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第90話 君と明日を 【完結】

 鈴虫の音が、夜の闇に響いている。それは、夏の名残を感じる温い空気の中で、冴え冴えとした気持ちにさせた。

 空を見上げる。真っ暗な空に、浮かぶ月と星は、遠くて高い。輝いていて、すごくきれいだ。

 隼人は、そっとスマホを手に取る。写真を撮って、LINEに送った。

 それからしばらく、歩いていると、着信がきた。隼人は通話ボタンを押して、応える。


「龍堂くん?」

『ああ』


 隼人は足を止めて、龍堂の声に聞き入った。


「月がきれいだから、知らせたくて」

『そうか』


 龍堂が、スマホの向こうで笑ったのがわかった。隼人も笑って、空を見上げる。本当にきれいだ。


「好きだなあ」


 こぼれた言葉は、無意識だった。けれど、今溢れる気持ちに、ぴったりだった。龍堂は黙っていた。しかし、「ああ」と応えてくれた。


『好きだ』

「へへ」


 ハスキーな低音が、優しい響きで届く。隼人ははにかんで笑った。それから、少し話して、通話を切った。隼人はスマホをぎゅっと握りしめる。――今、すごく、会いたかった。

 自然と、向かった歩道橋の上で、隼人は空を見上げていた。足元には、車や建物のライトがきらきら光っている。ふいに、ポケットの中でスマホが震える。

 スマホを取ると、龍堂だった。


『中条』

「龍堂くん」


 外なのか、さっきと声の響きが変わっていた。歩道橋の階段の音がする。軽やかでしっかりした響きが、外と耳元で反響する。

 隼人が思わずそちらを見ると、龍堂がそこに立っていた。


「龍堂くん」

「会いたかったから、来た」


 通話を切って、龍堂が歩いてくる。隼人も、龍堂の方へ歩き出す。そうして、向かい合う。龍堂の肌は少し汗ばんでいて、走ってきてくれたのだとわかった。隼人は胸がいっぱいになる。じわり、目が熱くなった。


「俺も、すごく会いたかった」

「へえ」

「明日も会えるのに。待ちきれなくて」


 その言葉が、とても贅沢なものだと、隼人は知っている。

 明日も、龍堂に会える――そう、自分が感じられること――それは途方もない幸せで、奇跡みたいに素晴らしいことだと。

 だから、隼人は、その気持ちをぎゅっと抱きしめた。願わくばずっと、こうしていられるように。


 ずっと友達がいなかった。それでも家族と、ハヤトロクがあれば、やってこれた。

 お話の中では、隼人は勇者にだって、星にだって、ダークヒーローにだって、なんにでもなれたから。

 けれど、今――隼人は、ただの中条隼人がいちばん好きだ。

 皆がいて、龍堂が隣にいる――そんな自分が、いちばん。


「ありがとう」


 龍堂を見上げる。そして、心の中で、くり返した。

 ありがとう。俺と出会って、好きになってくれて――。


 龍堂は何も言わなかった。ただ、わかっている。そう目で言って、隼人の頭を優しく、ぽんぽんと叩いた。そして、そっと――隼人の目元に触れる。くすぐったさに笑うと、龍堂も笑っていた。

 龍堂が、そっと隼人の肩を組む。隼人は、その手をぎゅっと握った。そうして、二人で空を見上げる。空は高い。でも、自分たちはここにいる。


「好きだ」


 そう言って、どちらからともなく、笑いあった。夜の光は優しく、ふたりの影を照らしていた。


《完》

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