そういえば、こんな怪談あったよな。
夜中、「寝苦しいなあ」って目が覚めたら、胸の上に無表情のバーさんが乗ってるってやつ。
で、意外に物知りなガッチャンは言うわけ。
「トキ、あれってカナシバリのことだぜ! 半分寝てっから、すげー強く思い浮かべたもんが見えんだってよ、すごくねぇ?」
ガッチャン、絶対美女の夢見るぜって張り切ってたな。
って、遠い親友との会話を回想していると。
――ドスっ!
「いだっ」
頭を掴まれて、ベッドマットに押し付けられた。
うおー、やっぱり現実だよぉ!
依然、胸の上には白髪の男が馬乗りだ。思いっきり体重をかけられてて、息が吸いにくい。
白髪男は舌打ちして、俺の顎を鷲掴みにする。
「ひと様の部屋でなにしとった、言うてんねん!」
「うぎゅ!」
ぎりっと顎を締め上げられて呻く。痛ってえ! アゴ外れたらどうしてくれんだっ。
きっと睨み上げる。
男は片頬をぴくっとひきつらせたかと思うと、右の拳を振り上げた。
――殴られる!
しかし、肩をすくめた俺の目前で男の拳がボッ、と発火する。
「でええ?!」
口があんぐり開く。
ウソ、手から火が出てやんの……。
呆けてる間に燃える拳が振り下ろされる。
「わああっ」
叫びながら手をかざした。――そのとき。
パンッ!
「!」
「えっ?!」
何か弾けるような音がして、目を見開く。
すると、右手首――正確に言うとブレスレットが銀色の光を放っている。光は俺を包むみたいに放出して、白髪男の手をはねのけた。
白髪男は息を飲み、一歩後じさった。俺は呆然としながら、ブレスレットを手で包む。
――お守り代わりにつけて♡
「須々木先輩……!」
なんかよくわかんねえけど、ありがとうございますっ!
今のうちに、逃げる!
ベッドから跳ね起きて、俺は男の脇をすり抜けた。座布団を蹴飛ばして、ドアを目指す。
しかし。
「うっ!?」
襟首を掴まれて、引き倒された。背中をしたたかに床に打ち付けて、一瞬息が止まる。
咳き込んでると、白髪男が肩を裸足で踏みにじってきた。
「がふっ」
「このメス犬が、ブッころしたる……!」
ゆら、と男の体の周りにかげろうが見えた。踏まれた肩が、無茶苦茶熱い。ジリ、とTシャツの繊維が焦げる、嫌なにおいがする。
白髪の隙間から、真っ赤な目がぎらついていた。
「うう……やめろ、はなせよー!」
恐怖にかられて、叫んだ。
突然、ブンと風を切って何かが頭上を猛スピードで通り抜ける。白髪男は、燃える拳を横に鋭く薙いだ。
バシャッ!
「おわ!」
いきなり大量に水が降ってきた。白髪男も驚いたようで、腕で顔をしきりに拭っている。
「トキちゃんから離れろッ!」
鋭い怒声が、空気を裂く。
イノリ!?
俺は目を見開いた。
高く跳躍したイノリが、白髪男に拳を振り上げていた。真っすぐ突き出されたイノリの拳から、ゴオッ! と突風が巻き起こる。
ガシャン!
突風は男を、勉強机を、窓を二枚――枠ごと吹っ飛ばし、夜空に突き抜けた。
イノリは、トン、と身軽に着地する。
びゅうう、と開放的になった窓から、夜風が吹き込んできた。
「え、強……」
あっけにとられていると、イノリがガバッと振り返った。
「トキちゃんっ! 怪我は?!」
「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」
泣きそうな顔で俺を助け起こすと、あちこちぺたぺた触って無事を確かめる。俺は、慌てて押しとどめた。
「ごめんね、ごめんね……! 助けに来るのが遅くなって」
「何言ってんだよ、マジ助かったし! もう命の恩人だからな、お前!」
「そんなことない――ああっ、火傷が」
俺の襟を引っぱったイノリが、憤怒の表情になる。ギンと鬼の形相で、窓(のあった部分)を睨みつけた。
「松代! てめぇ、トキちゃんに何てことすんだよ!」
「えっ」
振り返って、ぎょっとする。白髪男が――ぐしょ濡れではあるものの、けろっとしてそこに立っていた。――無傷って!
ふらっとダルそうに頭を揺らして、こっちに歩いてくる。
この白髪男、そういえば書記の松代ってやつだ。氷室さんの腕焼いたやつ――そう思いだして、改めてぞっとする。
「しるか。ジャマするんやったら、おまえもころすぞ」
「ふざけろ。てめえこそ、俺の友達傷つけてタダで済むと思うな」
イノリが、俺を背に庇って前に進み出る。白髪男――松代は鼻で笑うと、腕を一振りした。シュウッ、と音を立てて、水分が全部蒸発する。
二人は、一触即発で睨み合った。
まずい、止めねえと……!
「イ、イノリ! 駄目だ――」
「お前、何してんねん」
背中に飛びつこうとしたとき、静かな声が割って入った。
振り返ると、開きっぱなしの入り口に須々木先輩が立っている。
「秋吾。何してんねん言うてるやろ」
「り、りょーさん……!」
須々木先輩に尋ねられ、松代がぎくりと固まった。はくはくと口を何度も開け閉めして、動揺丸出しだ。
なんだなんだ? 固唾を飲んでいると、先輩はツカツカと松代に歩み寄る。
そして。
パン!
須々木先輩は、松代の頬にすさまじい張り手を食らわした。