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第64話

 傍らのローテーブルに道具を広げて、イノリは振り向いた。


「トキちゃん、こっち来てー」

「お、おう」


 ひらひら手招かれ、脱いだジャージの上とTシャツを腕に抱えて、俺はおずおずと近づいた。

 イノリの前に敷かれた座布団に、膝を抱えて座り込む。なんか落ち着かなくて、背中を丸めていると、ぺたっと背中に手のひらが触れた。


「わっ」

「これ、剥がすね?」


 爪先で、熱さまシートの端をかかれて肩がビクッとする。恥ずかしい。

 イノリは何も言わずに、手早く二枚とも剥がしてしまう。ヒンヤリのもとがなくなって、打ち身がじんじんと熱くなった。


「赤くなってる。だいぶ痛いでしょう?」

「んん。そんなに」

「……我慢強いなぁ」


 胸に染み入るような声で、イノリが呟く。

 それから、あったかい濡れタオルで背中を拭ってもらった。程よい力加減で拭われて、ほうと息がもれる。

 暖房の温度を上げてくれてたから、上が裸でもぬくぬくだった。むしろ、イノリは暑いんじゃねえかってくらい。

 ちょっとウトウトしながら、湿布のテープをはがす音を聞いていると、


「ねえ、トキちゃん。――何があったの?」

「えっ?」


 ド直球に聞かれて、一気に目が覚める。

 イノリは湿布をもくもくと貼ってくれていて。でも、俺の話すのを待っているのが、ありありと伝わってくる。

 どうしよう。正直に言うべきなのか? けど……。


「今日は、格闘実技の授業もなかったよね」

「うぐ」


 逃げ道を塞がれて、うっと言葉に詰まる。しどろもどろになっていると、イノリは落ち着いた声で「話して?」って言った。

 俺は、観念して口を開く。


「うう。……大したことじゃ、ねんだけど」

「うん」

「今日、ちょっと変な奴らに絡まれちまってさー」

「……うん」

「押されて、ちっと背中を打っちまったって言うか。でも俺、ちゃんとやり返したんだぜ!」

「そうなの?」

「おうよ! 土の魔法使って、超ビビらしてやった! あいつら、「覚えてやがれ!」って捨て台詞吐いてったよ。すげーだろ?」


 俺は、喋りまくった。ぺらぺらと、できるだけ軽く聞こえるように。

 でもさ。

 実際、俺は奴らをやっつけたと思うんだ。イノリが魔力を起こしてくれたおかげで、やられっぱなしじゃなかったぜ。

 だから、心配いらないぞ。


「そっかぁ」

「おう!」


 俺の話に、イノリは静かに相槌を打ってた。

 元気よく頷くと、そっと湿布の上から打ち身に手を当てられる。

 あったかい手のひらに、胸がつまって。腕の中のジャージをくしゃくしゃに揉んで、膝を抱え直した。


「まあ、そういうわけなんだわ。だから、その」


 と、その時。

 イノリの両腕が伸びてきて、背中から抱きしめられる。怪我が痛まないように、優しく腕の中に包まれて、はっと息を飲んだ。

 米神に、さらりとイノリの髪が零れかかる。


「頑張ったね、トキちゃん」

「あ……」

「ほんと、すごいや」

「……!」


 イノリの体温を感じて、胸がぎゅうっと苦しくなった。俯くと、頭を優しく撫でられる。

 まずい。

 優しくされると、胸の中にあったつかえがゴロゴロ震えだす。

……氷室さんに言われたこと、実はけっこうむかついた。

 なんじゃこの人、ってビビったし。すげえモヤモヤして、でも、ずっと気にしてるなんて悔しかったから。なかったことにしようとしたんだけど……。

 ぎゅっと、イノリの腕に瞼を押し付ける。鼻の頭がつんと痛くなったけど、ぐっと堪えた。

 イノリは何も言わないで、ずっと頭を撫でてくれている。

 痛む背中ごとすっぽり包まれて、あったかい。

 じわじわって、ゆっくりと染みてくみたいだった。




 強張りがほどけてきて、深く息を吐いた。

