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第86話 俺であれる幸福

「一ノ瀬くん」


 ユーヤは悄然と、今にもくずおれそうだった。隼人が近づいてきたのを見て、「なんだよ」と声をあげる。その声にも、力がなかった。


「偽善者……!笑いに来たんだろ」

「違うよ」

「なんでだよ、けっきょく、おればっかり……うわああああ……!」


 とうとう、膝からくずおれて、泣きだした。嘆く声も、弱弱しい。「ユーヤ、」と、ケンがこちらにやってきたのがわかった。


「落ち着けよ。いい加減にしろ」

「ケン……!わあああ……」

「お前も、火に油注ぐな」


 ケンがしゃがみこみ、ユーヤの背をたたく。そして、隼人に注意した。

 ユーヤは幾分、気持ちを落ち着けたようで、泣く声にも、張りが出ていた。隼人は、その姿を見て、「うん」とうなずいた。


「たしかに、俺は偽善者かもしれない」


 隼人は、まっすぐにユーヤを見つめた。ケンは「は」と怪訝そうな顔で見上げた。


「一ノ瀬くんのことは、本当に怒ってる。本当に、ちゃんと謝ってほしい」


 今までのことが、体中を、ぐるぐると回る。隼人は目を閉じ、ぐっと力を込めた。そして、ゆっくりと言葉を吐き出す。


「龍堂くんにも、俺にも、ちゃんと。けど」


 隼人は、しゃがみこむ。ユーヤと同じ目線に合わせて、はっきりと言った。


「一ノ瀬くんが、ひとりになれなんて、思えない」


 ユーヤが、顔をこわばらせる。見張った目から、ぼろりと涙がこぼれた。隼人は、じっと見つめ、それから自嘲して、頭をかいた。


「大好きなひとに、ひどいことしたのにね。本当に、自分勝手だよ」

「からあげ……」


 本当に、そのとおりだ。

 龍堂を傷つけたのに――龍堂が、ずっと、ユーヤのことで心配をしてくれているのに。なのに、自分は、ユーヤのことを案じている。自分の気持ちを、貫くなんて。

 それはすごく贅沢で、ありがたくて――幸せなことに思えた。隼人は、笑って、ユーヤを見る。


「それだけだよ。聞いてくれてありがとう」


 隼人は立ち上がった。そして、龍堂のもとへ帰る。

 龍堂は、何も言わなかった。ただ、静かに笑って、隼人を待ってくれていた。

 その目を、見つめるだけで、思いの全部が、伝わってきた。隼人は、胸の中がいっぱいになる。隼人は駆けだした。そして。

 ――龍堂の胸に、飛び込んだのだった。


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