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第141話 先輩に誘われて

「トシナリ、あなたアオイと何かあったの?」


 本日、そう尋ねられたのは佐藤に続いて二人目だった。

 相手はクリス。休み時間に手招きされたからとついて行けば、人気のない場所で疑問を投げかけられたのだ。

 佐藤は小川さん経由で聞いたのだとわかるが、クリスの疑問はどこから出たのだろうか? そもそも彼女は俺達の複雑な関係は知らないはずである。

 ただの仲良し三人組。それくらいにしか思っていないはずだから。


「どうして俺にそんなことを聞くんだ?」


 ボロを出さないように疑問を返した。そこでクリスはうんと頷いた。


「やっぱり何かあったのね」


 なぜか疑問は確信に変わってしまったようだった。あれ、ボロを出したつもりはないんだけどな。

 クリスはいつもの明るい表情ではなく、真剣な表情で口を開いた。


「この間ね、ピアノのコンクールがあったの」


 ピアノのコンクール。それでピンときた。

 八月に葵が出るピアノのコンクールがあったのだ。高校生になって初めてのコンクールだからと、気合を入れていたのを知っている。

 俺と瞳子は応援に行くつもりだったのだが、当の葵から「今回は一人でがんばってみたいの」と言われてしまったのである。

 その後、結果はどうだったのかと聞いたものの、葵は教えてくれなかった。瞳子が聞いても同様の答えだった。言いたくないのならと、俺達はコンクールの話題に触れないようにしてきた。

 俺としても申し訳ないという気持ちがあったために、それ以上踏み込めなかった。

 一人でがんばりたい。葵がそんなことを言ったのは、少なからず俺の発言のためだとわかっていたからだ。俺の答えを引き出すために、一人で出す結果にこだわったのだろう。


「久しぶりにアオイの演奏を聴く。わたし、楽しみにしていたの」

「そうなんだ」

「でも」


 クリスは悲しそうに目を伏せた。それで、なんとなく答えがわかってしまった。


「悪くはなかった。でも感動もなかった。技術は今のアオイが上かもしれないわ。それでも、あの時の感動は少しも感じられなかったの」


 小学生の頃の話だ。葵が出場するピアノコンクールで、俺はクリスと再会した。クリスが初めて葵と出会った日でもあった。

 そして、クリスが葵のファンになった日でもあった。あの時、彼女は葵の演奏に魅了されたのだ。


「ねえトシナリ。なぜアオイの応援に来なかったの? あなたがいれば結果は変わっていたわ」


 クリスは断言する。俺の応援が葵の力になると、微塵も疑ってはいなかった。

 クリスは俺達の関係までは知らない。それでも、葵にとって、俺がどういう存在なのかは感じ取っているのかもしれなかった。


「なあクリス」

「何?」

「その時、葵は苦しそうにしていたか?」


 彼女の碧眼が宙を向いて、ピアノコンクールのことを振り返る。


「苦しそう、ではなかったわ」


 そうだ。あれで葵は前向きな女なのだ。

 本当は苦しいことだって、つらいことだってある。俺がその原因にもなっている。

 それでも、彼女はそんなこと感じさせない。それほどの優しさと力、そして根性がある女の子なのだ。


「葵は一人でがんばるって言ったらさ、本当にめちゃくちゃがんばってるんだよ。だから、もうちょっと見守っていてくれないか?」


 たぶん、葵はコンクールの内容に落ち込んでいる。思った結果、想像していた演奏ができなかったのだろう。

 それでも、それらを一人で乗り越えようとしているのだ。いくら心配だからって、自分の力でがんばろうとしている人を、支えるばかりが優しさではないと思うのだ。


「……そっか。トシナリが言うなら、そうなのね。なら、わたしが心配することは何一つないわ」


 クリスがぱっと表情を明るくする。金髪少女が懸念していたことは解消されたようだ。葵のファンを安心させられたのならよかった。


「アオイはステップアップしようとしているのね。なら、これからが楽しみね!」

「ははっ、そうだな」


 うーん、期待を煽っていいものか悩む。葵なら期待以上のことをしてくれそうな気がするけれど、俺がコメントするものでもないだろう。

 クリスは前屈みになって面白そうに俺を見上げてくる。彼女が首を傾けると、本場の金髪がさらりと流れた。


「ど、どうした?」

「さすがトシナリ。アオイのこと、とっても信じているのね」

「そりゃまあ、当たり前だろ」


 俺の答えに、クリスは満足そうにうんうんと頷いた。


「わたしもトシナリを信じているからっ。トシナリが言った、アオイのことも信じて期待しているわ」


 そう言い残して、クリスは金髪をなびかせながら教室へと戻って行った。俺の返答に満足したのか鼻歌交じりだった。


「信じる、か。俺も、ちゃんと信じなきゃな」


 信じる心が揺らがないように。期待を裏切らないように。これからは自分の心の機微に敏感になっていかなきゃならない。

 俺も負けないようにがんばろう。二人の期待を裏切ることが、一番怖いことなんだから。



  ※ ※ ※



 放課後。生徒会室の前に俺と瞳子はいた。


「野沢先輩があたしを呼ぶだなんて意外ね」


 瞳子が堂々とした態度で髪をかき上げる。髪を下ろした自分にまだ慣れていない感じがする。


「まあ、能力を考えれば瞳子が一番の即戦力だろうからな。俺は全然不思議じゃないよ」


 おそらく一年の中では総合力が飛び抜けている。性格も真面目だし、今の段階で生徒会長に推薦されたとしても、そう驚くことではない。


「ま、まあ、俊成に期待されているのなら、がんばってあげなくもないわ」

「そこんとこは野沢くんの話を聞いて、瞳子自身で判断した方がいいよ」


 あくまで俺は夏休みの時に受け取った野沢くんの伝言を伝えただけだ。瞳子が生徒会に入るかどうか、それは彼女自身が決めたらいい。


「……」


 しかし、ここで渋い表情を見せる瞳子。どうしたどうした?