 顔を上げると、イノリがそっと離れた。急に背中が寒くなって、ブルっと震える。

「冷えちゃうね」って服を被せられて、促されるまま袖を通す。

 逆立った髪を手櫛で整えていると、イノリは目尻をやわらかく下げた。


「お疲れ、トキちゃん」

「あ。いや、ありがとう……」

「ううん。――ねえ。今日は、魔力起こすのやめとこっか」

「えっ!?」


 目を丸くすると、イノリは心配そうに見つめてくる。


「今日、色々あって疲れてるでしょ? 起こしたら、負担になるかもしれない」

「いや、でも」

「怪我のこともあるし。今日はもう、ゆっくりお喋りとかしとこうよ。ねっ」


 と、優しく手を握られて。

 狼狽えているうちに、イノリは決めてしまったようだ。パッと身を翻してしまう。


「あっ」

「トキちゃん、クロスワードやんない? 俺、本持ってきたんだよー。お茶でもゆっくり飲みながらさー」


 イノリは明るく話しながら、机の上を片付けていて。

 でっかい背中を見てたら、もどかしいような気持になってしまう。

 ……離れてほしくない。だってまだ、「足りない」のに。


「ん?」


 気づいたら、イノリのシャツを引っ張っていた。

 不思議そうに振り返られて、ぎょっとして本当のことを言ってしまう。


「あ、あのさ! 俺、やっぱり魔力起こしてほしい」

「え?」

「し、心配してくれてんのはわかってんだけど。その、決闘大会まで、間もないし!」

「気持ちはわかるけど、トキちゃん。無理はよくないよー」

「わかってるんだけど……! その、――そうだ。悔しいから! どうしても強くなって、勝ちてえからさ。だから、――今日がいい。イノリ、たのむ」

「……」


 その気になって欲しくて、必死に言葉を並べる。

 イノリは、心配そうに眉を下げていたけど、ふいに天を仰いだ。でっかいため息をつく。


「んもー……ずるいなぁ」

「イノリ?」

「わかった。しよう」

「マジで?!」

「あーあ。トキちゃんの負けん気にゃ、負けます。――でも、辛そうだなと思ったら止めるからね? それでいいー?」

「うん!」


 元気に頷くと、イノリは俺の頬を両手に包んだ。つらいような、まぶしいような目をして笑う。


「トキちゃんの、頑張り屋さん」


 ぎゅっと抱きしめられる。

 俺は嬉しくて、そのぶん罪悪感が湧いた。

 俺、負けん気強いとか頑張り屋とかじゃない。さっきのは、して欲しくて理由付けただけで。

 魔力に触られると、いつもよりお前を近く感じるから。

 今日はもうちょっとだけ――お前に甘やかされたかったんだ。

 ごめんな、イノリ。

 心配してくれてるのに、とんだわがまま言って。





「……ぅ」

「――トキちゃん?」


 髪を撫でられる気配がして、うっすら目を開ける。

 正面からイノリの胸に寄り掛かっている。怪我に腕があたらないように、そっと抱きしめられていた。

 あったかい。うとうとと額をすり寄せると、イノリは笑ったみてえだった。


「寝てていいよ。魔力起こして、疲れてるんだから……」

「うん」


 言われた通り、体がじんじん痺れたみたいになってて。すっげえ眠くって、全然力が入んねえ。

 イノリの魔力にひたひたにされて、満腹感に似た安堵で全身がくったりしてる。

 ゆっくり、頭を撫でられて口がゆるむ。ああ、眠い。てか、寝る……。


「ねえ、トキちゃん」

「ん……?」


 落ちる寸前に、イノリが内緒話みたいに、耳に囁いた。


「変な奴らにあったのって、いつ?」

「……んと、六限、おわって。かえっとき」


 聞かれるまま、口にする。イノリは、「そっか」と小さく呟いて、俺の頬に頬を押し当てた。


「大丈夫。――もう、なにも心配しなくていいからね」


 その優しい声を最後に、俺の意識はおちた。




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