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第171話 これから大人になるために必要な選択

 大通りから少し離れた、静かな場所に建てられたレストラン。

 重厚な木製の扉を開けば、温かな照明が俺達を出迎えてくれた。


「わあっ、綺麗なお店だね」


 葵が吐息交じりに感想を漏らす。

 おしゃれで雰囲気のある内装。高校生からすれば充分に大人の空間と言えた。


「俊成はよくこんなお店知っていたわね」


 瞳子が感心したように言う。

 壁に飾られた美しい絵画や花瓶に生けられた季節の花。店内の装飾の一つ一つに丁寧なこだわりが感じられて、ムードを良くしてくれている。


「今日のためにがんばって調べたからな」

「あたし達……こんな格好だけれど大丈夫かしら?」

「心配しなくてもそこまで格式ばった店でもないんだ。高校生でもちょっと贅沢できる。そういう親しみやすさも売りの店だから」


 メニューによってはお手頃価格。地元で愛されている隠れた名店ってやつだ。

 今回は特別な日なのでコース料理なんか予約しちゃってたりして。さすがにちょっとどころではない贅沢だけど。特別な日、貯めていた金を使う場面はここだろう。

 キリッとしたウェイターに奥の席へと案内される。他のカップルや家族も、ちょっと贅沢なディナーを楽しもうと訪れていた。

 穏やかな照明に照らされて、葵と瞳子の顔がいつも以上に大人っぽく見えた。二人のあまりの美しさに、談笑していたカップルや家族の視線が注がれる。


「少しだけ、緊張するわね」

「うん……。なんだかドキドキしちゃう」


 瞳子が俺の右肩に、葵は俺の左肩へとしなだれかかる。

 興味本位の熱視線。そんなものを向けられて、俺が頼りなかったら二人に恥ずかしい思いをさせてしまう。


「二人が綺麗だから、みんなの目を惹いているだけだ。胸を張って堂々としていればいい。その方が可愛くて魅力的だよ」

「トシくん……」

「俊成ったら……もうっ」


 二人は照れながらも、俺の歩みに合わせてくれる。

 ウェイターに案内されたテーブルは白いテーブルクロスに覆われて、高級感溢れる食器とグラスが綺麗に並べられていた。


「なんだか、大人の世界に入ったみたいだわ……」


 瞳子がうっとりとした様子で呟いた。


 大人、か……。

 体は子供、頭脳は大人。そんな優秀な俺だったら良かったのだけど。実際の俺は経験不足すぎて、初体験や上手くできないことが多すぎた。

 前世でどれだけ情けない人生を送ってきたのか思い知らされてきた。むしろ葵と瞳子の方が大人だと感じることが多かったほどに。

 幼い頃は俺がリードしてやれることが多かったはずなのに、いつの間にか俺以上に大人になっていて……。彼女達にどれだけ支えられてきたのか、もう数えられないほどになっている。

 そんな二人は外見も中身も大人の女性と言っていいほど立派に成長した。学校だけではなく、こんなおしゃれな店の中でさえ人の目を惹いてしまうほどに美しい。


「夜景が綺麗……」


 葵は椅子に座ると、窓から見える光景に目を奪われていた。

 テーブルのすぐ横には大きな窓があった。少し丘にあるレストランから見える光景は、クリスマスというのもあってか灯りに彩られてロマンチックだ。


 葵も前世の記憶があった。俺と同じように……いや、彼女の場合は自覚するまでにかなり時間がかかったのだったか。

 出会った頃は確かに年相応の女の子だった。元気で、無邪気で、可愛くて……。年頃の可愛らしさがあった。

 でも、今の葵の雰囲気は違う。

 可愛らしさがなくなったわけじゃない。むしろ可愛すぎるほどだ。自分をどう見せれば良いのか。そこまで考え尽くされているように感じるほどに。


「本当に綺麗ね……」


 瞳子は……どうなのだろう?

