僕には友人、親族がたくさんいる。友人は先輩、同級生、後輩がいる。親族は父の兄妹が八人、母の兄妹は七人いる。 僕の名前は板垣譲二(いたがきじょうじ)、二十五歳。職業は実家が農家なのでその手伝いをしている。ミニトマト、米を作り農協で買い取って貰っている。彼女はいるが最近会っていない。会ってくれない、と言った方が的確か。なぜかは僕が後輩の女の子と仲良くしていたからだと思う、多分。嫉妬というやつだろう。てことは、彼女は僕のことがまだ好きでいてくれている証拠だ。
彼女の名前は、前島香奈(まえじまかな)、二十七歳。僕より二歳年上だ。香奈とは同じ高校で同じ書道部で知り合った。香奈が書く字は凄く綺麗。僕は近所の習字教室で小学校一年生から六年生まで習っていた。中学生の時も習字部があって、一年生から三年生まで入部していた。高校生の時も三年間、書道部に入部していた。小学生で六年間、中学生で三年間、高校生の時にも三年間、書道を習っていた。僕は書道が好きだ。だから、実家で書道教室を開いている。一階の二部屋を借りてそこにテーブルを十五台くらい置いている。金曜日と土曜日の二日間に僕の家に来てもらい教えている。小学生から大人まで幅広く教えている。香奈にも手伝って貰いたいが彼女も自分の仕事があるから難しい。生徒は三十人くらいいる。これ以上は増やす予定はない。一人で対応するのは大変だ。でも、一人当たりの月謝が一ヶ月三千円なので合計すると、十万円近くに上る。好きなことを副業にしているので文句はない。
香奈はコンビニでパートをしている。九時から十六時まで。僕は高卒だが、香奈は大卒だ。大学では、文学を専攻していたらしい。彼女は小説が好きで、執筆したり読書を毎日しているようだ。いずれは小説家デビューを目指している。そういう夢があっていいなと思う。僕は収入面には問題がないが夢がない。まあ、香奈との結婚や子どもを作ることは夢と言えば夢だが、それは誰でもしていることだ。家庭をもつことは責任を伴うが、楽しいとも思う。もし、そうなった場合は、街にアパートを借りて毎朝実家まで行って仕事をすることになるだろう。結婚して両親と同居はしたくない。
先輩の中では、近所に住む幼馴染の友人がいる。彼の名前は、|秋村雄介(あきむらゆうすけ)、二十八歳。小学生の頃、家が近くて夏休みに開かれる朝のラジオ体操は一緒に行っていた。ラジオ体操は面倒だからしたくなかったけれど、終わったあとに押されるハンコが楽しみだった。雄介さんにはお世話になった。家までの道路を二人で歩いていて、僕が転んでしまって膝から出血して泣いている僕をおんぶして家まで帰った記憶がある。あと、テレビゲームをしていて僕が負けてしまった時も代わりにやっつけてくれたりと優しい人だ。もちろん彼とは今でも交流がある。
今日は雄介さんと遊びたい気分なので、LINEを送ってみた。
<こんにちは! 久しぶりだね。今夜は暇?>
幼馴染だから昔からため口で、今もため口。言葉遣いについては何も指摘されたことはない。 今の時刻は午前十一時頃。仕事中かな。雄介さんの職業は自衛隊で既婚者だ。なので、駐屯地には住んでおらず、奥さんと二人でアパートに住んでいる。子どもはいない。前に聞いた話しだと、奥さんは子どもが出来ない体らしく、夫婦二人でも仲良く暮らしていけばいいだろうということだ。確かにそういう考え方もあるなと思う。雄介さんからLINEがきた。
<お疲れ! ああ、空いてるぞ><今夜、遊びに行っていい?> 少し間が空いてから、
<散らかってるけどいいぞ>
よかった、久しぶりだ。
<七時頃行っていい?>
<ああ、いいぞ、わかった。待ってるわ>
僕は十八時頃、仕事を終えてまず風呂に入った。 風呂から上がったのが十八時四十五分頃。僕は母に出掛けるということを伝えた。
「どこに行くの?」
と訊かれたので答えた。
「雄介さんのところに行って来る」
母は、
「あ、それなら」
と言って野菜とミニトマトを袋に入れた。
