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第139話 奇妙で不都合な関係

 何もかもが上手くいくと思っていた。いつからそんな錯覚を起こしてしまったのだろうか……。


 初めて三人だけでの旅行を終えてから。俺は葵と瞳子に想いを伝えた。

 二人を愛している。いつまでもいっしょにいようと。そう誠心誠意伝えた。


「トシくん、それは違うよ」


 返答は葵の仏頂面とセットであった。

 なんだか論破されそうな予感。いつもの柔らかい雰囲気はどこへやら。彼女の放つオーラに緊張させられる。


「いつまでもいっしょにいたいのは私達も同じなの。でも、最終的には一人だよ。私か瞳子ちゃん、どちらか一人だけが結婚できるの」


 さらりと出た「結婚」というワードに背筋が伸びる。最初からそう考えていたこととはいえ、彼女の口から聞くのでは重みが違う気がした。


「だからその……海外に移住するとか、探せばいくらでも三人で結婚できる方法はあるはず──」

「私は」


 俺の言葉を遮る葵。仏頂面は継続したままだった。


「私は、トシくんを独り占めしたいよ」


 その瞳はまっすぐで。綺麗な黒の瞳は俺だけを映していた。


「私は瞳子ちゃんが大好き。瞳子ちゃんじゃなかったら二人でトシくんの恋人になろうだなんて考えもしなかった。むしろ三人でいるのが心強かったよ」


 でも、と葵は続ける。


「それでも、トシくんが私だけを見てくれたらいいのにって思ってたよ。そのための恋人関係でしょ? トシくんが私か瞳子ちゃん、きちんと答えを出すための関係だったはずじゃない」

「……」


 思い違いをしていた自分にようやく気づき、言葉が出なくなってしまった。

 葵は「そうだよね」と同意を求める。この場で一言も口を開いていない瞳子に顔を向けた。


「……そうね」

「瞳子ちゃん?」


 彼女にしては歯切れが悪い。葵もそう思ったらしく怪訝な顔になった。

 俺達の反応にはっとした瞳子はわたわたと手を振る。


「ち、違うのよっ」

「何が違うのかな? かな?」


 葵が笑顔で瞳子ににじり寄る。なんという威圧感。さすがの瞳子ものけぞった。


「あ、あたしも葵と同意見よ。ただ、俊成がその……あたし達を抱いた、のは、それだけ覚悟を持っていたってことじゃないかしら……」

「だから?」


 葵は笑顔のままだった。瞳子はうつむくが、やがて再び口を開いた。


「……ううん。俊成の答えを聞いて、あたしは少しほっとしたわ。どちらかを選んで……あたしが選ばれない結末じゃなかったんだって、そんな風に思ってしまったの」

「……」

「あたしだって俊成を独占したいわ。でも、この関係が壊れてしまうのだとしたら……とても怖い……」


 そこまで言って瞳子は押し黙ってしまう。葵も黙り込んでしまった。

 三人でいっしょにいたい。唯一無二の存在を独占したい。それはどちらも心に抱いていることで、俺だけしか答えを出せないことだったのに中途半端になってしまった。

 いや、中途半端な気持ちだったわけじゃない。少なくともこの告白を口にするまでは本気で葵と瞳子、二人ともを幸せにしたいという気持ちだった。

 だから俺は二人を抱いた。それだけの気持ちがあるのだと、行動で示したつもりだった。本心をさらしたつもりだった。

 それでも葵が怒っているし、瞳子が不安をあらわにしている。

 きっと足りなかったのだ。出した答えもそうだが、気持ちの上でも足りなかった。

 俺には前世がある。このアドバンテージは特別なもので、何もかもが上手くいくと錯覚させていたのかもしれない。

 ズキリと頭に痛みが走る。刹那、見えたのはあの日の夢の光景。

 かぶりを振る。夢は関係ない。ただ傲慢になっていた自分を戒める。

 最悪なのは二人ともを手放すことだ。こんな情けない形で手放してしまえば、それこそ悔やんでも悔やみきれない。

 自分に問いかけろ。俺にとっての一番は葵と瞳子だ。二人とも大切な存在なんだ。


 ……本当に、一番が二人も存在しているのか?


 葵と瞳子はどちらもかわいい。二人ともが大好きだ。優劣なんかつけられるはずがない。

 だけど、二人は別々の存在だ。宮坂葵という女の子であり、木之下瞳子という女の子なのだ。


「……」


 なんのために彼氏彼女の関係になったのだ。彼女達をもっともっと深く知るためだろう。そうやって俺にチャンスをくれたんじゃないか。

 いつの間にか幸せな未来図ばかりが俺の心を占めていた。

 未来に目を向けることが悪いわけじゃない。しかし遠くを見すぎれば今をないがしろにしてしまう。少なくとも、今の二人の気持ちをちゃんとは考えられていなかった。


「ごめん……もう一度だけ、チャンスをくれないか?」


 葵と瞳子は無言で続きを促してきた。


「どっちも好きで、やっぱり選べないからって都合のいいことを言った……。葵には俺の答えが逃げに映ったんだろうし、もう一度だけ答えを口にするチャンスがほしい、です……」


 我ながら格好悪いにもほどがある。男らしく決めてやろうだなんて考えていた奴はどこのどいつだったのか。穴があったら入りたい。


「逃げ、だなんて、思わなかったよ」


 葵の顔は真剣そのもので。俺は自分に恥じ入るしかない。


「でもね、きっと三人でいられない時はくると、思うの。そうなった時、私は後悔しちゃうから……。きっと、ううん絶対後悔しちゃう」

「そう、よね」


 瞳子が意を決した面持ちで大きく頷いた。


「あたしも後悔だけはしたくない。後悔しないために、全部を出し切るための関係だったはずなのに、いつの間にか目的が変わっていたみたいだわ」


 不安の感情を引っ込めて、瞳子は不敵に笑った。


「いいわ葵。これからが本番よ」

「うん、負けないよ瞳子ちゃん」


 葵と瞳子は互いの顔を見合って火花を散らせた。なんだか久しぶりに見る光景である。


「そして、どっちが勝ったとしても」

「あたし達の関係が消えるわけじゃない。だから──」

「トシくんを」

「俊成を」

「「守ってみせる!」」


 二人はそう言って笑い合った。俺が守られるってのはなんか違うんじゃないか? と、口を挟める空気ではなかった。

 じゃねえ! 自分の話のはずなのに何この蚊帳の外感。しっかりしろ俺!


