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第33話 届かなくたって



 隼人は自室のベッドに仰向けになり、天井を見上げていた。お風呂上がりの体は、はやくも汗を帯び始めていた。そっと天井に手を伸ばす。

 届かない。この白い天井にさえ。

 それでも。


「好きだなあ」


 手を伸ばすことをやめられない。クリアになった思考の向こう、自分の願いだけがきらきら、胸の奥に輝いていた。

 俺は、龍堂くんが好きだ。

 だから、そばにいたいだけなんだ――。



 洗面所で、隼人は久しぶりにまじまじと自分の顔を見た。クマが浮いて、青黒い、全体的にこわばった顔。切羽詰まっているのがはっきりわかる。隼人は、薄く笑うと鏡を手で隠した。


「変な顔だな」


 隼人は、頰を両手で包んだ。


「よし」


 学校につくと、すぐに龍堂のいるF組に向かった。龍堂は、ちょうど教室から出てきたところで、ぶつかりそうになる。


「わっ」

「悪い」

「俺こそ」


 謝りながら、互いに距離を測る。隼人は、その距離を取り終える前に、「龍堂くん」と顔を上げた。


「おはよう」


 龍堂の目が、わずかに見開かれる。――そう、久しぶりに、龍堂の目をちゃんと見た気がした。うまく笑えているかもわからない。けれど、何だか、いつもよりずっとよかった。

 どきどきしながら待っていると、龍堂の目が、やわらかく細められた。


「おはよう、中条」


 それだけだ。けれど、それだけで、隼人は胸が一杯になった。龍堂くんと、こういうことがしたかった。なのに、どうしてこれだけじゃだめだと思ったんだろう、なんて――そんなことを考えるくらいに。

 こうして自分から龍堂に会いに行ったのもいつぶりだろう。ずっと龍堂が、隼人のもとにやってきてくれていた。自分の鈍感さに、隼人は呆れた。ずっともらうばかりで、いや、もらうことさえ――最近はちゃんとできていなかった。


「龍堂くん、ありがとう」


 考えるより先に、言葉は溢れ出ていた。


「いつも、そばにいてくれて」


 肩にかけた、カバンの紐をぎゅっと握る。いつも重かった。ユーヤに落書きだらけにされた数学の教科書、破られたノート――二人で勉強するとき、龍堂は、いつも何も聞かずに、教科書を見せてくれていた。

 してもらったことを、ちゃんと受け取れる人になりたいと思っていたのに。自分のことばかりで、卑屈になって、与えられるものに鈍感になっていた。隼人は泣きそうになり、とっさに俯いた。

 やばい、いきなり来て泣くなんて、さすがに不審すぎる。恥ずかしい――


 そのとき。

 隼人の頭が、温もりに包まれた。ぽんぽんとあやすような動きに、それが龍堂の手だとわかった。隼人の頰は、内側から火を吹いたように熱くなった。

 思わず顔を上げると、龍堂の目とかちあった。

 ライオンみたいに迫力のある眼光が、こんなに優しい光を灯すなんて、誰が思うだろう。けれど、どこかで、それを知っていたような気もする。

 隼人は自分の心がわからなくなる。けれど、この動揺は、心地よかった。くすぐったくて恥ずかしいのに、ずっとそこに浸っていたい――そんな、甘い感覚。

 「好きだ」と思った。

 何にかはわからない。ただ、この感情が、そう呼ばれたがっている気がした。





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