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第65話

 しめった土のにおいがする。

 小さなスコップを握りしめて、黒い土に座り込んでた。

 ふかふかして、やわらかい。さくさくと、調子よく掘り起こしながら、俺は問いかける。


「おじさん、どこまでほるんだ?」

「そうですね。この球根を三つ重ねたぐらい、でしょうか」


 今よりちょっと若いおじさんが、でっかい手に球根を乗せてみせた。


「わかった!」


 スコップをぎゅっと握りなおしたとき。「わあっ」と、甲高い悲鳴が聞こえた。


「トキちゃん、みみずー!」

「どわあ!?」


 小さなイノリが、涙目で飛びついてくる。そのまま、やわらかい土に背中から倒れ込んだ。ばふ、と土が舞い上がって、スコップがすっ飛んでって。

 地べたに胡坐をかいたおばさんが、けらけら笑う。


「何やってんのよ、ばかねえ」

「祈くん。ミミズは良い子だから、怖くないのよー」


 母ちゃんがミミズをつまみ上げて、笑顔で近づいてくる。

 イノリは真っ青になって、ひしっと俺に抱きついた。


「うわーん、やだー! トキちゃんっ」

「かあちゃん! イノリいじめんなっ」


 母ちゃんを睨んで、短い腕でイノリをぎゅっと抱く。俺がまもるんだって、ファイト全開だ。

 俺の本気をよそに、母ちゃんは「あらあら」と目を丸くして笑ってる。

 と、鍬を持った父さんがやってきて、おどおどしながら二人を引き連れていった。


「イノリ、もうだいじょうぶだぞ」

「ううー」


 イノリがそろそろと顔を上げる。でっかい目いっぱいに、うるうると涙がたまってて。かわいそうで、背中をぽんぽんと励ますように叩いた。


「みみず、どっかいったからな」

「ほんと?」

「おう!」


 力強く頷くと、イノリはやっと笑顔になった。かわいい顔が、笑うとますますかわいい。

 鼻先をくっつけて笑いあってると、おじさんが俺たちを呼んだ。


「時生くん、祈くん。こっちお手伝いしてくださーい」


 それから、みんなで球根を植えた。

 三十個くらい手分けして並べて、上からふかふかの土をたっぷり被せてやって。

 イノリと二人がかりで、でっかい如雨露で水をかけて回る。たっぷりの水を吸い込んで、黒くなった土からしめったにおいがした。


「うーん、やり切った。ねえ、花が見られるのはいつ頃かなあ?」

「そうですね。春には……遅くとも四月には咲くと思いますよ」


 よっかかった父さんの肩を、支えるように抱いておじさんが言う。

 俺とイノリは、畦にしゃがみ込んで肩を寄せ合った。


「トキちゃん。おはな、たのしみだねえ」

「うん。はやくはる、こねえかなー」


 そんで、春になって花が咲いたら、一緒に絵を描こうって約束する。

 きらきらした笑顔で、イノリが小指を差し出して。

 不意に、その輪郭が白くぼやけはじめる。


「あれっ?」


 ぎょっとして、俺は手を伸ばした。

 すると。



――ピピピピピ。


 鋭い電子音がする。

 ベッドの天井の木目が見えた。


「……ああ。夢かあ」


 俺は、天井に伸ばしていた手を下ろした。 

 ずい分、むかしの夢をみた。

 あれはたしか、――小学校にあがるまえのことだったと思う。みんなで大きな畑を耕して、花の球根を植えたんだよな。

 いやー、懐かしい。

 あの頃のイノリは、俺よりちっちゃくてさ。顔もべらぼうに可愛くて、女の子みたいだった。

 今のイノリは、背もでっかくてイケメンで。でも、笑った顔は変わんないんだな。

 と、そのイノリに、昨夜さんざん甘えたことを思い出し、耳が熱くなる。

……まあ、俺もけっこう変わったのかも。うん。

 ぐーっと伸びをして、カーテンを開けた。

 西浦先輩のベッドは、きちっとカーテンが閉まってて。上からは、佐賀先輩の深い寝息が聞こえてきた。

 そろそろと起き出して、鏡の前に座り込む。

 はっきりと、目の色が変わってた。

 キツネ色だったのが、いまは深い暗褐色で。朝日を吸いこんで、色味が明るくなったり暗くなったりしてる。

 ちょうど、夢で見た土の色みたいだった。

――そういえば。

 あの花、ちゃんと咲いたんだったか?

 春になったら、一緒に絵を描こうって約束したけれど。あれって、ちゃんと叶ったんだったかな。


「うーーむ」


 だめだ、思い出せない。

 俺、小さいときのことって、ところどころしか覚えてねえんだよなあ。

 イノリはどうだろう。今度、聞いてみようかな。




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