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第17話 わたくしではダメなようなのです。

 舞踏会から数時間後ーー


「ううっ……どうして、うまくいかないの……! もうダメなんだわ……」


 リズは、通いなれた教会の椅子に突っ伏してしくしく、いや、人目もはばからず、えーんえーんと子どものように泣いていた。完璧令嬢にあるまじき振る舞いであるが、致し方ない。

 細い肩がふるふると小刻みに震え、髪の毛が首筋をさらりと流れる。まさに、見た目だけは絵のような場面である。


「リズさま、何度も申し上げますが、たった一度失敗したくらいでこの恋はダメだと決めつけるのは……」


 明らかに腰が引けた状態でおっかなびっくり声を掛けるのは、短く刈りあげた黒髪に切れ長の黒い瞳が鋭く、がっちりとした筋骨たくましい若い男性――とてもそうは見えないが、この教会の神父さまである。

 彼の名はアンドリュー・デニス・ゴゾーラ。リズが生まれ育った領地の出身、つまり、リズの数少ない幼馴染の一人である。

 リズは、がばっと起き上がってアンドリューにつかみかかった。はしたないですよレディ、と、アンドリューがそっと己の胸倉を掴んだ華奢な手を外す。

「違うのよ。この恋はダメじゃない、っていう証がないのよ! 彼はわたくしに、まったく興味がないの」

「はぁ……しかしそんなこと、たった一回の接触ではわからないでしょう?」

「いいえ、いいえ、間違いなく彼は、わたくしに興味がないの! この、国で二番目にいい女であるわたくしが迫ったのに、何の反応もなかったのよ!」

 普通のレディが発した言葉なら、気のせいかもしれないからもう一度、とすすめるところだが、リズの場合は話が違う。これほどの美貌と女らしさを増した肉体、完璧な作法と知性、それなりの駆け引きを備えたリズに迫られたのにまったく反応しなかったということは、鋼の精神力の持ち主か、リズにまったく興味がないかのどちらかだろう。


 シュテファンがそこまでの精神力の持ち主だという話は聞いたことがないから、おそらく、リズに興味がない。


 んー、と、神父さまは天井を仰いだ。聖書から抜粋した様々な場面が描かれた鮮やかな天井画が、いつもと変わらず見守っていて下さる。が、大げさに嘆き悲しむレディを慰めるには役に立ちそうにない。

「ああ、アンドリュー! わたくしはこれから、どうすればいいの! 恋敵を蹴散らそうにも誰を蹴散らせばいいのかすら、わからないのよ。なんてことかしら……」

 涙できらきら輝く大きな瞳が、真剣にアンドリューを見る。下手な回答や慰めは彼女には通じないだろう。むしろ、即座に抹殺されそうな勢いである。彼女がイシュタルと呼ばれる理由をなんとなく察したアンドリューである。

「シュテファンさまをモノにしたいのに! どうやれば振り向いてくださるの! あああああ……わたくしは、負けたの? いえ、負けなんてあり得ないの!! 誰をどうすればシュテファンさまは……」

 一気に叫んで、わぁぁぁ、と泣く。

 リズの自尊心は粉々だった。これまでの夥しい転生の経験で、美貌と教養と肉体とがあれば、たいていの男性は振り向いてくれると知ってた。だから転生し完璧令嬢となった今回も大丈夫だと思っていた。それなのに今回はまったく相手にされないとは。

 そんなに泣かなくても、と、アンドリューがつぶやく。

「だって……貴方だって脈なしだと判断すると思うわよ」

「う、うん?」

 涙を白魚のような指で拭いながら、リズは語り始めた。



 足を挫いて腰を強かに打ったリズは、レオの誘導によって客間に通されていた。万事心得たメイドが必要最低限、部屋を調え、華麗に立ち去って行った。

「シュテファンさま……ありがとうございます」

 ベッドに横になったリズは、胸の谷間がよく見えるように調節しつつ、しかし、下品にならない程度に強調しながらシュテファンを誘ってみた。どうやれば男性が自分に興味を持つのか、これまでの人生経験で承知している。

「おっと、体はまっすぐに。安静にね」

「え!」

 たしかに無理な姿勢は傷にこたえる。リズはゆっくりと布団に体を沈めた。

「災難だったね、レディ。ゆっくり休むといい」

 さりげなくちらりと見せていた肌を、すべてきちんと布団で覆われてしまう。

「きみは、社交界の人気者だから、きみがここで休んでいることが知られたら不埒な男が忍び込んでくるかもしれないな……」

 ふいに、ぴく、と、眉毛を動かしたシュテファンは、リズにそこで待つようにと手振りで指示した後、ベッド周りのカーテンを下ろして静かにドアに近寄った。

「誰だ!」

 勢いよくドアを開けたらしかった。

「う、わ、ああああ……」

 どどどど、と男たちが室内に倒れ込んだ気配がした。ベッドで大人しくしていたリズだが、さすがに息を呑んでしまう。

「ええい、レディが休んでいる部屋を覗こうとするとは不埒な者どもだ! どこの誰だ、名乗り給え!」

 凛とした男らしい声にリズはうっとりし、不届き者たちが逃げ出していく。

 リズはホッとため息を漏らした。もっとも、彼らがここに忍び込んだところで、剣なり魔法なりで追い払う自信はあるのだが。

「レディ、あんな男たちが来ないよう、廊下で見張るから安心して欲しい」

「シュテファンさま! あ、あの……」

 どうやって彼を室内に引き留めようか、ベッドに誘おうかと考えるが、シュテファンはにっこりと笑った。リズの邪な思考を停止させる効果のある、完璧な笑顔だった。リズの心臓が大きく跳ねる。

「独身の令嬢が男と二人で部屋に籠るなど、とんでもないスキャンダルだ。デビューしたてなのにそんな噂が流れたら大変だ」

 あなたとの噂が流したいの――などと言えるはずもなく、あなたはわたくしとの噂が流れたら困りますか、と尋ねるわけにもいかず。


「ここで警備しているからゆっくり休んで。あとで、レオを呼んでくるよ」


 ぱたん、と閉じられるドア。ひとり室内に取り残され、何とも言えない切なさがこみあげてくる。

 彼は、リズの体に興味を示さず、さりげない誘惑にも乗ってこなかった。

「わ、わたくしでは……ダメなのかしら……」

 いやいやわたくしが怪我をしているからよ、と、否定してみるが、大怪我ではないし、下心があれば治療と称して体に触れたりスカートの下を覗こうとしたりするだろう。

 シュテファンは、一切、それがなかった。通常ならば紳士的というのだろうが、リズの場合は不安でしかない。


 もやもやした気持ちを抱えたまま寝がえりを打とうとして、足に痛みが走った。

「うっ……いたい……」

 それとほぼ同時に、シュテファンの「こら、レディの部屋に忍び込もうとするとは何事だ!」としかる声がした。本当に、警備してくれているらしい。

 ドアの外でシュテファンさまが守ってくださる! と、リズの心は舞い上がったものの。

「え、そういえばさっき……レオを呼んでくる、って仰った?」

 なぜそこでレオさまが出てくるのだろう? と、リズは肌触りの良い布団に包まりながら首をかしげた。


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