「落ちて・・・来ない・・・」
雲に開いた丸い穴と、リサの顔を交互に見つめる。
白瀬のリサはほほ笑みながら首を少し傾けた。
「今のは・・・魔法・・・なのか?」
「うん・・・そう・・・」
「白瀬さんが・・使った?」
「うん」
「・・・・・・・」
雲に開いた穴が、上空の風に流されて崩れていく。その穴が完全になくなってしまえば、今、目の前で起こった事が、白昼夢か何かであったのかと思ってしまうほどに、現実味のない出来事だった。人づてで聞いたなら、間違いなく一笑されて終わりだろう。
が、全て真実。実際に起こった見紛う事なき現実なのだ。
「まさか・・・本当に・・・あるなんて・・・」
つまらない現実、にえきらない日々・・・昭平にとってファンタジー小説は、唯一見つけた、そこからひと時の間、そのつまらなさを忘れさせてくれるものであった。
それは現実逃避という側面も往々にしてあったのかもしれない。だからこそ、その現実を貫いた先にその現実を超える何かが見つかるのではないか・・・昭平はある種の憧れを抱き、そう考えていた。が、現実の世界に馴染んで生きている他人にそれを悟られる事は絶対にしてはならなかったのである。
ここに至って前提が間違っていた事に、昭平は驚きを隠せずにいた。
現実そのものが常識の範疇を超えていた。それは夢物語などではなく、今、この目の前にある魔法という非常識が存在している。
「ほ・・・他には・・・何か出来るのか?」
「・・・・・」
白瀬の姿のリサは、黙って両手を広げた。手のひらが緑色に光ると、先ほどの地割れで倒れた棚や、掃除用具が注に浮かぶ。
「・・・ああ・・・」
モップや雑巾、バケツが昭平の周りをグルグルと周り始める。昭平は呆けたように口を大きく開けてその光景を見つめていた。
「た、頼む!」
「!」
昭平に肩を捕まれ、浮遊していたものが地面に音を立てて落ちた。
「白瀬さん、俺にも教えてくれ!」
「え?」
ショウヘイは自分よりも大がかりな大魔法が使えるはず。所持している膨大な数の魔道書からもそれは疑いようのないものと思っていたリサには、昭平の言わんとする事が理解できなかった。
「な・・何の?」
もしかして、ショウヘイは他の人と同じで魔法が使えない?・・だとすれば、あてが外れてしまったかのしれないが、リサはその箇所に落胆はしなかった。
「白瀬さん・・なんでもいい・・・とりあえずは」
魔法を使えるようになるという事は、この日常から脱するという事。
「お願いする」
昭平に両の手の平を捕まれたリサは、
「あわわわわ・・・」
目がぐるぐる回った。
「へへへ・・・」
回った・・・と思った瞬間、視界が真っ暗になる。
=・・・え?=
再び光が戻ってきたとき、リサは白瀬の上に浮かんでいた。
「素晴らしい!・・・魔法がある!・・・世界は光で満ちている!」
「・・・・・・う・・・ん?」
昭平がそう叫んだと同時に、白瀬美耶は目を覚ました。
「・・え?、何?」
さっきまで教室にいたはず。ホームルームが始まったとき・・。
「・・えーーと、なんか紐みたいなものを引いてそれから・・・」
そこからの記憶がない。今はなぜか体育用具室の中にいる。開いた扉の先は砂埃が立ち上り、視界はよくはない。
「え?、昭平・・・君?」
手を捕まれ、上下に大きく振られている。
「よろしく頼むよ」
「・・・え?、何を?」
まったく状況が呑み込めない。なんで二人でここにいるのか?、あと制服が埃だらけになってて、若干、体が痛い気がするのはなんでなのか?
