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春風

 それはまだ先代女王が存命だった頃。

 春の麗らかな日差しの中、二人は出会った。


 この時、シュレイア五歳、アンシルは八歳。二人共にまだ幼い面差しで見つめ合う。


 既にシュレイアは王位継承者としての教育が始まっていた。来年からは王宮に通い、更に本格的に学ぶ事になっている。王家に通じる血筋には他に女児はなく、小さい体に重責を背負い、それでも凛と背筋を伸ばすシュレイアは美しい。


 アンシルはその金の瞳で値踏みした。この少女が果たして自分が守るに値するのか。まだ幼いが厳しい訓練を生き抜いてきたのだ。ノワール侯爵家の嫡男として、そして次期女王の側室となるために。


 しなやかな体を漆黒の執事服で包み込み、深くこうべを垂れる。


「初めてお目通り致します。ノワール侯爵家が嫡男、アンシルにございます」


 サラリと流れるぬばたまの髪が頬にかかる。

 それをシュレイアは興味深そうに見ていた。


「貴方がわたくしの護衛ですのね。そして、将来の側室。残念ですわ。貴方のような美しい殿方が側室だなんて。ハインス殿下さえいなければ貴方が王配だったでしょうに」


 心底残念そうなシュレイアの言い様にアンシルは息を呑んだ。


 ここにいるのはシュレイアと腹心の侍女が一人、そして自分の三人だけ。けれど影はどこにでも潜んでいる。今の言葉ではハインスを疎んでいるようだ。


 ハインスはシュレイアと同じ五歳。この頃から既に身分を傘に着て横暴に振舞っていた。それでも現女王の嫡男。悪し様に言ってしまってはシュレイアの評判に関わってくる。それは次期女王として喜ばしくはない。


 アンシルは非礼にならないよう叱責した。


「姫様、お言葉が過ぎるかと……」


 しかし、シュレイアはつんと澄まし、まだ化粧を必要としない薄桃色の唇を尖らせる。


「ここにはわたくし達しかおりませんのよ? ︎︎ノワール侯爵が人払いをしてくれていますもの。気にする事ありませんわ」


 確かに、今この場は父の手によって隔離されている。ノワール侯爵家は古くから王家に使える重鎮。それでも決して磐石ばんじゃくとは言えないのだ。


 馬鹿とは言え、いや、馬鹿だからこそハインスを担ぐ一派もいる。


 それに他国の間者が入り込んでいる危険性も考慮しなければならない。


 ここは公爵家の中庭にあるバラ園に設けられた密会の場。公爵邸の中央にあり警備の厳しい場所だが、それらを知り尽くしているのがノワール家である。しかし、それは他国の間者も例外では無い。侍女や侍従に潜り込み、陰に潜む。


 まだ幼いとは言え、これでは危機感が無さすぎるだろう。唯一の王位継承者としてその命を狙う者は多い。アンシルは瞳に剣呑の色を滲ませた。


 アンシルとて訓練を受けた護衛だが、まだ己を律する術は拙い。その変化は簡単に見抜かれてしまう。


「あら、何か言いたげですわね。遠慮する事はありませんわ。お言いなさい」


 気に障ったかと思い、ちらりと盗み見るがシュレイアは微笑んでいた。それはとても責めているようには見えず、逆に天使の如く麗しい。陽の光を浴びたシルバーブロンドの髪が風になびき、キラキラと輝く。間近で見たその眩しさに、アンシルは惹き込まれた。宝石のように澄んだ紫の瞳も美しい。


 見目の良さは言わずもがな、女王としての器を既に身につけている。この年で臣下の言葉に耳を傾けるのは、そうできる事では無い。


 一瞬、呼吸を忘れたアンシルの顔を無防備に覗き込むシュレイア。仕草は幼いのに、妙な色気があった。


 ――美しい……。


 最初はあまり興味の無かったその姿が、突然光り輝き洪水のように脳内に流れ込んでくる。シンプルなリボンタイのブラウスに、ラベンダー色のスカートが風に揺れ、慈愛に満ちた笑顔が胸を締め付けた。