「あたし、あまり野沢先輩が好きじゃないのよね」

「そうなのか?」


 確かに野沢くんは誰にでも笑顔を見せてくれるタイプってわけじゃない。高校生になってからは近づくだけでピリピリとした緊張を感じさせられるほどだ。

 でも、瞳子は野沢春香先輩を「春姉」と呼ぶほど仲良かったからな。彼女の弟相手に「好きじゃない」とはっきり口にするとも思っていなかった。


「まあいいわ。とにかく入りましょう」

「そうだね」


 俺は生徒会室のドアをノックした。すぐに「どうぞ」と声が返ってくる。


「失礼します」


 室内には男女一人ずつ。男子は野沢くんだけど、女子の方は誰だろうか? 先輩には違いないんだろうけども。


「生徒会執行部へようこそ!」


 その女子の先輩は歓迎するように笑顔で大きく手を広げた。そのせいで胸の部分にある大きな丘が強調される。

 ショートヘアで明るい表情。野沢くんの隣にいるとその明るさがより際立っていた。背後からピカーと光るオーラ的なものを感じる。


「私は書記の垣内明日香。学年は二年ね。よろしく!」

「よ、よろしくお願いします」

「……よろしくお願いします」


 なぜか隣の瞳子から刺々しい気配を感じる。しかも俺に向けられている気がするのは……、気のせいだよね?

 それにしても、垣内って……。佐藤が言ってた人だっけか。彼女が役員だから「すぐわかる」だったのか。


「まずは座ってくれ」


 野沢くんに促されて椅子に座った。対面の席に野沢くんと垣内先輩が座る。


「始業式でも言ったが、会長としての俺の任期もあとわずかだ。よって、新しい役員を募ろうと動いている」


 生徒会長は選挙で決めるけれど、役員は今の生徒会役員の推薦で決められるんだったか。会長になってからいきなり役員集めをするのも大変だろうし、これが野沢くんの最後の仕事なんだろうな。


「会長ってば優しいんだよー。本当なら新しい役員は新しい生徒会長が選ばないといけないのにね、こうやって役員探しに付き合ってくれてるの」


 あれ、そうなのか? もし現生徒会役員で次の役員を推薦できなかった場合には、新しい会長が探さなきゃならないようなことを聞いた気はするけれど……。別に野沢くんの仕事ってわけでもないのか?


「黙れ垣内」

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。後輩に会長の良さをわかってもらおうとする、健気な私の気持ちを汲んでくださいよ」


 野沢くんははぁと疲れたようなため息を吐いた。

 すごいな垣内先輩。あれだけピリピリしている野沢くんに怖がるどころか笑顔で対応している。それどころか彼とのやり取りを楽しんでいるように見えた。


「えっと、次の生徒会長って垣内先輩ってことでいいんですか?」

「そだよー。一応選挙があるけど、生徒会役員から推薦された人が会長になるのがほとんどだからね。そんなわけでー、ちょっと早いけどよろしくね高木くん」


 野沢くんに呼び出されたのだ。俺と瞳子のことはすでに聞いているのだろう。


「それで? なんであたしと俊成が呼ばれたのかしら?」


 見知った人がいるとはいえ、瞳子が珍しく高圧的だ。野沢くんのことが好きじゃないって言ってたし、仕方ないのだろうか。


「もう予想はついていると思うけど、二人には新しい生徒会の役員になってもらいたいからです!」


 ババン! と効果音でもつきそうな調子で言われてしまった。野沢くんから垣内先輩に会長が代わるって、この変化についていくのが大変そうだ。


「そういうことだ。新しい役員を俺が全員決めてやるつもりはないが、お前達二人がいれば、垣内を支えて仕事を回せるだろうと、それだけの能力がすでにあると判断した」


 あれ、野沢くんがいつになく俺を褒めている? いつも厳しい目を向けられていたばかりだったから、なんだか新鮮だ。理解するにつれて嬉しさが込み上げてきた。


「せっかく会長が推薦してくれたんだし、生徒会執行部に入ってみない? 先輩なのに申し訳ないんだけど、私もこれから頼っちゃうと思うのよ。だからこそ、みんなで協力して盛り上げていこうよっ」


 垣内先輩も身を乗り出してたたみかけてくる。動きが大きくなると胸の部分にある丘も動いた。丘って動くのか……。

 ええいっ、視線を向けるだなんて失礼だろうがっ。葵と接してきた俺には耐性がある。最近その耐性も強固なものになったはずだ。

 それはそうとして、ここまで言われるとやる気になってくる。とくに垣内先輩は人を乗せるのが上手いな。野沢くんに頼られるってのもなかなかないことだしね。


「高木くん、木之下さん。生徒会の役員……どうかな?」


 瞳子がいる手前、すぐに返事するつもりはなかったけれど、こんな風に尋ねられたら答えないわけにもいかないだろう。


「……気に入らないわね」


 瞬間、空気がピシリと固まった。

 その声は俺の隣、瞳子から発せられたものだった。彼女は厳しい目で対面の人物を見つめていた。


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