「雄介くんのところに行くならお土産にこれ持ってってあげなさい」 僕の両親は雄介さんの両親との付き合いがある。だからそれらをくれた。 夕ご飯を食べ終え(おかずはチカのフライと野菜炒めと味噌汁)、青いロングTシャツを着て、ダメージジーンズを履いた。今は三月。北海道の三月はまだ寒い。黒くて薄いジャンパーも羽織った。僕の体型は小柄な方なのでサイズはLでいい。だから、買う時も安上がり。その後、歯を磨き一応、エンジンスターターでエンジンをかけた。車のエンジンの温度が低いまま走るのはエンジンによくない。十分くらいしてから、
「じゃあ、行ってくる」
と母に言ってから出かけた。因みに僕の車は白い普通乗用車。そろそろ洗車しないとだいぶ汚れてきている。
僕の家族は、父、母、妹、祖父、祖母、僕の六人暮らし。祖父は今、肺炎で入院している。煙草を一日二箱くらい吸うせいだろう。医師からは、
「煙草を止めないといけない」
と言われているが、本人は止めないと言い張っている。
「早死にするぞ!」
そう父に言われているが、祖父は頑固で、
「大丈夫だ!」
言うことをきかない。
父は、
「好きなようにすればいい」
と言って呆れている。
「祖父は禁煙するのは入院中だけだ」
と言っている。
少し車を走らせ、雄介さんのアパートに着いた。停めるスペースがないので、路上駐車した。僕はエンジンを止め車から降りた。母から渡されたお土産の野菜の入ったビニール袋を持って。鍵をロックし彼の部屋のアパートのドアの前に立ちチャイムを鳴らした。ちょうどトイレの水を流す音がして中から声が聞こえた。
「はーい」と。
「僕です。板垣です」
「お! 譲二、来たか」
と聞えてきた。
ドアの鍵を開けてくれ、中から開けてくれた。
「こんばんは!」
僕が微笑を浮かべながら挨拶すると、
「オスッ!」
雄介さんも笑顔を浮かべながら挨拶してくれた。
「久しぶりだな」
彼は言った。
「そうだね、どれくらいぶりだろう」
「まあ、中に入れよ」
玄関は狭く、灯油を入れるポリタンクが三つ置いてあった。だから尚更狭いのだろう。奥さんがキッチンにいて、僕の存在に気付いて、
「あ、こんばんは。久しぶりねえ」
「そうですね、いつ以来だろう」
雄介さんの奥さんの名前は、秋村ひとみという。彼女は凄く優しい。
雄介さんは話し出した。
「実はもっと広いマンションに引っ越そうと思ってるんだ」
唐突だ。
「そうなんだ。これ、お土産」
僕は手に持ったビニール袋をひとみさんに手渡した。すると、「あ、ありがとう! 助かる~! 最近、野菜高いからさ」
「そうなんだね。喜んでもらえてよかった」
僕は嬉しくなり、笑みをこぼした。雄介さんは話し出した。
「このアパートはひとみが独身の頃に住んでいたアパートだから狭いんだわ」
「そうなんだね、確かに二人で住むには狭いかも」
部屋が狭いという話しは今回が初めて。
「だろ? 土曜日にでも不動産屋に行こうと思ってるんだ」
ひとみさんは、
「ビールとジュースも入ってるよ。二人とも飲む?」
雄介さんは、
「俺はビールをいただくわ」
「じゃあ、僕はビールは帰り運転だからジュースをもらうよ」
彼女にも僕は言った。
「ひとみさんも何か飲んでね」
「ありがとう! じゃあ、野菜ジュースをもらうよ」
三人で円を描くように座った。
二十二時過ぎまで三人で喋った。喋った内容は、仕事の話しやお互いのこと、最近の出来事などを喋った。僕は、
「よし、十時過ぎた。そろそろ帰るかな。楽しかった」
「俺も楽しかったよ。また、来いよ」
「わたしも楽しかった。またね!」
「じゃあ、また」
と言って僕は立ち上がった。 玄関から出るとき、雄介さんは、「気を付けてな」
「うん、わかった、ありがとう」
そう言って部屋を出た。
不意に僕の彼女の前島香奈のことを思い出した。何をしているだろう。連絡を取らなくなって約一週間が経過する。LINEを送っても既読がつかない。なぜだ? ブロックしているのか? 思い切って電話をかけてみた。でも、なかなか繋がらない。十回ほど鳴らしたら繋がった。僕は焦ったのでどもってしまった。
「も、もしもし! 香奈!?」
『……もしもし』
彼女の声が低い。まだ、怒っているのだろうか?
