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第44話 あるべき姿

 アルは枕を抱いて、私の言葉に耳を傾ける。


「皆様も、良くしてくださいました。まだ婚約者である私は、夫たる貴方の戦功によって、今後の身の振り方も考えねばなりません。考えたくもありませんが、討ち死にの可能性もあるのですから……」


 それは離れていた間、何度も見た悪夢。傍に行こうとしても、進まない足。声にならない叫び。ただ、目の前で愛する人を、貫く刃を見ているだけ。赤く染っていく世界で、飛び起きる日が続いた。すぐに遠見で無事を確認して、安堵していたのを覚えている。


「ふとした時に、不安で苦しくなるんです。遠見で状況は把握していましたが、いつ何が起きるともしれません。そんな時に、フェティア様やリリエッタ様がお茶に誘ってくれるんです」


 お二人は、めいっぱい可愛く部屋を飾り、美味しいお茶と一緒にアルの昔話しを聞かせてくれた。私の知らないアルの事を知るのは、とても楽しくて。つい思い出し笑いをすると、アルは少し拗ねたように口を尖らせた。


「何? ︎︎変な話しとかしてないよね? ︎︎あいつら口が軽いからな~」


 そこはやはり兄妹。よく分かっている。


「ええ、お聞きしましたよ? ︎︎フェティア様はアルの三つ下ですから、物心がついたのは私と出会った後で、当時の事をよく覚えておいででした」


 くすりと笑うと、アルは枕に突っ伏し、首元まで赤くなって悶えていた。


「う~っ! ︎︎一番リリー本人に知られたくない時期じゃない!」


 聞いた私でさえ気恥しいお話しの数々だったのだから、当人にとっては触れられたくない部分なのかも。


 私と出会ってからのアルに、陛下や王妃様は相当手を焼いていたらしい。身辺調査は当たり前で、ドレスの寸法や食の好み、一日の予定まで調べつくし、実家と取引のある農家や商会とも接触していた。。どおりで、初日から私好みの食事が出るはずだ。その中でも一番力を入れていたのが、私に送られる婚約の打診をことごとく握り潰す事。お父様さえ知らない内に消えた縁談は、数知れないという。


 その他にも、ネフィが言っていた寝所の作法を記した教本の話しや、私が学んでいる事を調べ倣ったり、騎士に混ざって修練していたりと、使えるものはなんでも使っていたとか。


 幸いアルは王太子として育ったから、権力や財力に恵まれていた。特に、権力は貴族相手には効果が絶大だ。私の手に渡る前に、釣書を握り潰す程度は造作もない。


 それでいて善政を旨とし、宰相や他の派閥を牽制している。ある意味、王族らしい王族と言えるだろう。


 国を良くするには表も裏も、使いこなさなければならないのだから。それを非難する事は、誰にもできない。民衆は知る事さえないけれど、その恩恵で平穏な生活ができているのだ。


 私も、予定通りに進んでいれば領地を盛り立てるため、時に他者を踏み台にしなければならなかった。特産品の売利上げを伸ばすのは、同種の商品を扱う人達を押し退けるという事と、同等の意味を持つ。


 領地が栄える裏には、飢える人がいる。同じ国内であれば、話し合いでそれぞれの取り分を決めもできた。しかし、他国となればそうもいかない。だからこそ、宰相はアックティカに組したのだと思う。


 まだ発展の余地がある農業国家で権力を握れば、税収や農作物の独占も可能になってくる。おそらく、丞相で終わるつもりはなかったのだろう。甥のピエット伯爵も連れて行っているのだから、このカーザイトだけでなく、アックティカの掌握も計画に入っていたはずだ。


 最悪の結果は避けられたと思う。それでもまだ芽は残っている。


 不意に黙った私に、アルは首を傾げた。


「りりー? もしかして、嫌いになった……?」


 その声は不安気で、逞しくなった体でも可愛く見える。その不安を取り払うように、私は明るく応えた。


「いえ、頼もしい伴侶に出会えて幸せだなって思っていました。貴方は王家の何たるかを、よく理解していらっしゃいます。善政の意味を履き違える事無く、まつりごとを行うのは難しい事です。権力だけを欲する王も愚かですが、善だけを欲する王もまた、愚かと言えます。でも貴方は、裏も表も知っている。それは王として重要な事でしょう」


 それは意外な言葉だったのか、アルはきょとんとしている。そして次第に笑みへと変わっていった。


「うん、僕も幸せ。リリーも、王妃として必要な事をちゃんと理解してる。君の言う通り、政は奇麗事だけじゃ成り立たない。父上にも恨みを持ってる奴は多いだろうね。まぁ、その筆頭だった宰相が消えたから、やりやすくはなったかな」


 二人で見つめ合い、笑っていると控えめなノックの音が響く。


「昼食をお持ち致しました」


 聞こえたのはネフィの声。


 そこではたと気が付く。身にまとっているのは薄絹一枚だけ。ほぼ裸の状態だった事を思い出し、入室を阻もうと叫ぶ。


「待って! まだ……っ!」


 しかし、それは失敗に終わるのだった。


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