「えー、それじゃあまた後日……」


 話を先延ばしにしようとして、こんな曖昧に終わっていいのかと俺の中で誰かが叫んだ。


「こ、今年中にっ」

「ん?」


 気づけば、口をついて叫んでいた。


「今年中に、必ず答えを出すから……だから、あとちょっとだけ待っていてくれ」


 言ってしまった。自分の首を絞める発言だとわかっていながら言ってしまった。これでもう、後戻りはできない。

 しばし無言の時間が過ぎる。正直目を覆いたくなる状況だ。自分の格好悪さに絶望感しかない。


「……わかったわ。もう少しだけ、待っていてあげる」


 握り込んでいた手がそっと柔らかい何かに重ねられる。見なくても瞳子が手を重ねてくれたのだとわかった。

 二人がいなかったら俺ってどうなっていたんだろうか。前世があるにもかかわらず情けない限りだけど、一人でやっていけた自信はまるでない。


「じゃあ、これからはルールを追加しようよ」

「ルール?」


 葵の提案に俺と瞳子は疑問符を浮かべた。


「今までといっしょじゃ変わらないなら、習慣を少し変えてみるべきだよ」


 たとえば、と悩む素振りを見せた葵は一度大きく呼吸をしてから言った。


「二人きりの時間を増やすの。三人いっしょじゃなくて、二人だけの時間を、もっと……ね」


 それきり口を閉ざしてしまう葵。視線だけは俺の方をまっすぐ向いていた。


「……うん。瞳子もそれでいいか?」

「もちろんいいわ」


 即答だった。迷いは感じさせなかった。

 二人きりになるってことは、もう一人とはその時間いっしょにいられないってことだ。葵にしろ瞳子にしろ、それは覚悟の上なのだろう。


「あら、舐めないでちょうだい。あたしだって俊成の傍にいられない時に何もしていないってわけじゃないのよ。俊成が見ていなくたって努力しているわ」


 フフン、と得意げな瞳子。そりゃそうか、と自嘲気味に笑う。

 彼女達が寂しがる、だなんて考えた自分が恥ずかしい。本当に寂しいのは自分の方だ。

 人の気持ちを自分と重ねるなんておこがましい。俺は俺。葵は葵で、瞳子は瞳子なんだ。


「わかった。ヘタレで申し訳ないけど、最後まで付き合ってほしい」


 恋愛って難しい。前世では縁がなかったから知らなかったけれど、今世ではとんでもない難問なのだと思い知らされ続けている。答えに辿り着けず迷走してばかりだ。

 複数の異性から好意を持たれているモテ男どもはこういう時どうするのだろうか? 少なくとも俺よりはスマートな答えを出していそうで羨ましい。……俺が羨ましがるのはおかしな話か。

 でも、本気で二人どちらともを幸せにしようと考えていた。葵の言葉で冷静になった今は熱に浮かされてしまったのだと気づかされる。

 ……だって、俺は葵と瞳子、二人を同時に抱いたのだ。


「あー……うー……」


 やらかしてしまった思いが強くなる。行為の了承を得たから大丈夫だと思っていたのに。むしろひどい行いをしてしまった。強い自己嫌悪に襲われる。


「ど、どうしたの俊成?」

「やっちゃったー、とか思ってるんだよ」

「え? どういうこと?」


 首をかしげる瞳子の耳元に口を寄せた葵が小声で何かを言った。すると瞳子の顔が一気に真っ赤に染まる。

 口をパクパクさせるだけとなった瞳子とは対照的に、葵は俺に笑顔を向けた。その笑みは妖艶さをかもし出していた。


「トシくん」

「な、なんだ?」


 まるで心の中を見透かされているかのように、葵の大きな目が俺を捉える。


「私達は恋人なんだから……」


 葵に抱きつかれる。力があるわけでもないのに、抵抗できないまま押し倒されてしまった。


「こういうこと、しちゃってもいいんだよ……」


 ぎゅっと密着してくる。彼女の柔らかさが充分に伝わってきた。俺の太ももを葵は両の太ももで挟む。

 何を言わんとしているのか行動で教え込まれる。刺激が脳髄に直接叩き込まれたような錯覚を抱く。なんて破壊力だ……。


「もっと、お互いを深く知り合おうね……トシくん」


 とどめの一撃だった。

 男って生き物は女には勝てないのだ。それを身をもって味わった。


「葵ーーっ!! 絶対に負けないんだからぁーー!!」


 頭がクラクラする最中、瞳子の叫びが木霊する。この後滅茶苦茶大変だった。


 変わらなければならない関係。いつも通りの日々ばかりを過ごすわけにはいかない。

 変わろうとする俺達はあがいていくことになる。不完全で未発達な三人は、足りない何かを埋めようと必死だった。

 俺はもちろん、葵も瞳子も完璧じゃない。それを知る頃には夏休みは終わり、二学期を迎えていた。

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