 俺と葵には前世の記憶がある。だったら彼女も俺達と同じように記憶があってもおかしくないはずだ。

 葵が言うには、瞳子にも前世がありそうな気配がある。けれど、その記憶は夢のようで。はっきりとはせず予知夢みたいなものだと思っているらしい。

 確かめるべきだろうか? そんなことを考えるばかりで、結局自分の気持ちを確かめるのに精いっぱいで、彼女に聞けないまま今日という日を迎えてしまった。

 ……いや、関係ないか。


 始まりは前世の後悔だった。

 うだつの上がらない自分。結婚できなかったどころか、恋人の一人もいなかった。

 だから可愛い幼馴染を作ろうと思った。こんな自分でも、小さい頃から仲良くしていれば、女の子に好きになってもらえると思ったから。

 今思えば、なんて浅はかな考えだったのだろう。


「ねえ、俊成もそう思うでしょ?」

「うん。確かに、綺麗だ……」


 俺の浅はかな想像を軽々と飛び越えて、本当に綺麗になった。

 前世なんか関係ない。今、俺の前にいてくれる女の子。それがすべてだ。


 静かに料理が運ばれる。

 最初は季節の野菜と海の幸のテリーヌ。テーブルマナーに戸惑うかと思ったけど、二人とも慣れたものだった。俺が教える隙もない。


「わぁ、すっごく美味しいね。大人の味、みたいだよ」

「口の中でとろけるわ。こんな食感初めてよ」


 食の満足感からか、葵と瞳子の表情が緩む。


「お嬢様方のお気に召したのなら良かった。でも、まだまだ序の口だからね」


 俺の言葉に応じたわけでもないのだろうが、次の料理が運ばれてくる。そのどれもが色彩や形、風味と芸術的なレベルにまで昇華されている。

 洗練された味わいは、共有しているだけでコミュニケーションの一つとなる。

 こうして、俺達は海の幸を生かした料理を楽しんだ。


「こんなに美味しい料理を食べられて、私幸せだよ」

「まさかこんな素敵な場所でこんなに美味しい料理を食べられるなんてね」

「素敵な女性と美味しい食事ができて、俺も幸せだ」


 美味しい食事で油断していたのだろう。俺の言葉を耳にした葵と瞳子は頬を朱に染めた。

 一滴もアルコールを飲んでいないのに、二人の目がとろんとする。ロマンチックな雰囲気に酔ったのか、それとも食で幸福感に満たされたのか。きっと両方だ。

 そして、それは俺とのデートへの満足感に直結する。


「……」


 もし結婚を申し込むのなら、このタイミングなのだろう。

 葵も瞳子も、満たされた表情を浮かべている。綺麗な目は俺への愛情に満ちていた。

 ……どちらか一人だったら、ここでプロポーズしていたかもしれない。

 しかし今は違う。その時ではないのだ。その前に、しなければならないことがある。

 今日は、俺がずっとしなければならなかった決断をする日なのだから。



  ※ ※ ※



 外に出ると星が瞬いていて、俺の心とは対照的な雲一つない澄んだ夜空だった。

 ディナーの後の満足感。俺達の足はイルミネーションが輝いている方へと向いた。

 軽い足取り。笑顔いっぱいの表情。弾む会話。

 ……この幸せな時間を終わらせなければならないのは、俺自身だった。


「すごい……綺麗……」


 クリスマスに特別に飾りつけられたイルミネーション。人工的な光なのに幻想的に感じる。

 明る過ぎる光が、クリスマスならではの光景に見惚れている葵を照らす。「綺麗なのは葵の方だ」だなんて、ありきたりで恥ずかしいセリフが思い浮かぶ。


「本当にそうね。こんなに綺麗なイルミネーションを見るのは初めてかしら……」


 瞳子もイルミネーションで幻想的な光を帯びていた。眩しそうに細められた目は、光とは別のものを見ているようでもあった。

 俺達はいろんなクリスマスを過ごしてきた。

 家族ぐるみでクリスマスパーティーをしたり、家族ぐるみでテーマパークに連れて行ってもらったり、家族ぐるみで旅行に行ったりと……様々なことをやってきた。俺達が一緒にいられたのは親のおかげだ。本当に感謝している。

 すごく楽しかった。こんなに楽しいクリスマスは前世で経験したことがない。そう、何度思ったことか。

 今日もそうだ。葵と瞳子と、三人で一緒にいられるだけで楽しくて、幸せだ。


「二人に、話があるんだ」


 他にもイルミネーションを目的に来ている人達がいるはずなのに、なぜかぽっかりと空いた場所。まるで見えない壁でもあるみたいに、誰も俺達の近くに寄りつかない。

 不思議だけど、こんなことは不思議でもなんでもない。それなら、俺達の方がよっぽど不思議な存在だから。


「大事な話を、したいんだ……」


 もし、逆行して赤ん坊からやり直させてくれたのが神様の仕業だったとしたら……。きっと、ここだけは誰の邪魔も望んではいないのだろう。


「うん……」

「わかっているわ……」


 いや、神様以上に邪魔されたくないと望んでいるのは二人の方か。

 覚悟を決めた表情。俺がどんな答えを出そうとも受け入れてみせる。そんな強い意志を感じさせた。

 葵と瞳子はどちらが言うでもなく、俺と距離を取って正面から相対した。

 瞳が揺れている。葵も瞳子も、不安を抱えているのは同じだ。

 選ぶ立場の俺でさえも不安でいっぱいだった。本当にこれでいいのかと、数えられないほど自分に問いかけてきた。


「ずっと待たせてごめん。優柔不断でごめん。二人の時間をくれて……ありがとう」


 悩んできて、その結果苦しんだのは自業自得だ。いくら二人が魅力的だからって、言い訳にはできない。

 待たせたのは俺が全面的に悪い。そして、葵と瞳子がそんな俺を許してしまうほどに優しすぎた。


「たくさん考えて、考え抜いて……後悔のない答えを出したつもりだ。その、俺の答えを、聞いてほしい……」

「もちろん聞くよ! トシくんが精いっぱい悩んでくれて、それで選んでくれたんだよね? どんな答えだとしても……私は絶対に最後まで聞く」

「あたしも。俊成がどんな選択をしたのか、正直怖いけれど……。俊成があたし達のことを真剣に考えてくれたのを知っているわ。だから、聞かせてほしいわ」


 少しだけ顔を出した俺の弱気を、二人は力強く吹き飛ばしてくれた。

 ああ……これだから葵も瞳子も、最高に素敵な女の子なのだ。


「ありがとう。二人とも……本当にありがとう」


 手足が震える。寒さではなく緊張から。

 口を開こうとして、唇まで震えていることに気づく。深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。

 これから紡がれる言葉は俺達の将来を決定づける。

 とても大きい選択だ。それだけの重みがある。でも、決めたのだ。

 三人の将来のために。それぞれの未来に進むために。

 俺の本心。真っ直ぐで強く固い意志を二人に伝える。

 それが、これから大人になるために必要なことだろうから。


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