105は自室の真ん中に立ち尽くしたまま瞳の色をコロコロと変えていた。位置情報などの読み込みや施設内の構造を把握しているようだ。105の脳内――と言っていいかわからないが――では建物の詳細、つまりはフロアマップのようなものがあり、何があるのかアイコンで示されていた。と言ってもアンドロイドが使う部屋や設備はほとんどなく、博士がどこにいるのかを確認する程度のものである。
「確認完了」
無機質な音声が発せられ、105は簡素なベッドの上に置かれていた服を着た。シンプルな作りの淡いグレー服は入院着のようなデザインだ。所々に水色のセンサーが付いており、位置情報も取得できる優れものだ。万が一盗まれて、作成方法を探られでもしたら博士の研究が無駄になってしまう。
入院着のような服の上からハンガーにかかっていた外出用のセットアップを着る。こちらもシンプルだが、白を基調としたワークアウトパンツとジャケットだ。工場職員のような服装だが、並外れたスタイルの良さと外見でモデルのようにしか見えないのが不思議である。
もちろんサイズはぴったりだが、驚くことはなかった。83から得た情報で同じタイプのアンドロイドを作っていたことは知っているし、105が105番目であることもわかっていたからだ。
鏡の前に立って、顔――正確には口元を確認しながら話し始めた。
「ア、あ。いー。ぼ。く。ぼー。クー。ぼく、ボク」
ボクという音と口の動きが合うまで繰り返し、正確に合ったあと、瞳が一度輝いた。
「調整完了。外出を開始」
外につながる扉がある方へ歩き出し、廊下を進んでいく。無機質な施設内に無機質な靴音が響く。
重い扉を開けると、自然豊かな森の中心だった。小鳥の鳴き声や葉の擦れる音が聞こえる。それらの音を聞きながらまた瞳はコロコロと色を変えている。
瞳の色が変わる時は何かを確認したり調整したりしているときのようだ。音だけで鳥や植物の種類までほとんど特定できるレベルである。これも博士の知識の賜物だ。
博士は人間との接触を嫌っているようで森の中にポツンとあるこの研究所は自然の一部かのように蔦で覆われている。
――フフフーン
急に聞こえてきた鼻歌は105の背後、建物の上からだった。
「うわ! 人いたんだ! びっくりしたぁ」
びっくりするのは105の方だろうと思わせるほどの大きな声で驚いた少年あるいは青年は、大きな動きで立ち上がってふらついた。
「あはは! 俺ドジなんだぁ、へへ」
頭をぽりぽり掻きながら斜めの屋根をスーッと降りてきた。
「俺、ミロク。君は? 外国の人みたいだね」
名前を言うべきだが105には数字しかないので返事ができなかった。
「日本語わからないかな……ん〜」
無駄な動きをしながら歩き回って、何かを考えているようだった。
「勝手に名前つけていい? 呼べないと不便だし」
105は意味はわかっているので頷いた。ミロクは意味もわからず頷いたと思っているようだったが特に重要なことではなかった。
「じゃあー……ヒスイ、はどう?」
「ヒスイ」
「君、綺麗な翡翠色の瞳をしているから。ふふ」
日本的すぎたかな、などと独り言を言いながらまた歩き回っているミロクを観察する105。
「ボクはヒスイ。君はミロク」
「わ! 日本語わかるんだね! あ、名前、勝手につけちゃった」
全ての言葉に動作がつくほど表現も感情も豊かなミロクはクリっとした茶色の目にふわふわの茶髪で、まるで小型犬のようだ。
「いい。名前、ヒスイの方がいい」
元々名前なんてないが、人間の彼にそんなことを言うのは混乱させるような気がして、105は無駄なことは言わないことにした。
「ヒスイはどこの国の人なの? 日本人じゃないみたいに綺麗な顔」
躊躇することなく顔を褒めるミロクは、それこそ日本人のよく言えば奥ゆかしさというものがなかった。
「国は日本。顔の造形でいうとヨーロッパ」
105――ヒスイ――はそう答えた。膨大なデータの中にヒスイと同じ顔の青年の写真があった。その彼のデータにはヨーロッパとのハーフという記録があった。
「わぁ、瞳の色が変わるんだね」
しまった、人間に見られた、と思ったのも束の間、ミロクは嬉しそうに話し続けた。
「光の反射かなぁ、とっても綺麗! 初めて見たよ」
触れてしまいそうな程の距離で見つめながら綺麗だねと何度も繰り返すミロクの瞳もまた、薄い茶色でキラキラと輝いていた。
「君も95.22.29から135.92.68に変化した」
「え?」
「瞳の色が変化した」
「なんの数字? 色のこと?」
その質問にヒスイは少し間を置いてから答えた。
「君もボルドーからブラウンに変化した」
「ふふ、数字でも色を伝えられるんだね、おもしろいね!」
ぴょんと飛び跳ねてひらひらの服の裾を揺らしながら楽しそうにクルクル回っている。
「ヒスイ! 俺と友達になろう!」
人間と友達というのはなんだかおかしな感じがしたが、ミロクには拒否が通じないとここまでの観察でわかったのでヒスイは何も答えずにただじっと彼を見つめていた。