「あ、あの、まだ怒ってる?」
『は? わたしは怒ってないよ。いつ怒ってるって言った?』
もしかして、僕の勘違い?
『ここ一週間くらい連絡くれなかったけど、何してたの?』
「僕の後輩と仲良くしているのを見て、怒っているから様子をみようと思って連絡は控えていたんだ」
『それは大きな勘違いよ。身内で不幸があったの。それで、連絡できなかった。女子の後輩と仲良くしてたくらいで怒ったりしないよ』
「そうだったんだ! それならよかった!」
『身内が亡くなったから、私はよくないけどね』
「ああ、そうだね。すまない」
『別にいいけど』
僕は車に向かって歩いた。明日、夜会うことになった。よかったー! 自宅に帰宅してみると何だか物々しい雰囲気だ、どうかしたのだろうか。両親は二人で喋っている。近付いて行ってみると母が僕が帰ってきたことに気付いた。僕は訊いた。
「どうしたの? 何かあった?」
父が話し始めた。
「おれの弟が死んだ……」
それを聞いて僕は衝撃を受けた。父の八人の兄妹の中で一番世話をしてくれた、板垣啓二(いたがきけいじ)さん、四十八歳。僕は啓二おじさんのことが人として好きだった。何しろ優しい人だった。僕は父に死因をきいた。すると、肺がん、と言っていた。板垣家は肺が弱いのか? 祖父も肺炎で入院してるし。気を付けないと。僕も肺の病気になる可能性はある。煙草は吸わないけれど。僕も話し出した。
「確か、啓二おじさんって九州に住んでるよね?」
父は、
「そうだ。だけどおれはそんなに何日も休めないんだ。一応、仕事場では部長だから責任がある役職だからな」
母も話し出した。
「今までは、こういうケースがなかったから何日も休めないと思ってるかもしれないけれど、社長に訊いてみたらは? じゃないと、これからこういうケースが出てくるから知っておかないと」
父は考え込んでいる様子に見える。
「そうだな。お母さんの言うことも一理あるな。社長に訊いてみる」
「うん、そうした方がいいよ」
父が言うには通夜は明後日の十八時三十分かららしい。だから明日か遅くても明後日には飛行機で行かないといけない。父は苦渋の表情を浮かべながら泣いているように見える。
「まさか……まさか啓二がおれより先に逝くとはな」
父は言いながら、洟をすすり上げている。
「兄妹の中で一番いい奴だったのに……」
父はテーブルに突っ伏して泣いている。気の毒に……。父を見ていると、もらい泣きしてしまった。
「僕もかなりお世話になったなぁ……」
母は、黙って俯いていた。妹は自分の部屋にいるのだろうか。祖父母も黙って白いソファに座っている。父は言った。
「父さんと母さん、明日か明後日、九州に行くけど行けそうか?」
父さんと母さんというのは僕からみて、祖父母のこと。
祖父は、
「わしは行けるぞ。飛行機には初めて乗るけどな」
祖母は、
「ワシは……行かなくちゃいけないんだけど、飛行機乗るの怖いわ……」
父は、
「母さん、怖いかもしれないけど息子が亡くなったんだぞ。行かなきゃならんぞ」
「だよねえ……。じゃあ、行くか」
父は、
「まあ、全ては社長が暫く休暇を取っていいか訊いてからになるけどな」
翌日になり父や祖父母の表情を見ると暗い。やはり、相当ショックのようだ。父はスマホを手にし、会社に電話をかけた。因みに父は土建会社の事務所で仕事をしている。今の時刻は七時二十分頃。「もしもし、板垣だけど社長いる? うん、わかったよ。あ、社長、おはようございます。実は今日弟が亡くなりまして、明後日、通夜なんですよ。それで三、四日休みを取りたいんですけどいいですか? あ、そうですか、わかりました。ありがとうございます」
