Szene-01 二番地区、ドミニク家前
「ヒルデガルド、
「たっぷりあります。でも、指は大丈夫なのですか?」
「あなたならよく知っているでしょ。この醜くなってしまった指を」
ルイーサの左手親指は、同じ年ごろの少女と比べると、若干太くなっている。
これはルイーサ発案の攻撃方法によるものだ。
「決して醜くなどありません。努力が作り出した結果ですから」
「でもね、美しい女性でもありたいの。それなのに、指ばかりか爪までぶ厚くなってしまって。もっとやり方を考えるべきだったわ」
しばし親指を見つめてから、ヒルデガルドに向けて片手を出した。
「どうぞ」
大剣を手に取るが、剣先を肩より上に持ち上げる前に落としてしまった。
「ルイーサ様!」
「ごめんなさい。思っていたより力が入らないみたい。短剣にするわね」
「無理はなさらないように」
「これぐらいで無理をしていたらまた罰を受けるわ」
大剣の形をそのまま小さくしたような短剣を手に取り、ドミニク家の敷地内にある修練場へと向かう。
「ルイーサ。長いことほっつき歩いていたようだな。その鈍り様はひど過ぎるぞ」
「……」
「そのまま寝込むとさらに鈍るからな、いつも通りの修練をする」
ルイーサの師匠、ドミニク・マイナードは上級剣士である。
十年前の戦いにおいて前線で活躍した一人だ。
アウフリーゲンやダンとは別の前線であったため、二人とは接点が無い。
しかし、面識が無くても戦いで生き残り、町を守った剣士同士、互いに名前ぐらいは耳に入っている。
名のある剣士の一人であるドミニクは、戦いで左太腿に深い傷を負ってしまった。
それ故、戦いの際は後方に回される。
現在では主に、上級剣士以上の者しかなれない師匠となっているが、娘であるルイーサのみの師匠として、上級剣士の役を務めている。
「短剣か。いつも大振りばかりしているお前だ。攻撃が単調にならぬようにするには、いい機会かもしれん。さあ、いつでも来い」
右足に体重をかけて構えるドミニク。
普段左足は、何をするにも引きずっているため、どうしても右足頼みとなる。
それでも師匠を務めることができる腕前ということで、戦歴とともに、町では名が通っている。
「はああああああ!」
ルイーサは、両腕の痛みを打ち消すように、声を張り上げて向かって行った。
Szene-02 ダン家、庭
師匠に急かされたエールタインが、小さな声でティベルダに問う。
「ねえ、教えて」
「牽制を囮にする、というのはどうでしょう。今までの牽制を囮にして、もう一つ牽制を重ねる。どちらかに気を向けさせることができれば、隙が見えると思うのです」
「んー」
天を仰いでしまったエールタインに、しびれを切らした師匠が声を掛けた。
「あのなあ。新しい弟子を取って追い出すぞ!」
「いやだ! ボクはダンの子でもあるんでしょ! やるよ、やります!」
「まったく……かわいいから困るんだよ、お前は」
鼻息をひと吐きし、改めて受け身を整えたダンだが、表情は柔らかかった。
Szene-03 ドミニク家、ルイーサの部屋
ルイーサは、動きがひど過ぎたため、修練は、師匠が早々に切り上げて終了してしまった。
ドミニクから、早く寝て回復させて来いと言われたルイーサは、自室でぶつぶつと呟いている。
「あの子にうつつを抜かし過ぎていたわね。私は剣士にならなければいけないというのに」
ルイーサは、床に座ってベッドに突っ伏していた。
長い金髪が顔を隠し、指で髪の先をクルクルと巻くなど弄っている。
落ち込みを露にしているルイーサのもとへ、ヒルデガルドがやってきた。
「失礼しますね」
ヒルデガルドは、毎晩ルイーサの部屋で過ごす。
ヒルデガルドが自分の部屋を出入りすることに、ルイーサが反応することは無い。
唯一、すべてを許している者、ということらしい。
