いやぁ、びっくりした。
鳶尾に先輩がいたこともだけど、あの姫岡先輩って、変わった感じのひとだったよな。冷たい手の感触が残ってて、なんか手のひらが落ち着かないぜ。
俺は教科書を広げて、もくもくと勉強をする。
イノリはまだ帰って来ていない。出てってから、とっくに二時間は経ってるはずなんだけど。
「イノリ、こんな遅くまで大変だなぁ……」
問題にとりくみながら、つい時間が気になって、何度も時計を見上げた。
日にちを丁度またぐころ、401号室のドアノブが回った。
「ただいまぁ」
小声で言って、イノリが中に入ってくる。
帰ってきた!
俺はノートの上にシャーペンを放り出して、駆け寄った。
「おかえりっ」
「お待たせ、トキちゃん。遅くなってごめんねぇ」
「何言ってんだよー。お疲れさん!」
上着とバッグを奪い取り、それぞれ片づけた。イノリは頬を赤くして「ありがとー」って、なぜか照れている。
「大丈夫だったか? 怒られなかった?」
「全然、へいきだよー。まだ先生とかも来てなかったしね」
「そっか! 焼きそば食う?」
「食べるっ」
俺は、さっそくやかんを火にかける。
イノリが近づいてきて、俺の頭にぽふと顎を乗っけた。服に外気が残ってたのか、ひんやりする。
「トキちゃん、あったかい」
「お前が冷えてんの!」
とは言いつつ、腹に回ってきたイノリの手はあったかかった。そういや、元素調節ってのしてるんだったっけ。
服は冷たいのに、体はあったかいなんて不思議だ。俺は、イノリの手をぎゅっと握った。
「トキちゃんも、大丈夫だった? ここ、だれも来たりしなかった?」
そう聞かれて、ギクッとする。つとめて平静に、俺は言った。
「うん、来なかったぞ」
「良かったぁ」
安心したように息を吐くイノリに、罪悪感がわく。
たしかに部屋には来てないから、嘘じゃないけど。こっそり抜け出したこと、言うべきだったかな……?
いやでも、そんじゃ何買いに行ったかも言わなきゃだよな。それは困る。明日の朝、サプライズすんだから。
……やっぱ、内緒にしとこ。
何もなかったし、大丈夫だよな?
カップ焼きそばを半分こして。熱いお茶を飲みながら、俺たちは話す。
「今日も会議だったん?」
「うん。週明けから本格的に警備が始まるから、そのことでね」
「警備」
ものものしい響きに、ごくりと唾を飲む。
「やっぱ、お前も参加する。……んだよな」
おそるおそる聞くと、「うん」と事も無げにイノリは頷いた。まっすぐな目には、怖気も気負いもみられない。
「あのさ、今さらかもしれんけど。警備って危なくねえ? 大丈夫なん?」
「大丈夫だよー。警備って言っても、ほぼパトロールみたいなものだから。殴り合いになるのって、稀だと思うし」
「でもよう。なんか、書記の人とか血まみれだったぞ……」
「あれは、松代さんがやりすぎなだけ! 本来は、俺たちがぐるぐる巡回するってことで、事件を未然に防ぐのが目的って感じらしいよぉ」
「ほんとか?」
「うん。だから、安心してね」
そう言って、イノリはやわらかく目じりを下げた。
たしかに、殴り合いになったりしないなら、安心できるんだけど。
大丈夫なんかなあ。
「わかった。でも、無理しないでくれな」
「ありがとう、トキちゃん。ちゃんと、安全第一ってするよ。でもね」
イノリは、ぎゅっと俺の手を握った。
「安心して過ごせる学校にしたいから。俺、がんばる」
じっと熱い瞳で見つめられて、息を飲む。
気圧されそうなくらい真剣なかおに、俺はどぎまぎと頷いた。