「母さんの言う通りだわ。社長に話したら四日くらいなら大丈夫だって。話してみるもんだわ。チケットを予約するわ」
父はすぐに最新のパソコンを開き、格安航空券、と入力して検索した。
僕は父ほどネットでの買い物は得意じゃないが、Word、Excel、PowerPointの方が得意。だから、チケットを買うのは父に任せる。
翌々日、父と母と祖父母は通夜に参加するために九州に向かった。帰ってくるのは予定では四日後。通夜、告別式があるから。
家には僕と妹の時子(ときこ)の二人きり。時子は携帯電話のショップの店員をしている。勤務時間は十時から十九時まで。彼氏はいないがこの前、
「好きな男性がいる」
と打ち明けてくれた。僕の心境は複雑だ。妹のことは好きだ。でも、妹は僕のことをどう思っているのか。もちろん、僕もそうだが恋愛感情ではない。好きな男性、に対しては恋愛感情だろう。そこが複雑なところ。同じ『好き』でも種類が違う。妹を取られるような感覚はある。でも、時子がその男性のことが好きで、男性も時子のことが好きだったら交際するかもしれない。
「付き合うな」
とも言えないし。
時子は時子の人生がある。無論、僕にも僕の人生がある。だから、無理矢理彼女の行動を制限することはできない、そんなことする気もないし。こうして欲しい、という願望はあるけれど。その願望も言わない、と言うより言えない。嫌われたくないし。
朝の便で飛行機に乗り、九州まで二時間半くらいで着いたらしい。母からLINEが来てわかった。食事代は置いていってくれた。今夜は何を食べよう。 時子に訊いてみた。すると、
「お兄ちゃんに合わせるよ、何でもいいから」
と言った。
「じゃあ、牛丼でいいか?」
「うん、いいよ」
僕は車に乗り、街におりた。住んでいるところは山なので片道十五分くらいかかる。不便だ。仕方ないけれど。独りで行くのもなんだから、妹も連れて行こうと思って訊いてみた。時子は、
「面倒くさいよ」
言ったが、
「じゃあ、僕はどうするんだ? 俺買いに行くんだぞ」
そう言うと、
「わかったよ、寂しがりやのお兄ちゃん」
言いながら時子は笑っていた。
「そんなことはないぞ! 運転中、独りじゃ暇だろ。だからだよ」
時子は僕が言ったことを信用してないようで、笑っている。
好きだから一緒に行動したいというのが本音だけど、それは言いにくいし。一瞬、馬鹿にされたと感じて頭にきたけれど、すぐに治まった。まあ、何でもいいから一緒に行ってくれたらそれでいい。僕の気も済む。
時子は後部座席に乗ろうとした時、僕は、
「助手席に乗れよ」
と言うと、
「えー、いいじゃない。後ろで。シートベルトするの面倒くさいよ」
今、思ったが時子はわがままなのか? 何でも自分の思い通りにしようとする。なので僕は、
「車に乗るのはちょっとの間だろ」
少し強い口調で僕は言った。すると妹は、
「わかったよ、仕方ない」
仕方ないってことあるか! と心の中で叫んだ。でも、口には出さなかった。この子のことだから、臍(へそ)を曲げて、
「行かない!」と言い出すかもしれないから。何としてでも僕は時子と一緒に買い物に行きたい。それくらい強い思いだ。
妹は助手席に乗った。僕は運転席に乗り発車した。 やった! 時子と一緒に買い物に行ける! 一人で嬉しがっていた。今日は牛丼をドライブスルーで買うけれど、時子は料理は出来ないのか? 出来るなら作って貰いたいな。そう思ったので訊いてみた。