「しかし、驚いたよ・・白瀬さんが魔法を使えるなんて」
「マホウ?」
「これからよろしく頼むよ」
「・・・いや・・・その・・だから、何が・・・」
「これは二人だけの秘密だ」
「・・・・・・」
両手を捕まれたまま、昭平はそう言って美耶に顔を近づけた。
「あ・・・はい・・・」
勢いに押される形で美耶はうなづいた。
「はあ・・・疲れたぁー」
表札には白瀬・・とある、郊外の一軒家の中、美耶は、家に帰るなり、はぁ・・と大きなため息をついた。
あの後、先生には怒られるわ、友達には色々言われるわ、関係ない周りのクラスの人達からもジロジロ見られるわで、散々だったが、何一つ覚えていないので、とにかく謝るしかなかった。グランドは滅茶苦茶にひび割れており、当分の間は使えない。聞いた話だと、そこから何かが噴出して壊したという事だったが、そんな事まで、自分が何か関係していたのだろうか・・・と、考えた途端、ぞっとして首をすくめる。
そんな事よりも。
「私・・・・」
昭平とずっと抱き合っていた・・・という話が一番衝撃的だった。嫌なわけではない。文武両道、端正な顔とスラリとした長身・・生徒会長として壇上でてきぱきと話をするその姿に、実はファンの女子は多い。美耶もその一人ではあったが、今までは孤高の存在・・近寄りがたい存在だった。他のコに恨まれるのではないかという心配もあったが、それよりも、妙な胸の高鳴りが止まらずにいる。
「なんで・・・」
記憶がないのか、それが悔やまれる。そんな事があって忘れてしまうとは何事があったのだろうか。
「あ、姉ちゃん、お帰り」
美耶の弟がソファーに横になってテレビを見ている。そこには昼間、学校で起こった謎のグランド隆起事件についてキャスターがコメントをしていた。
「姉ちゃん、凄ぇな、見たんだろ?、どうだったの?・・・あ痛っ」
美耶は弟の頭をコツンと軽く叩き、椅子に腰かけた。
その瞬間、ピ・・と、スマホの音が鳴った。
その名前を見て美耶は体を固くさせる。すぐに自分の部屋へと走って行った。
「・・・昭平・・・君・・・」
連絡を交換した事を思いだす。それはそれで凄い事だった。
小さな端末の水色の画面に、緑色の吹き出しが表示される。
(こんにちは)
「・・・・・・・」
何と返事をしようか迷った。
(こんにちは)
時間がかかったが無難にかえした。だが、それから何を言ったらいいか思い浮かばない。昭平の方も何も言ってはこなかったので、この間が重く感じられる。
「な・・なにか・・・」
(さっき連絡があった。明日、休校になるそうだ)
先に昭平がそう言ってきた。が、それに対して、どう返事を返すべきなんだろうか。
もしかしたら、その原因が自分かもしれないのに。
(それで・・もし都合がよかったら・・)
昭平の言葉が続く。
(どこかで会ってほしいんだけど・・どうかな?)
「え?」
そういう意味ではないと分かってはいても、その言葉がこそばゆい。
(大丈夫だよ)
「・・・・・・・」
(そうか、よかった。ありがとう)
昭平のその言葉に、美耶はほっとした。
(じゃあ、どこがいいかな?)
それもつかの間、すぐに聞いてきた。
「・・・・・・・」
美耶はしばらく考えたが、思い浮かんだ後は、片手で文字を素早く打つ。
(市外に出てみようよ。電車ならすぐだし)
(分かった。じゃあ、明日駅前で待ってるから)
(うん、よろしく)
細かな時間の確認をした後、会話はそれで終わった。
「これってさ・・・」
今日の事件の事についての話し合いの為の集まり・・で、ある事は分かっている。が、美耶はそれ以上のものを感じて、頬を緩めた。
早朝の田舎駅は雲一つ無く晴れ渡っていた。そんな淡い水色の空を見上げながら、昭平は昨日の事を思い返す。あの大地系の魔法が、今放たれていたら、途中にある雲がない分、いささかビジュアル的に地味になっていたかもしれない。そういう意味では昨日はうってつけの日だったのだと、昭平は眼鏡の淵に指を添えて上に戻す。それから視線をゆっくりと下に向けた。
駅前にある、狭い立ち食いそば屋と定食屋には、これから出勤するのであろう幾人かのサラリーマンが入っている。駅の敷地にあるロータリーの向こうに見える建物は団地だろう、今、ここらの店にいるサラリーマンの何人かはそこに住んでいるのかもしれない。薄緑色の高架橋の下には、白に青のラインの電車が動きだすのを待っていた。
何も変わらない日常。その日常の中の一つだった。
「昨日まではな」