 アンシルは影だ。

 光であるシュレイアに付き従い、命を賭して守る者。それが生まれ持った宿命。


 己の意志など無いも同じ。シュレイアの側室となる事も、王と父の間で取り決められた。ただ子種のためにはべるのだと思っていたが、この方ならばと誇らしく感じられる。


 アンシルはこの気持ちの名前に気付いた。しかし、それは決して報われない、明かしてはならない想い。側室として仕える事ができるだけでも幸せなのだ。


 このお方を生涯守り、決して離れまい。


 そう誓って、初めて芽生えた想いも心の隅に押し込めながら口を開く。


「恐れながら、姫様は尊きお方。何処にお命を狙う不届き者が潜んでいるのか分からないのです。殿下との婚姻にはご不満もございましょうが、次期女王たる分別をお持ちください」


 アンシルはわざと語気を強めて進言する。シュレイアには死んでほしくない。この先、ずっと共にあるためには、時に厳しくする事も必要だと考えた。


 そして、それは思いがけず受け入れられる。


「貴方は叱ってくださるのね。ありがとう。感謝致しますわ。わたくし、とても嬉しくてよ。誰も彼も、わたくしの顔色を伺ってばかりなのですもの。本当に、嫌になってしまうわ」


 少し寂しげなその声音に、シュレイアが置かれた状況が目に浮かんだ。


 シュレイアは現女王の姪に当たり、王子とは従兄妹同士で昔から付き合いがある。その馬鹿さ加減も、威張り散らす態度も、シュレイアは知っているのだ。そして、その馬鹿王子を担ぐ者達から煙たがられている事も。


 王子派の者達はハインスを傀儡の王に仕立てようとしている。それには現状の女系継承は邪魔でしかない。なんとか廃したいが、女王派は結束が固く、古い家系の貴族が多くを占める。


 新参者が多い王子派では太刀打ちできずにいるが、ここでシュレイアを失えば形勢は逆転するだろう。


 シュレイアはそれもちゃんと自覚していた。王子派の露骨な嫌味も、稚拙な嫌がらせも、その胆力で逆手に取る。


 中にはそれを傲慢だとか、高飛車だとかのにしる奴らもいるが、まだまだ小さい声だ。


 アンシルの元にはそういった微細な情報も伝わっていた。


 ひとつひとつの情報を頭に浮かべながらシュレイアを見ると、余計に愛おしく感じる。この小さい体で、大人達と渡り合ってきたのかと。


「ねぇ、アンシル。わたくしはこの国が好きでしてよ。愛していますの。民達もわたくしを慕ってくださいますわ。先月の花祭りでは皆が我先にと花を手渡してくれましたのよ。ご存知でしょう? ︎︎次期女王へ花を贈る意味を。誠意と忠誠を誓う行為ですわ。勿論、中にはハインス殿下を敬する者もいるでしょうけれど」


 そこでひとつ息を吐くと、そっとアンシルの両頬に手を添える。近距離で見つめ合う、金と紫の瞳。アンシルの褐色の肌にはシュレイアの白い肌がよく映える。


わたくし、貴方が欲しいですわ。あんなうつけでは無く、アンシル、貴方が。そして、貴方の子供が。きっとこれが恋ですのね。とてもドキドキしていますの。貴方を一目見た時から、そわそわして、でも心地良くて。ふふ、子供の戯言たわごとだと笑われてしまうかしら。でも、こんな気持ち初めてですのよ?」


 そう言うシュレイアの頬は薄紅色に染まっている。それは五歳とは思えないほどの色香を纏う。アンシルもまた、小さな手に己の手を重ね、うっそりと微笑んだ。


「いえ、私も同じように想っておりました。貴女様の気高きお姿に私の心は奪われ、この身も捧げる覚悟でございます。どうか、私をお傍に……」


 その言葉に、より一層の笑顔が向けられる。幼いけれど、アンシルには極上の笑みだ。


 そっと前髪を掻き分け、まろい額に口付けると、シュレイアも同じように応える。


 こうして幼い恋が始まった。

 そしてそれは幾星霜へと紡がれる。


 笑い合う二人の間を、春風が吹き抜けていった。

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