「時子、お前は料理出来ないのか?」
「何で?」
「出来るならその方が安上がりだろ」
時子は、
「作れるけど面倒だよ。そのためにお母さんはお金を置いていったじゃない」
確かにそうだ、でも、と僕は食い下がった。
「僕は時子の手料理を食べてみたい」
妹は、
「えー!? 面倒くさいなあ……」
「お前は本当に面倒くさがり屋だな。何かにつけて、面倒くさい、面倒くさいと言うよな」
時子は、
「そうよ! あたしは面倒くさがり屋なの!」
「それじゃあ、嫁に言ってもそんなこと言うのか!?」
彼女は溜息をついた。
「それとは別じゃない。結婚したらちゃんと作るよ!」
「ならいいけど」「お兄ちゃん、余計なこと言わないで!」
余計じゃない! と思ったが言わなかった。あまり言うと本気で怒らせてしまうから。そうなると厄介だ。暴言を吐くし、叩いてくるし。それこそ面倒なことになる。
牛丼屋に着き、ドライブスルーで時子の食べる量を訊いた。
「あたしは、並盛でいいよ」
僕は特盛にする。マイクのある場所まで行き、店員の声が聞こえた。
「いらっしゃいませ。お決まりになりましたら、マイクに向かってどうぞ」
「えーと、牛丼弁当の並盛一つと、特盛一つ」
「承りました。お車を移動して下さい」
僕は車を窓のあるところに移動した。
少し待って窓が開いた。会計を済ませ、牛丼弁当を受取った。店員は、
「ありがとうございました。お気を付けてどうぞ」
と言って帰宅した。
家に到着して僕は時子にお礼を言った。
「一緒に来てくれてありがとな」
すると、
「いや、いいけど。でも、明日は付いて行かないよ」
でも、僕は食い下がった。
「みんなが帰ってくる日まで一緒に来てくれよ。その後は母さんが作るだろうからさ」
そう言うと、
「えー! 嫌だよー」
「それじゃあ、何がいいか分からないだろ」
「確かにそうだけど。うーん、わかった」
と嫌々ながらについて来るようだ。よかった。
四日後の十五時過ぎ。家族が帰ってきた。僕は家で仕事をしていた。母が近づいて来て、
「お疲れ様」
と労ってくれた。僕も、
「母さんもお疲れ様。父さん達は?」
と訊くと、
「家に入ったんじゃないかな。九州はこの時期だけど暖かいわ。北海道とは違う」
「そうなんだ」
母は笑みを浮かべながら、
「お土産買ってきたから食べな」
「お土産? わかった。今、行くわ」
「うん、時子は仕事だね?」
「そう、仕事に行ってる」
僕は一旦、仕事を中断し、お土産を食べに家の中に入った。中には父と祖父母がいて休んでいた。
「疲れただろ?」
と父と祖父母に言うと、
「ああ、疲れたわ」と祖父。
「でも、飛行機に生まれて初めて乗れてよかった」と祖母。
「俺は大丈夫だ。お土産食べたら仕事するわ」と父。
さすが、父はタフだ。
母が言った。
「シフォンケーキよ」
僕は、
「九州のどこに行って来たの?」
「福岡よ」
母は皿に包丁でカットしたシフォンケーキをテーブルの上に置いた。
「お! 旨そう」
僕は、声をあげた。一切れ取って食べてみた。うん! 見た目通り美味しい! 僕は、もう一切れ食べてから水をコップに一杯飲み、
「仕事してくる。父さんも仕事するんだろ?」
「ああ、する。着替えてからな」
僕は、
「先に行ってるから」
「わかった」
「じいちゃん、ばあちゃんはゆっくり休んでね。仕事は今日はしなくていいから」
父は、
「お前はじいちゃん、ばあちゃんには相変わらず優しいな」
と言うと、
「そりゃ、老人だから無理は禁物だよ。父さんは若いから、そんなに優しくしなくてもいいだろ?」
