鳶尾のやつめ、二度とホトケゴコロなんて出さねえぞ。
やっぱ、弱ってようがあいつはあいつだわ。起きる直前に、シャツを離されてたのも分が悪かった。
あいつときたら、枕の上から俺を睨んで、
「とっとと戻って、葛城先生に不調を伝えて来いよ。ボクまでサボりと思われるだろ」
俺だって、サボりじゃねーわい!
それでも、ちゃんと葛城先生に伝えに行ったさ。そしたら、先生は「ご苦労だった」て、俺の遅刻も不問にしてくれて、助かった。
あと、「お前も体調には気をつけろ」って。
田野先生も言ってたけど、他の組でも体調崩してる生徒が多いんだってさ。しかも、みんな「貧血」が原因とかで。
「みなが貧血とは、うつる病でもないのに奇妙なことだ。とにかく、よく食べよく寝ろ。レバーとミカンを食え。でもバランス良くな」
母ちゃんみたいなことを言って、葛城先生は去って行った。
しかし、体調崩してる生徒がたくさん出てるとなると、やっぱ不安になってくるな。明日のお泊り、なんか体に良いもの持って行こう。
「――そんで、レバニラ弁当と、ミカンは持ってくつもりで。もう一押し、体に良いもの用意したいんすけど、なんか良いのないすかね?」
「知るか」
片倉先輩は、チャーハンに胡椒を振りかけながら言う。俺は、眉が八の字になった。
「そこをなんとか!」
「家庭の医学でも読め。……つーか、お前なんで普通に食ってんだ」
「へっ?」
「いっつも、いっつも、駆け寄ってきやがって。一人で食わせろよ」
「良いじゃないすかー! ただでさえ、先輩あんまり食堂に来ないし」
「そんなん、俺の勝手だろ」
そりゃ、そうだけど。
先輩とは学年も違うし、補習以外で顔合わせるつったら、食堂くらいしかないし。俺としちゃ、もっと親しくしたいんだよな。
じっと見つめていると、ふいと目を逸らされる。つれねえ。
仕方なく、もそもそと中華そばをすする。
「……何で急に、貧血なんか気にしてんの」
「あ、それはですね! 実は――」
そばの終了間際。ふいに尋ねられて、俺は意気込んでわけを話した。
実は、気にしてくれていたらしい。一緒に、いろいろ真剣に考えてくれたんだ。
で、アサリとココアとひじきを持ってくリストに追加して。
「先輩、あざっす」
「言っとくけど、ネットの情報だから。効果は保証しねえからな」
そう言って、先輩はそっぽを向いた。ぶっきらぼうだけど、やっぱり優しいんだよなー。
ホンワカしていると、ふいに入り口が騒がしくなる。
「何だろ?」
「……!」
見てみれば、食堂に入ってきたのは海棠さんとイノリだった。
また何かの告知かな? と思ったら、トレイを取って列に並んでた。普通に、ご飯食べにきたらしい。
午前ぶりのイノリだ。眠そうな横顔を、目で追っかける。
こっち見ないかなぁって思ってたら、イノリが振りむいた。
ばっちり目があう。
嬉しくなった俺は、「お疲れ」って口パクして、小さく手を振った。イノリは、ほんのちょっと目を丸くして、手を上げて――髪を耳にかけた。
ふい、と視線をそらすと、すたこら歩いてった。
「ぷっ」
……さっきの、もしかして。手を振ろうとしてくれたんかなぁ。
両手の中でくふくふ笑っていたら、なんか視線を感じた。
そっち見て、ぎょっとする。
海棠さんが、こっち見てんの。そらもう、レーザーみたいな感じで。睨まなくても怖い目ってあんだな。
と、対面でガタっと椅子の揺れる音。
片倉先輩が、真っ青な顔で立ち上がっていた。
「……吉村。トレイ片すの頼んでいいか。急用できた」
「あ、はい。任せてください」
「悪い」
先輩は、椅子にかけていたジャケットを取ると、後ろも見ないで行ってしまう。
人波に紛れてく細い背を見送っていると。
海棠さんもまた、先輩を目で追っかけているのに気づいた。焼けつきそうな、何て言うんだろう。――すっげえ慕わしそうな目をしてる。
あの二人ってさ。声そっくりだったし、やっぱ兄弟なのかな。
先輩に聞いてないから、なんとも言えないけど。でも、名字違うし、デリケートな問題だったら聞いたら悪いしなあ。
「……ん?」
トレイを片そうと、立ち上がったとき。
先輩の座ってた椅子の下に、なにか落ちてるのに気づく。拾ってみたら、生徒手帳だった。
「先輩のかな?」
ジャケット椅子にかけてたし、あり得るぞ。一応、持ち主を確認しようと手帳を開く。
予想通り、先輩の顔写真と「片倉実波」の名前があった。
それと、手帳のカバーの中に青いピアスが一つ挟まってた。
……先輩、ピアスなんかしてたっけ?
とりあえず、早く渡さないとだ。手帳って、そう使わないけど貴重品であることに違いないし。
ポケットにねじ込んで、トレイを二つ持つ。
海棠さんは、もう立ってはなくて。遠くの席で、イノリと向かい合ってメシを食っていた。