗リレーだけとなっていた。
「泣いても笑ってもこれが最後! みんな気合入れていきなさいよ!!」
小川さんがクラスの士気を上げる。四、五年生のリレーが終わっても一位をキープしているものの僅差のままだ。俺達六年生のリレーですべてが決まるのだから力も入るだろう。
「あおっち。みんなに一言お願いします」
「ええっ、ここで私?」
小川さんのキラーパスに葵ちゃんはこほんと咳払いを一つ。それだけでクラスメート達は耳を傾ける体勢となった。
「みんな、最後まで気を抜かずにがんばろうね」
笑顔とともに放たれた言葉に雄たけびが上がった。男子連中のやる気はマックスだ。
最後の種目というのもあってか、今までで一番の注目度だ。これで優勝が決まるのだからどの学年も等しく大きな声援を送っている。
「位置に着いて、よーい……」
先生がスターターピストルを鳴らした。スタートダッシュでトップに立ったのは、瞳子ちゃんだった。
今回は瞳子ちゃんが一番手で俺がアンカーを務める。俺達のクラスの男子はそこまで足の速い奴はいないのだが、逆に女子には期待できた。
おそらく女子だけなら学年トップ3は瞳子ちゃんと美穂ちゃん、それに小川さんだろう。その三人がクラスに固まってくれていると考えればそう悪いメンバーではないのだ。
しかし俺達四組と違って男子が強いクラスもある。それが本郷のいる一組である。
学校一の脚力を持つ本郷を始めとして、運動クラブで活躍している子が一組にはけっこう多いのだ。間違いなく一番のライバルだろう。
だがリレーは総合力だ。いくら速い連中がいるとはいえ全員というわけじゃない。
最初は瞳子ちゃんがリードを作ってくれていたが、葵ちゃんは何人かに抜かれてしまった。それでも小川さんが再びトップ争いできるところまで持ってきてくれた。
抜かし抜かされる度に周囲が盛り上がる。みんな一所懸命がんばっていた。
「なあ高木」
「なんだよ本郷?」
バトンが渡る度に順番が迫ってくる。同じアンカーである本郷は暇なのか話しかけてきた。
「今日は勝たせてもらうからな」
にっと爽やかスマイルを浮かべる本郷。全国で活躍したらしいサッカー少年はここでも相変わらずだった。
こういうのも青春っぽくていいな。なんて考えてしまうと口元が緩んでくる。それを隠すように本郷から顔を逸らしながら返事した。
「こっちこそ負けないからな」
四組は美穂ちゃんにバトンが渡る。次はアンカーである俺なのでスタート位置に着いておく。
二位だった美穂ちゃんは簡単に前を走る子を追い抜かしてトップに立つ。終盤を迎えたこともあって今までの比じゃないくらいに盛り上がる。
「お願い高木!」
「任せろ!」
美穂ちゃんからのバトンをしっかりと受け取る。前には誰もいない。このままゴールできれば俺達四組の優勝だ。
地面を蹴る。加速していく。風を突っ切る。
トップとはいえ独走ではなかった。他のクラスもすぐにアンカーへとバトンが渡っていく。そう実況が事実を述べてくれた。
背中からプレッシャーが突き刺さるようだ。みんな俺を追い越そうと追ってくる。足音が恐ろしく感じる。
ここで勝つか負けるかが決まってしまう。負けるわけにはいかなかった。みんなのため、それ以上に俺の意地のために!
プレッシャーが近づいてくる。走っているだけじゃない興奮が心臓の鼓動となって教えてくれる。
トラックのカーブを曲がり、あとはストレートだけ。ゴールテープが見えた。
けれど、見えたのはゴールテープだけじゃなかった。視界の端で誰かが走っている。本郷だ。
同年代でも俺は速い方である自負がある。それでも本郷の脚力には勝てる気がしない。それほどには差を感じてしまっていた。
並ばれてしまえば抜かされるのはあっという間だろう。
「このぉぉぉぉーーっ!!」
「うおおおおおおーーっ!!」
最後の力を振り絞る。本郷も必死の走りを見せた。
互いに競い、勝ちなんて譲ってやらないと本気で思った。
本郷が俺と並ぶ。ゴールはもうすぐだ。負けてやるもんかと前傾姿勢になった。
「俺の勝ちだぁぁぁぁぁぁーー!!」
俺と本郷の声が重なった。ゴールテープを切った感触が確かに俺の胸にあった。
「おい、今のは俺の勝ちだったろ?」
ゴールしてから本郷が確認する。呼吸が苦しいが教えてやらないといけない。
「いや、俺の方が速かっただろ。一着は俺だよ」
「待てよ高木。絶対俺の方が速くゴールしてたって」
「何言ってんだよ本郷。ほんのちょっとかもだけど完全に俺の方が速かったね」
他のクラスもゴールしていく中、俺と本郷は睨み合う。男としてここは退くわけにはいかねえ!
「まあまあ二人とも。先生が話し合ってるみたいやから結果が出るまで待とう。な?」
俺と本郷の間に佐藤が割って入る。佐藤の言う通り、先生が集まって審議中のようだった。
自信がある俺は余裕の態度で待ってやる。本郷も余裕の表情を見せる。どっちが正しいかはすぐに結果が出るだろう。
「えー、ただいまの結果ですが……」
結論が出たようで、一人の先生がマイクを持って口を開いた。俺は唇を笑みの形に作りながらそれを聞くのであった。
※ ※ ※
運動会が終わった。片づけも終えたのでみんな帰り支度をしていた。
「俊成、いい加減機嫌直しなさいよ」
「そうだよ。優勝したんだからいいじゃない」
瞳子ちゃんと葵ちゃんが俺をなだめようとしてくる。別に機嫌を悪くした覚えはないんだけどね。
「別に……、ただ俺が絶対に勝ってたって思ってるだけ」
「めちゃくちゃ気にしているじゃない」
瞳子ちゃんが呆れたと言わんばかりの表情を浮かべる。なんか納得できない。
結局、俺と本郷は同着一位ということになった。元々の得点がリードしていたのでそのまま四組の優勝が決まったのである。
せっかくだったら完全勝利を収めたかったものだ。引き分けというのは締まりが悪いというかね。なんか決着がついた気がしないのだ。
「でも、トシくんのそういう顔を見られて良かったかも。いい思い出になったよ」
「そ、そういう顔ってどんな顔だ?」
まさか変顔してたわけじゃないよな? なんか不安になってきたぞ。
「そうね。今日は本当に楽しかったわ」
瞳子ちゃんが表情を緩ませる。葵ちゃんの顔も優しいものだった。
夕焼けに照らされて二人に朱色が加わっている。美しく、とても写真映えのする光景だと思った。
パシャリ、とカメラのシャッター音に俺達は反応する。見れば葵ちゃんのお父さんがカメラを構えていた。
「うん、いい写真が撮れた。さあ帰ろうか」
葵ちゃんのお父さんはダンディさを感じさせる笑みを浮かべる。すぐにカメラを片づけてしまい、荷物を運んでいく。俺達は顔を見合わせると、なんだか笑いが込み上げてきた。
後でさっきの写真をもらえるように交渉しよう。なんてことを考えつつも、無事に小学生最後の運動会を終えたのであった。