僕がそう言うとみんなで爆笑した。でも、その後に祖父は、
「譲二はおれやばあさんが年輩だから馬鹿にしてるんじゃないのか?」
そう言われて僕は、
「そんな、馬鹿になんかしてないよ。勘違いしないでよ」
祖母は、
「じいさん、何てこと言うのさ。そこは素直に、ありがとう、と言わなきゃ。譲二の優しさだよ」
祖父は、
「そうか」
と祖母の意見に納得したようだ。
時刻は十九時過ぎ。僕と父は仕事を終え父から入浴した。もうすぐ時子も仕事から帰ってくるだろう。その時、母のスマホに通知がきた。母は見てみると、
「時子からだわ。帰り少し遅くなるって。職場の人とカラオケに行くみたい」
それと同じくらいに僕のスマホにLINEがきた。後輩の、杉山朋美(すぎやまともみ)からだ。開いてみた。
<こんばんは、板垣さん。今、暇ですか?>
朋美は二十二歳。大学を卒業して銀行員をしている。彼女とはたまに遊ぶ仲だ。
<これから飯食って、風呂入るよ>
<あ、そうなんですね。相談に乗ってもらいたいことがあったんですけど無理ですか?>
<いや、それ済んてからでいいなら相談に乗るぞ>
<ありがとうございます。用意出来たらLINE下さい>
父が風呂から上がった後、次に僕が入った。今日の夕食は何かな? と考えつつ。 僕は三十分くらいで風呂から上がった。多分、外はまだ寒いだろう。少し暖かい格好で行くか。黒いロングTシャツにブルージーンズを履き、パーカーを羽織った。春のファッションだろう。言われた通り支度が出来たので朋美にLINEを送った。
<用意できたぞ。朋美のアパートに行っていいのか?>
少しして彼女からLINEがきた。
<はい、いいですよ。待ってます>
母に、
「ちょっと出かけてくるわ」
と言うと、
「明日も仕事だからあんまり遅くなるんじゃないよ」
「あいよ~」
母の決まり文句だ。正直ウザい。でも、いちいち反論はしない。面倒だから。因みに夕ご飯は帰宅してから食べる。いつも夜に出掛けるからそうしている。
僕は自分の白い車に乗り出発した。暫く走って朋美のアパートに着いた。隣町だから少しだけ時間がかかった。チャイムを鳴らし彼女がドアの鍵を開けてくれるのを待った。部屋の中から足音が聴こえてきた。そして朋美の声がした。
「はーい」
「僕だけど、板垣だよ」
そう言うと、
「今、鍵開けるね」
と聞えた。ガチャリと音がしてドアが開いた。彼女の顔は暗くて顔色まではわからなかったが笑顔じゃないのはわかった。どうしたのだろう。いつもと様子が違う。いつもなら笑顔で明るいのに。「こんばんは」
と朋美は言った。僕も、
「こんばんは」
同じように挨拶した。
「入って下さい」
何だか暗い雰囲気。僕は玄関に入り、青いスニーカーを脱ぎ部屋に入った。ワンルームなのですぐに部屋の中は見えた。これは一体……。いつなら綺麗にしている彼女の部屋の中は衣類やゴミなどが散乱していた。僕は朋美を見ると嗚咽を漏らしていた。僕は声を掛けた。
「朋美……どうしたんだよ」
彼女は僕に抱き着いてきてそれを受け止めた。
「……彼氏、浮気してました……」
ヒックヒックとしゃくり上げながら号泣しだした。
「事情を話してくれよ」
そう言って僕は彼女が落ち着くのを待った。
何とか泣き止み、朋美は僕から離れた。
「……ごめんなさい、抱き着いちゃって。他に頼れる人がいなくて」
僕は朋美の顔を見ながら、
「いや、それは大丈夫だ」
彼女の顔は真っ赤になっていて目も泣いたせいで充血していた。「……事情……話しますね。実は、今日うちの誕生日だったんです。それで彼氏にLINEせずに行ってみたの。そしたら……そしたら……」
