「……で?」
「くっ! 禁断症状で右手が……っ!!」
右手を支えながら包みを開ける様子にため息を漏らし、仕方なく中から一つドーナツを差し出した。
「これよこれ! コレが無いと一日が始まらないわ!!」
「もう四時ですけどね」
「いやぁ! うめぇ!!」
「先輩、食べるか矢を放つかどちらかにしてもらっても良いですか?」
食べながら忙しなく弓を絞る先輩にコーヒーを差し出す。そもそも油とか砂糖とか着かないのか?
あれか、気にしない族か?
「ふぉぉっ! コーヒぃ!」
「テンションおかしいですよ。ドーナツでキマらないで下さい」
「私はここのドーナツを食べている時が一番幸せなんだよ!」
「……で、矢を放ってしまう、と?」
「それについては申し訳ない! ドーナツの穴を見ると……つい」
「つい?」
店先の看板を指差した。ドーナツの絵が著しくベコベコに凹んでいる。先輩の仕業だ。
「いいじゃないの耕平。こうして可愛い娘が来てくれるんだから」
奥でドーナツを揚げていた母が、ひょっこりと顔を出した。
「看板の修繕費の方が高く付くんだが」
「いいのよ! 美味しそうに食べてくれる人が居るだけで母さん幸せよ!」
「そんな美智子さん、看板娘だなんて」
「看板娘ってそういう意味じゃないからね!?」
「あ、見てみて耕平君。久々に真ん中に当たったよ?」
「打ち方やめい!!」
「今日は調子良さそう。そろそろ部活に戻るね」
「頼むから道具は置いてきて下さい」
そんな訳で、今日もドーナツを食いまくった先輩は部活へと戻っていくのだった。
「耕平?」
「……なに?」
「気付いてるんでしょ?」
出来立てのドーナツに砂糖をまぶしながら、母がニヤッと笑った。
「……」
先輩は俺が店を手伝う月水金にしか来ない。
つまり……その……やっぱりそういう事なんだろうか……?
「歩美ちゃん調子悪そうなの」
「そっち!? ゴメンそれは分からなかった」
「……なんだと思ったの?」
「い、いや──」
「ふ〜ん……」
ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ、砂糖をまぶし続ける母。そろそろドーナツが砂糖の山に埋もれてしまいそうだ。
「本当の看板娘になるのも案外近そうね〜ホホホ」
「ドーナツの穴に小指を食われてしまえ」
「まっ! 耕平ったら反抗期ね!?」
「へーへー」
「さて、注文分が出来たから耕平届けてくれる?」
「あいよ」
ドーナツがギッシリと詰まった箱を自転車に乗せ、走り出した。
配達後、たまたま通りかかった弓道場の傍。たまたま疲れたので自転車を降りると、たまたま練習をしていた先輩が目に入った。
「うーん……ああやって真面目に構えてると、格好いいと言うかキマってると言うか、う〜ん……」
しばらく眺めていたが、やはり母の言った通り調子はあまり良くなさそうだった。
「三年はもうすぐ引退か……最後の試合くらいはベストで挑んで欲しいけど」
焦れば焦るほど集中力が切れてゆく。
やがて全く安定しなくなった先輩が休憩へと入ったところで俺も自転車を漕ぎ出した。
「いきなりですが、明日が最後の大会です」
ドーナツを買いに来た先輩がいきなり言うもんだから、ちょっと驚いてしまった。
あの日から時々練習を覗いたりもしたが、やはりどうにも調子が上がらない様だ。
「そうですか、頑張って下さい」
「緊張で右手がががが」
「それはいつもの禁断症状ですね」
プルプル震える右手にドーナツを差し出すと、先輩はあっという間にペロリと食べてしまった。
「……自信が無いです」
「いつも通りやれば大丈夫なのでは?」
と、軽く返したところでハッとした。
このところ調子が悪いのがいつも通りになっていた先輩に向かって、俺は失言だったと気付いた時には先輩の顔はすっかり曇ってしまっていた。
「せ、先輩──」
「うん……そう、だね」
「先輩違──」
「ごちそうさま。練習に戻るね」
「先ぱ──」
先輩は俺の言葉を遮る様に、すぐに店を出ていってしまった。
「耕平?」
「……」
「減点2よ」
「……ああ。俺は最低な奴だ」
「分かってるなら明日応援に行ってあげれば?」
「……俺が行って余計に調子を悪くしたら嫌だ」
「減点1ね」
「……」
答えが見つからない。
俺は……どうしたらいい?