小さな鞄を持って現れたヒルデガルドは、主の横に座った。
「きれいな髪。見慣れているはずなのに、見る度に目を奪われます」
「……それ、聞き飽きたわよ」
「ルイーサ様が素敵なのですから、何度でも言いますよ」
「別に……いいけど」
ヒルデガルドは主人の横で、持ってきた小さな鞄を開けると、中に向けて手を差し出した。
「おいで」
声をかけると、灰色と白色の縞模様をした、艶のある毛に覆われたリスが顔を出した。
乗るように手を揺らすと、ひょいっと飛び乗った。
「あなたもきれいだと思うでしょ? いつも話していた方よ」
リスは、ルイーサが弄っている金髪の先で、クルクルと動いている指を捕まえた。
「……何?」
珍しい感触であったからか、ルイーサは反射的に、金髪カーテン越しに指先を見た。
「……何っ!?」
驚いて固まってしまった主人に、従者は慌てて説明を始める。
「驚かせててごめんなさい。私の仲良しさんなんです。悪いことはしませんから安心してください」
「魔獣!?」
「驚きますよね。ルイーサ様が怖がってしまったからこっちにおいで」
リスは、軽い足取りでヒルデガルドの肩まで駆け上がった。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「はい。今まで話していなかったのですけど、私は小型の魔獣なら懐かせられるのです」
「……その魔獣がずっとこの家にいたってこと?」
「そう……なります」
ルイーサは、ゆっくりとベッドから離れて、ヒルデガルドへと向いた。
「まったく、おどろかせてくれるじゃない。あなたの様子だと本当に大丈夫なようね」
「はい、安心してください。私がルイーサ様を危ない目に合わせるなど、ありえませんから」
「そうよね。理由があって見せたのでしょ? 聞かせてよ」
ヒルデガルドは、小さな木の実をリスに与えてから話し始めた。
「深い意味はないのです。ただ、ルイーサ様が落ち込んでいらしたので、元気になっていただくためにと」
「そう。確かに気にしていたことは吹っ飛んだわ。あなたの気持ちもうれしいし。でもまだ魔獣のことは警戒してしまうわね」
リスは、両前足で木の実を持ち、カリカリと食べている。
「ルイーサ様のことはしっかりと教えてあります。今も指で遊びはしましたが、じゃれていただけ。この子は、ルイーサ様の言うことも聞くんですよ」
「そうなの? あなた、持久力の他にも能力があったのね」
「この能力は誰にも知られていません。知っているのはルイーサ様だけです」
ヒルデガルドは、膝の上に乗るようリスに合図をする。
リスにとっての主、ヒルデガルドの肩から膝に駆け降りると、ちょこんと座った。
「本当に言うことを聞いているわ。これってすごいことなのよね。能力なのだから当然だけど」
「気が晴れるお手伝いが出来たのなら良いのですが」
「吹っ飛んだってば……ところで、その子に名前はあるの?」
「え!?」
リスの名前について聞かれたヒルデガルドは、妙な焦りを見せた。
「何よ。名前を聞いただけなのにおどおどして」
「そ、それが……ル、ルイーサという名前なのです」
「は? 私の名前を付けたの!?」
「申し訳ありません! よく懐いてくれるので一番良い名をと、大好きなルイーサ様のお名前を付けていました」
ヒルデガルドの話を聞いて、ようやく穏やかな笑顔に変わったルイーサは、ヒルデガルドの頭をやさしく撫でた。
「あなた、本当に私が好きなのね。そう、それでいいのよ。でもこのことを知った以上、今後同じ名前では都合が悪いわ。一緒に名前を決めるというのはどうかしら」
「えっ、えっ、よろしいんですか!? ぜひ、是非お願いします!」
リスは二人の間に座らされ、名前が決まるまで鼻だけヒクヒクと動かしつつ、じっとしていた。