彼女は再び泣きだした。僕はその姿を見つめて抱きしめた。
「ごめんなさい……。話しますね。彼氏は他の女の人と全裸で部屋にいて……もう、もうこれ以上話したくない……! 思い出しちゃうから……」
僕は、うんうんと頷きながら言った。
「言いたくなければ言わなくていい。話したくなったら話してくれ」
「わかりました……。すみません、呼び出しておいてこんなんで」「いやいや、いいんだ。頼りにされているだけ僕は嬉しいよ」 僕と朋美は立ちながら話していたので彼女は、
「ごめんなさい、座って下さい」
そう言われたので近くにあった白い二人掛け用のソファに座った。
「朋美も座れよ」
彼女は頷き僕の横に腰を下ろした。そして沈黙が訪れた。
だいぶ長い時間黙っていると落ち着いたのか朋美は話し出した。「はーあ、うちも板垣さんみたいな優しい男を好きになればよかったな」 僕はそれには答えなかった。すると、
「何か言って下さいよ」
「いや、そう言われてもな。まあ、一つ言えるのは優しい男を探せとしか言いようがないなあ」
「ですよねえ」
朋美を見ると目は充血しているが、顔の赤みは元に戻ってきた。「板垣さん、ご飯食べましたか?」
「いや、食べてないよ」
「そうなんですね。今日、慰めに来てくれたお礼に夕食ご馳走してあげますよ」
僕は驚いた。
「え、いいのか? 今は無理しない方がいいんじゃないのか?」「大丈夫です。うち、がんばります」
僕は内心、この子は立ち直りが早く、強い子だなぁと思った。なので、
「わかった、応援してる」
「はい、炒飯でいいですか?」
「ああ、作ってくれるなら何でもいいよ」
「そうですか、うちは食べないけど」
僕は、え、と思った。
「食べないのか。食べたくないの?」
彼女は僕から目を逸らし、
「ええ、まだ食欲がなくて……」
「まあ、そうだよな。そんなことがあった後だもんな。朋美、今日誕生日なんだな。知らなかった」
朋美は頷き喋り出した。
「まあ、それは言ってなかったですから」
「そうか、おめでとう! まあ、良い一年になるといいな。こんなことがあった後だけど」
「ありがとうございます。また、いい人を見付けますよ」
そう言って朋美は立ち上がりキッチンに向かった。
僕は朋美が作ってくれた炒飯を食べ終えた。とても美味しかった。僕の母が作るそれよりも美味しいのではないかと思った。
彼女は言った。
「何しますか?」
僕は考えた。そして、
「朋美を抱きたいな、なんていうのは冗談」
僕は大きな声で笑った。彼女は驚いた顔をしていたが、
「いいですよ。うちを玩具にして下さい」
今度は僕が驚く番。
「マジで? 避妊具ないし、冗談だよ」
「避妊具なくてもいいですよ。でも、冗談だったか。残念」
「いやぁ、してもいいなら抱く」
「そうですか、じゃあ、シャワー浴びてきて下さい。板垣さんが上がった後うちが浴びます」
「わかった」
僕と朋美はシャワーを浴び、二人とも下着姿でベッドに座っている。なんだか緊張する。久しく女性を抱いていないから。でも、僕のアソコは硬くなっていた。朋美の顔を見ると彼女は僕の顔を見つめていた。僕はそのまま押し倒しキスをした。僕は優しく朋美の体を愛撫した。
そして二人ともほぼ同時に昇天した。朋美は呟いた。
「凄く優しくて気持ち良かったです」
僕は性行為は下手な方だと思っていたが彼女にそう言われて嬉しかった。
「それならよかった。僕も気持ち良かったよ」