俺に……何が出来るだろうか?
「耕平?」
「……」
「あなたは何屋さんなの?」
「ドーナツ屋」
「ならやるべき事は?」
「……ドーナツを作る?」
「いぇす!」
ビシッと親指を立てる母は何処か自信に満ち溢れていた。
「ハハッ、自分のドーナツが誰かの笑顔になる事を確信してないと出来ない顔しやがって……」
「耕平に出来るかなぁ?」
「…………」
「で き る か な あ ?」
「やってやらあ」
「ぱーどぅん?」
「やってやんよぉ!!」
俺はその日、徹夜してドーナツ作りに挑んだ!
「ね、眠い……」
朝日が染みるが、気合で先輩の家を訪ねた。
「耕平君?」
「お、おはようございます先輩」
深々と頭を下げ、持参した包みを差し出す。
「これ、食べて下さい! 気合い入れて作りました!」
「……耕平君」
「いつも通りドーナツ食べて、笑顔で頑張って下さい!!」
俺なりの全力応援。
俺に出来る事はこれくらいしかないから。
「耕平君。ありがとう。今日は絶対勝ってくるね」
「……はい!」
手を振って先輩を送り出し、俺は家に戻ってそのまま倒れるように寝てしまった。
気が付けば夕方を過ぎ、先輩は店に居た。
「せ、先輩……」
「耕平君」
先輩は笑顔だった。それもとびきりのやつだ。どうやら良い結果が残せたようだ。
「失格しちゃった」
「…………は?」
え? どゆこと?
「
「ほほほ、歩美ちゃんらしいわね」
「…………」
言葉も出ないとはまさにこの事だ。
「何やってんですか先輩!」
「でもね、当たったよ。ど真ん中に」
「は、はぁ」
「的の真ん中にドーナツを描いてね。放つの」
「さいですか」
「耕平君、これ一つ持ってて」
先輩からドーナツを一つ手渡された。
「で、胸の所に」
「この辺ですか?」
「じゃあ打つね」
ちゃちゃっと弓を構えるふりをする先輩。俺は慌ててドーナツを天に掲げた。
「それロビン・フッドも即死するやつ!!」
「ハハッ」
先輩は笑いながらドーナツを齧った。
「良かったわね耕平。ハートを撃ち抜いてくれるそうよ?」
「死ぬがな!」
「とりあえずおかわりで」
「わかりましたから、店内で矢を放つのは止めて下さい」
「今日で最後だから、ね?」
「ね? じゃないですよ」
「それとさ、また今度耕平君のドーナツも食べたいな」
「……き、機会があれば」
「やった♪」
「耕平? ちゃんと告白しないと、言いそびれるわよ〜?」
「母さんの前じゃ絶対しないし!!」
「あらあら、それじゃあ母さんは配達に出かけちゃおうかしら」
「え?」
「ほほほ〜」
スタコラサッサと母が引っ込み、二人きりに。
「……耕平君?」
「か、か、か、か」
「壊れた?」
「その……いや、これは……」
「私は耕平君のこと好きだよ、モグモグ……」
「いやいやドーナツ食べながらサラッと言わないで下さいよ」
「そ、いつも通りの耕平君でいいから」
「あ……」
まあ、いざとなると硬くなるのはあるけどさ……。そもそもいつも通りって…………う〜ん。
「ああ」
俺はドーナツの包みを開け、そっと先輩に差し出した。
「俺のドーナツを食べてもらえませんか?」
「それ『俺に味噌汁を作って下さい』の改変? ウケる」
「……」
「ゴメンゴメン、笑いすぎた」
「……」
「でもね、返事はさっきと同じ」
「……ずっと……好きだった」
顔が……先輩の顔がとても近くに。
「好き」
「……食いながらキスするの止めて下さいよ」
「雰囲気出る?」
「出ませんよ!」
「耕平そろそろ配達行っていい?」
「まだ行ってなかったのかい!!!!」
先輩が一瞬で真っ赤になり、母は笑いながら店を出ていった。
俺は、そんな先輩の事をそっと抱きしめてちゃんと告白をした。