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第87話

 久しぶりに、時間がゆっくり流れてた。

 一緒に、持ってきた弁当やおやつを食ったり。マンガ読みながら、だらだら喋ったりして。

 イノリの背中にもたれて、雑誌を読む。そしたら、イノリがマンガの巻をかえるたびにバランスが崩れて、どんどんずりさがって。しまいにゃ床に転がった。


「もー、こっちおいで?」

「うーい」


 見かねたのか、膝の上に頭を乗せられる。

 ちっと高いけど、快適だ。

 廊下からどやどや、にぎやかな声が聞こえて、また遠くなってった。テスト期間とはいえ、週末でみんな浮かれてんだろうなぁ。

 あー、平和だ。

 今日は冬のわりに晴れていて、日差しもあったかい。テーブルに置いていたココアが、のんびり冷めていく。


「ねえ、トキちゃん」

「んー?」

「呼んでみただけー」

「なんじゃそりゃ」


 頭の下が震えて、イノリの笑い声が伝わってくる。

 俺も、つられて笑った。






 様子が変わったのは、二回目に「水」を起こしてもらってから。

 俺、終わったあとに寝ちまってたみたいでさ。気づいたら、ベッドに寝かされてた。

 イノリの姿は無くて。飛び起きて――すぐ、洗面の方から声がするのに気づいた。

 ホッとして、ベッドの上で胡坐をかく。

 にしても、誰と話してるんだろ?

 しばらくしてから、洗面所からイノリが戻ってくる。なんとなく、浮かない顔をしていた。


「イノリ?」

「あっ、トキちゃん。気分はどう?」


 イノリはベッドの脇に座り込んだ。


「元気だぞ。お前は大丈夫? なんか暗いけど……」

「平気だよ。ちょっと連絡がきて、話してただけ」

「連絡」

「うん。……俺、お休みなのにー」


 そう口を尖らせたとき、ピピピピ、と高い電子音が鳴る。イノリの端末からだ。


「おっ」

「うわ……」


 鳴ってるのに、イノリはなかなか出ようとしない。「出ねえの?」と促すと、眉を下げて受話器を上げる。


「はいー、桜沢ですー」


 電話口で、誰かすげえ怒鳴ってるのが聞こえてきた。イノリも予期してたのか、耳からかなり遠くに持っている。

 うお。相手の人、すげえ怒ってんなあ。

 俺は、イノリの袖を引いて、小声で耳打ちする。


「イノリ、もしかして呼び出しとか? 俺のこと気にしてるなら、大丈夫だぞ」


 さっきも俺寝てたし、行くに行けなかったんだろ。イノリは、実はけっこう責任感が強えもんな。

 気にすんな、ってニカッと笑って見せる。


「トキちゃん……」


 と、イノリが眉をへにゃと下げた。

 それから、ふーーーーと長く深いため息をついて、電話口に「行きますぅ」って答えた。通話を切り、ポケットにねじ込んでいる。


「相手の人、怒ってたよな。悪いイノリ、俺が寝てたから……」

「ううん。それは全然いいの……ただ、今日くらい、ゆっくりいれると思ってたから」

「イノリ……」


 しょんぼりと肩を落としているイノリに、俺までしんみりとしてしまう。

 俺は、でっかい手を掴んだ。


「俺、テス勉でもして待ってるからさ。戻ってきたら、焼きそばでも食おうぜ!」


 イノリは目をまんまるにしたあと、ニコって笑う。


「深夜の焼きそばかー。背徳的だねぇ」

「だろ」


 俺の手を、ぎゅっと一回握ってから、イノリは立ち上がった。コート掛けにかけてあった上着を着こんで、外出の準備をする。

 で、部屋を出る直前、イノリは振り返った。


「そんじゃ、ちょっと行ってくる。トキちゃんは、ここでゆっくりしててねー。あ。戻るときはノックしないから、ノックされても出ちゃだめだよ?」

「おう、わかった!」

「あとでね」


 パタン、とドアが閉まって。俺は振っていた手を下ろす。


「はあ……。大変だなぁ、イノリ」


 休みの日なのに、生徒会のことで呼び出しがあるなんて。

 でも、そうか。

 決闘大会のことで忙しいうえに、警備の制度まで変わったんだもんな。昨日も会議、会議だったみたいだし。 

 つい考えなしに、送り出しちまったけど。あいつ、頑張りどおしで、疲れてんじゃねえかな……。


「あ、そうだ!」


 俺は、ふと思い立って、立ち上がる。

 財布を取り出して、ポケットにねじ込んだ。

 こそこそ、とドアから顔を出して、廊下の様子を窺う。ナイスなことに、誰もいない。

 今なら、ちょっと出たって大丈夫だよな?

 このアイデアを実現するためには、どーしてもコンビニに行かなきゃだし……。


「よしっ」


 俺はえいやっと廊下に飛び出して、非常階段を駆け下りた。




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