「おはよう白瀬さん」
「おはよーう」
周りの人に朝の挨拶をかわしながら、美耶は席についた。一旦は机の上に置いたカバンを、机わきの取っ手に引っ掛ける。ニコニコした笑顔のまま、視界の端に昭平の姿をチラと見る。
美耶の知る限り、昭平はいつも自分のペースを絶対に崩さない。どんな難しい問題も難なく解き、体育の授業では運動部の部員と遜色ない動きで、クラスの皆をわかせる。それが楽しそうでも、嫌そうでもなく、ごく普通の事として簡単そうにやってのけている。それに比べて自分はどうか・・・と、考え込む。どれもこれも大体は必死に、一生懸命にやって、なんとか・・・という程度。だからうまくいったときは嬉しいし、それがすぐに顔に出てしまう。
昭平の満足のいく事はなんなのか・・・どうすればあの鉄面皮に近い生徒会長の表情を変える事ができるのか・・それが美耶は知りたかった。
好きとかそういう単純なものではない。好奇心と憧れが混ざった複雑な感情が、昭平に
対して大きくなりつつあった。
「・・・・・・・」
頬杖をついて後ろ姿を見つめるのが日課となっていた。だからこそ、いつもと何かが違う事に・・・説明しようのない違和感を感じていた。昭平の周りに何かが巻きついているように感じられる。実際に見えるわけでも、あるわけでもなく、それが何であるかは分からないが、確かにそう感じる。
「・・・・何だろ・・」
教室の入り口が開き、先生が入ってきた。今まで自由に喋っていた生徒達はすぐに席につく。
「・・・・・・・・・」
眉間にシワを寄せて昭平の後姿を睨む。まるで輪投げの輪が挟まっているようなそんな感覚だった。だんだん目が馴れてきた?のか、昭平を囲む輪に紐のようなものがくっついているのが見えてきた。その紐の先は・・・。
「・・・・・ん・・・」
昭平から離れるほど薄くなり、先は見えなかった。
「・・・でも・・・なんだろう・・・これ・・」
美耶はなんの気なしにその紐を掴んだ。
=うわっ!=
突然ぐいっ!と、リサの体が引っ張られた。昭平が動いたのではない。昭平は椅子に座ったままだ。
=な・・・なんなの!=
引っ張られてる先には、女子生徒がいた。信じられない事に魔法の呪縛の鎖を素手で掴んでいる。それはありえない事だった。
=ひ・・・引っ張られ・・・=
踏ん張る事のできないリサは、そのまま女子生徒の方に飛んでいき・・・。
=わ!=
ぶつかった・・・そう思った瞬間、リサの視界は真っ暗になる。
=・・・・・・・=
何も見えない、自分の体すら認識できないその世界の中、ゆっくりと、光が戻ってくる。暗闇だったのは自分が目を閉じていたからだと気づき、リサは目を開いた。
「ん?・・えええ!・・はいい?」
お尻に椅子に座っている感触がある。手を動かすと空を切る感じも分かる。発した言葉も周囲に聞こえているようで、周りの生徒達が驚いた顔で注目していた。
「・・・これは・・・魔法?」
リサは両手を見つめる。いつもの見知った短い腕と違い、ちょっとだけ長い気がした。身に着けている衣服も白のドレスではなく、この世界の女性達が着るおかしな服だった。
昭平が椅子から転げ落ちた
「ぐあ!」
ずるずるとリサの方に引き寄せられ、同時にリサも昭平の方にすい付けられ、がっちりとくっついた。
「し・・・白瀬さん!」
「?」
リサはそう呼ばれて首を傾げる。
「なんなんだこれは!」
昭平は手を突っ張って引き離そうとしたが、くっつく力はそれ以上のようだった。
¬お、おい昭平、なにやってんだよ!」
隣の男子生徒が見かねて声をかけてきた。
¬分からん・・離れないんだ・・どうなってるんだ?」
¬・・・・・」
昭平の顔がすぐ至近にあり、リサは顔を赤くして背けた。が、確かにこのままではいけない。
¬な・・な・・・なんとかなりませんかね?・・・へへ・・」
赤い顔のまま昭平にそれだけ言ったが、なぜかニヤけた顔になる。
¬なんとかと言っても・・」
昭平の手に腕を捕まれた。けっこう強めの力で剥がそうとするが、完全にくっついているようだった。
¬く・・服どうしがくっついているわけじゃないな・・・・何かの引力か」
¬引力?」
¬白瀬さんの方からも力を入れてみてくれ・・・い・・息が・・」
¬・・・・シラセ?」
少しの間の後、そう呼ばれたのは自分である事に気づいた。
衣服だけではなく、完全にここの地の女子生徒に変わっていた。
「きゃあああ!」
¬ど・・・どうした?」
そう叫んだのはスカートの丈が短すぎるからだった。膝どころかその上まで見えている。このよううな格好で公衆の面前にいる事は、リサのいた国では、はしたない事だった。白瀬美耶になったリサは裾を手で引っ張って隠そうとした。
周囲の生徒達がざわつき始める。
このままではいけない。美耶・・リサはその原因を考えてみる。
美耶という女子生徒の体を自在に動かしている・・・と、言うよりは乗り移っている。それによって最大威力の縛鎖の魔法がそのままの力で発動してしまったようだ。
¬我は契約の終了を命ず・・縛糸は終わりなり・・・」
そう唱えて終わった瞬間、二人の体はふっと軽くなり、離れた。
¬ぐは・・・」
昭平は首を抑えたまま四つん這いになる。美耶のリサはほっと溜息をついた。
¬全く・・・」
二本の指で眼鏡をなおして立ち上げる。教師がつかつかと近づいてきた。
¬君達はホームルーム中に何をしてるんだ?」
¬僕にも理由は分かりません。・・・・ですが・・」
昭平の眼鏡が光る。
¬白瀬さんが理由を知っていると思います」
¬・・・え?」
教室中の視線がリサに集まった。
折角、意思が伝えられるようになったことだし素直に言ってしまうべきなのだろうか?しかし、別の地?からここに現れ、この女子生徒に乗り移った、王国三女・・・などという事を言って信じてくれるだろうか甚だ疑問だった。
この地の人々は魔法が使えない。唯一の例外は・・・。
¬・・・・・」
白瀬のリサは昭平をチラと見た。
¬私は、ヴェインフィールド王国の姫です。・・ショウヘイ・・・」
¬・・・・・・」
昭平はその言葉に眉をひそめる。
¬何の・・・プレイなんだ?それは?」
¬・・・・・・」
リサは胸の前で祈るように手を組んで目を閉じた。
¬ショウヘイは・・・」
今、伝えたい事はなんだろう。どうすれば信じてもらえるだろうか?