その日常から飛び出ようと、無意味に、もがいていたのは昨日までの事、フ・・・と、口元に笑みを浮かべる。
「俺は違う・・・違う存在になる・・・魔法は存在するんだ!」
広げた手のひらを空に向ける。
「我が命に答えよ、そして顕現せよ!」
通行人が怪訝な顔で昭平を見ながら通り過ぎていく。
「・・・・・ごほん」
咳払いして何もなかったことにする。
誰かが後ろから近づき、影が足元に落ち、昭平は顔を上げた。
「・・・おはよう」
「おは・・・・」
笑顔で立っていた美耶の姿を見て、昭平は少し驚いた。
白のブラウスの上に、胸元一か所のリボンで結んである赤色のカーディガンを羽織っている。薄茶色のチャック柄の細いネクタイは、ミニのスカートと柄を合わせており、裾には白のギザギザが縁取るように見えている。黒の長いソックスとスカートの端から、肌はわすかに見えており、肌の白さが際立っていた。小さな茶色の革靴はまだ真新しい。
「おは・・・ゴホン」
やたらと気合の入っている白瀬に比べ、昭平は無難なブレザーで釣り合わない気がして、瞬間、目をそらしてしまった。
「今日、何処に行くの?」
「え・・ああ・・そうだな・・・」
魔法について話を聞くだけのつもりで喫茶店にでも行くつもりだったので、この後どこかに行く事は全く考えていなかった。
駅前の人通りが次第に増えてくる。時間的には通勤ラッシュになる頃合いだ。サラリーマンだけではなく、若者の姿も、ちらほら見える。クラスの誰かに見られた場合、これでは軽い立ち話をした・・・という感じにはとらえてはくれないだろう。
これではまるで・・・。
「と、とりあえず、電車に乗ろうか」
「!・・・うん」
昭平に手をつかまれながら、階段をあがっていく。
「・・・・・・・」
二つの腕の先・・見上げるとすぐそこに昭平の背中がある。
伝わってくる体温以上に体をぽかぽかと温かくさせた美耶の顔が赤くなる。
昭平は券売機で都心まで乗れる切符を二枚購入する
「・・・私の分まで・・悪いよ」
「俺が誘ったんだし、いいって」
財布を出そうとした美耶の手を止めた。
改札を抜けてホームに降りる。先ほどの立ち食いそば屋の裏手が見えた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
何を言っていいか分からず、昭平も美耶も口を開かない。
「昨日は・・・」
先に昭平が口を開く。
「昨日は大変だったんじゃないか?、いろいろ聞かれて」
「・・・そうだね」
実際、家に帰った後も、友達やら親やらにいろいろ聞かれて、疲れ気味ではあった。こうして朝早くから出かけたのは正解だったのだろう。
「魔法の事は周りに知られない方がいい。また面倒になるだろうし」
「うん」
この会話の途中から、美耶は内容が頭に入ってきていない。そもそも魔法云々という話は見当もつかない事であることでもあったが、それ以上に今は大変な事態がおきている。
=間もなく、2番線に急行、池袋行きが参ります、危ないので白線の内側に・・・=
アナウンスのあと、遠くから電車がゆっくりと近づいてくるのが見えた。
“おーい、昭平じゃないか? “
駅のホームの先、入り口の階段のあたりで聞き覚えのある声が聞こえた。
“あれ、隣にいるのは白瀬さん。なに何?、やっぱり昨日の抱擁はマジだったん? “
有弘は声をかけてきた。が、二人とも何も返さない。
“今、そっち行くから! “
電車が止まり、ドアが開いた。
二人は走って中へと入る。閉じた瞬間、有弘がホームの階段から降りてきた。
「危ない所だった・・・」
眼鏡を直そうと、指を当てようとしたとき、はじめて手を繋ぎっぱなしだった事に気が付き、すぐに離した。隣の美耶は俯いた。
「まずい・・・」
完全に見られた。百歩譲って昨日の出来事は事故だったと言い訳ができるが、今回のそれは、全く不可能に思える。誰がどう見てもデートにしか見えない。更に心配事を足してしまったようだった。
「ごめん、有弘は変な誤解をしていたみたいだ」
「え?、あ、いやいや!」
美耶は顔を上げる。顔は完全に真っ赤になっていた。
「だ・・大丈夫だから」
両手を広げて、首を大きく横に振る。
「有弘の奴が余計な事を言ったら、俺に言ってくれ、半殺しに・・・」
「大丈夫だから!・・全っ然っ、迷惑じゃないしっ!、むしろ嬉・・」
「・・・・・」
美耶は更に顔を赤くさせ、途中で声をくもらせた。昭平も妙な空気に、襟元をゆるめる。
電車は都心へと向かって行った。