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第47話 自嘲

第47話 自嘲



 廊下をひとり、應治おうじは引き返していた。


『えへへっごめんなオージ!』


 一緒に帰ろうとした矢先、悠弥の母親から、連絡が入ったのだ。


『かーさん心配だから、とーさんのとこ行くって!』


 医者の父親に診てもらって、大丈夫そうなら、そのまま食事に行くらしい。「何食べよっかな〜」と悠弥の口ぶりは弾んでいた。


「もう校門にいるって! うぜー!ほんとおーげさだよなっ」


 悠弥の母親に連絡したのは應治だ。心配するのは別にかまわない。来ないほうが変だ。應治は自嘲する。


『ま、最近飯も食えなくて、心配かけてたし? めんどくせーけど親孝行してくんわっ』


 そう言う悠弥の目には、應治への非難がハッキリと込められていた。「忘れないぞ」の証だ。この数日、自分のせいで本当に苦しかったのだと。

 應治はせめて、校門まで送ると言ったが、悠弥が頑として聞き入れなかった。


『お前来るとかーさんはしゃいでうぜーんだもんっ!』


 そう言って一人、うきうきと体を跳ねさせながら校門へ向かった。

 應治は、ひとり取り残された。

 また日常が帰ってきた。そう思う。悠弥の目には、自分への恨みこそあれど、不安はなかった。悪いなんて言う気持ちなど言わずもがなだ。

 應治は来た道を引き返す。このまますぐ、一人で帰る気にはなれなかった。憂さ晴らしの相手がほしい。

 馬鹿だな。何度、俺はくり返す?

 自嘲をさらに自嘲する。

 わかっているだろう。永遠にだ。

 今回ばかりは、もう許せないと思ったはずだった。悠弥は龍堂ばかりを構って、忠告も聞かずに應治をないがしろにし続けた。


『うるせーなっ! 俺には友達作る権利もねーのかよっ!』


 お前にはマリヤがいるくせに!

 そう涙をためて怒られると、應治はどんなに腹が立っても、結局のんでしまう。

 けれど。


『リュードーに負けたくせにっ!』


 さすがに、衆目の場で貶められたことは許せなかった。

 悠弥はどうして、自分の傍にいて、こんなに自分の嫌がることがわからないのだろう?

 それまでのつもりつもったストレスもあり、應治は悠弥と距離を置くことにした。と言うよりも、もう触れたくなかった。

 だから、悠弥に思うところがあって、自分を取り込もうとするマオの誘いに乗った。

 悠弥の、「自分を應治がほうっておくはずない」という余裕の表情が、裏切られ呆然と崩れるのは快感だった。

 ざまをみろ。お前がいなくて俺はむしろ快適なんだ。そんな真っ黒な気持ちでいっぱいだった。――実際、悠弥がいない方が、應治の生活は楽に回った。

 なのに夜になると、どうしても悠弥の傷ついた顔を思い出さずにはいられなかった。悠弥が傷つくと、まるで自分が傷ついたように、應治の心は傷んで傷んで、苦しくて仕方なかった。

 なのにまた、日が昇り悠弥の顔を見ると、許せなくなった。

 自分を省みることもせず、「自分は選ばれて、優遇されてしかるべきだ。間違っているのはお前なのだ」という顔に、腹が立って仕方なかった。

 悠弥のいない生活は快適で、何でも自分のペースで進められた。何にも煩わされることはない。なのに、なにか欠けている。足元が、いきなり消えるような不安があって、心に空白を作っていった。空白は焦燥に似て、應治をせかした。


 ――どうあっても、俺の人生は悠弥に支配されている。應治の悠弥への情は敗北に似て、とぐろをまいて應治に絡みつく。息さえままならないほどの締め付けに、應治は前さえ見えない。逃げたかった。もう、解放されたかった。

 だって、悠弥は俺に、何ひとつ返してくれない――。


『一ノ瀬くんが倒れました!』


 悠弥が倒れたと聞いたとき、自分は悠弥から逃げられないと悟った。その感覚は、絶望に似ていた。

 悠弥が倒れた。――悠弥がいなくなるかもしれない。そう思うと、体の芯から凍るような恐怖に、應治は襲われた。


『フジタカ!?』


 何もかも白くなり――気がつけば、應治は悠弥を助け出していた。

 汗に冷えた悠弥の手を握りしめ、應治はふるえていた。心のなかにあるのは、恐怖と悔恨だけだった。

 ――馬鹿だった。くだらない意地で、悠弥のことを傷つけた。龍堂のことだって、許せばよかった。今なら、全部許せるのに。

 このときばかり、應治は殊勝な反省をすることができた。そんな自分の感情に、脳が自己嫌悪にふわふわする。それは一種の自傷行為だった。

 いつも、こんなときでないと、悠弥に優しくなれない。殊勝にもなれない。素直に、こうして手を取ってやることもできなかった。 目が覚めてくれ、何でもする。おいていかないでくれ。

 死にそうな気持ちだった。


『オージィ』


 目を覚ました悠弥が、顔をくしゃくしゃにして泣いた。「ひとりにしないで」と、すがってくれた。


 ぞっとするような恍惚が、應治の脳に駆け巡る。悠弥が、俺にすがっている。必要としている。

 愛しかった。大切だった。やっぱり離れられない。

 絶望的な感慨は、應治の思考を真っ白にかき消すほど、眩しかった。絶対に俺は、悠弥から逃げられない。

 くしゃくしゃに泣く悠弥。本当に泣きたいのは、應治の方だった。笑われるとわかっていて見せたい涙じゃなかった。悠弥はきっと笑うだろう。でも、――俺にはその笑顔だけでも、必要だった。

 悠弥がひとしきり泣いて、自分に「絶対、一生ゆるさねーからっ」と悪態をつけるようになり、應治は安心した。

 多分、もう大丈夫だ。應治は安心した。もう大丈夫だ、これで日常に戻るのだ。

 悠弥の中の自分との「一生許さない出来事」は増えたけど、離れない限り、償えるのだから。




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