¬姫の私が好きだと言ってくれました・・・そして私の騎士になると」
¬・・・な・・・」
白瀬のその台詞に、眼鏡を抑えていた手がピタと止まった。
教室中がシンと静まり返る。教師を含めた全員が次の言葉を待っていた。
¬・・・なんの事だ?」
¬夕べの話です。ショウヘイは私にそれを告げたいと言ってました。その為にこのつまらない世界を壊・・ごふぅ!」
¬ちょっと待て!、あっちでゆっくり話をしようじゃないか!」
昭平は白瀬の口をふさいで、抱えるように教室から出ていった。
乱暴に音を立ててドアを閉める。残された者は、皆、ぽかんとした顔で見ていた。
¬モガ・・ふが・・ふふ・・むふふふ・・・」
強引に手で口を抑えられているはずの白瀬のリサは、少し不気味な笑みを浮かべた。
¬あ・・・ありえん・・・」
確かにその台詞は口にした。小説の山場・・・姫が行方不明になったときに、主人公が口にしたその言葉を、昭平はなぞった。だが、その時は自分の部屋。もちろん誰もいない。
同じ小説を読んだのか?・・とも思ったが、それだけでは、昭平自身が口にしていたというその事実を知っている理由にはならない。
¬ま・・まさか部屋に盗聴器を!」
それしか知る方法はない。が、そんな事をする理由が思い浮かばない。
昭平は体育館の倉庫に入ると、誰もあとをつけていない事を確認する為に、顔だけ出してキョロキョロと見渡し、それから鍵をかけた。
¬・・・で、白瀬さんは、何処まで知ってるんだ?」
¬・・・どこまでって・・」
昭平の口調には、いつもの平坦さがない。
¬ショウヘイの部屋にはたくさんの魔導書があって、それをいつも読み返して口に出してる事とか・・・」
¬・・・・・・」
¬その時に、仕草をつけて喋ってたり」
¬・・・・・」
¬いろんな魔法を唱えている事とか・・・」
¬・・・・・・」
眼鏡を抑える指が震える。
今まで、完璧超人な生徒会長を目指し、概ね、その通りの人物像になりつつあったが、そんな事を知られてしまった日には・・・。
¬うわあああああああ!」
昭平は頭を抱えてしゃがみこんだ。
¬・・・おしまいだ・・全て・・」
あと一年ちょっと・・・それで高校生活も終わりだった。それがこんな形で波乱を迎えようとは。つまらない人生が最悪な人生にクラスアップしてしまった。
¬・・・・・・・」
白瀬のリサは、何だか分からないが、蹲ってしまった昭平を見て首を傾げた。
とにかく、悩んでいて困っているのは分かった。
¬大丈夫」
¬?」
¬私はここにいるから」
リサはニコとほほ笑む。
¬・・・だから、なんのプレイなんだよ」
¬・・・・・んー・・」
まだ信用していないようだった。
証拠を見せるしかない。
¬・・・ほの暗き事象の巧手よ・・・」
開いた右手を突き出した。
¬またそんな・・・って!・・何ぃっ!」
馬鹿にしたような表情をしていた昭平だったが、白瀬の伸ばす手のひらの先に光の環が現れた瞬間、開いた口が更に大きくなる。
淵に見覚えのない文字で縁取られた灰色の光のリングは、静かに回転を始める。
¬其は獣なりて、地平をうち滅ぼす大過なり・・・」
環の周囲に二回りほど小さな赤い環が六個ほど現れ、反対方向に回転を始める。灰色と赤色の二種類の光の粒が接点から吹き出し始める。
¬グランド、アウトフロー ラーバ!」
激しく打ち合ったリングはぶつかって粉々に砕け、赤黒い光で周囲が満ちた。
¬・・・・・」
白瀬のリサは、昭平に顔を向かる。床から舞い上がる光に照らし上げられ、少し笑っているように見えた。
まばゆい光が収まってきた頃、少しづつ地面が揺れ始める。
¬・・・なんだ」
揺れは大きなものへと変わり、すぐに立ってはいられないほどになる。
¬地震!・・・にしては・・・」
昭平はすぐに倉庫の扉を開けた。これで閉じ込められる事はない。
すぐ外のグランドが大きく揺れており、あちこちでヒビが走る。その隙間から赤い光がもれてくる。それは溶岩にも見えたが。
¬んなバカな!、こんな場所に地殻断層があるはずが!・・・うわっ!」
下腹に響くような轟音とともに、溶岩は一抱えほどの太さの柱となって空へと吹き出す。五、六本ほどのその理不尽な噴火は、上空にあった薄雲に丸い穴を開け、彼方へと消えていった。