「なんか、うち板垣さんのこと好きになりそう」
「マジで?」
「マジです」
僕はどうしようか考えた。そしてこう言った。
「僕は朋美のことは好意的だよ。付き合う?」
「はい、いいですよ。そうしますか」
僕は嬉しくなった。こんないい子はなかなかいないから。
突然の出来事に僕は動揺している。朋美はどうなんだろう。まさか付き合うことになるとは。彼女は決して尻軽女ではない。誰にでも股を開くような子ではない。でも、僕に対しては違った。好きになりそうだから肉体関係になった。そういうことだと思う。僕もそうだけど、朋美は好意のある男性としか性行為はしないはずだから。
なんだか朋美と交際するようになって新しい世界を見たような気がする。きっと、相手によって世界観は変わるのかもしれない。朋美の場合は彼女なりの世界観。それが、他の女性ならまた違う影響を受けてその世界観をみることになるのだろう。
僕は前島香奈と付き合っていたが自然消滅したようだ。暫く連絡も取ってないし。香奈はちょっと気難しいところがあるから正直気を遣う部分もあった。彼女の方は思ったことをズバズバ言うタイプだったけど。だから僕は度々傷ついていた。だから、別れても別にいいやと思っている。朋美の方が優しいし気難しくない。だから、話しやすい。
さっき母が家の電話で話していた。内容は祖父が退院するという。よかった、よくなったみたいで。僕は祖父母のことが大好きだ。小遣いをくれるからというのもあるけれど、とにかく優しく接してくれる。母は祖父母にたまに言うことがある。それは、
「おじいちゃん、あんまり譲二を甘やかせないでくださいね」
とか、
「おばあちゃん、譲二は家だけど働いていて給料もあげているから小遣いは控えてね」
と言う。
母は僕のために言っているのはわかるけれど、母の方がもう少し優しくして欲しいと思う。結構、厳しいことを言うから。両親は当たり前かもしれないが、仕事中や仕事に対しての姿勢は真面目で厳しい。ただ、僕が思うのは仕事が終わって家に一緒にいる時の話し。
今日の仕事を終えて入浴した後、僕のスマホに着信があったようで誰なのか確認してみると、なんと、前島香奈からだった。自然消滅したからもう連絡はこないと思っていたのに。まあ、僕も僕で香奈の連絡先は消さずに残してあった。どうしよう……折り返し連絡しようか。それとも無視しようか。僕が最終的に思ったのは折り返し連絡をすることだった。早速、LINE通話をした。すぐに繋がった。
「もしもし、香奈。どうしたの?」
『どうしたの? じゃないわよ! 何で連絡くれないのよ!」
香奈は怒っているようだ。
「僕らは自然消滅したと思っていたから連絡しなかった」
『は? 何、勝手に決めてるの?』
「だってそうだろう。暫く連絡を取らなかったら普通そう思うだろう」
『そう思う前に何で確認してくれないの?』
「確認なんかしないよ。香奈への気持ちが冷めていたし。それに新しい彼女も出来たんだ」
『何それ! ふざけないでよ! 私はまだ譲二のことが好きなのよ!』
それを聞いて僕は驚いた。そうだったのか。てっきり僕のことなんかどうでもいいと思ってるのかと思った。なので、
「そうか。でも、僕はもう君に好きという気持ちはないんだ。だから別れてくれ」
『酷い! ……酷いよ。酷過ぎる……』
香奈は電話越しに泣きだしてしまった。そして電話は切れた。
そういうことだったのか……。失敗した。でも、もう遅い。僕には新しい杉山朋美という彼女がいる。今度朋美と会った時、話してみよう。その時LINEがきた。相手は朋美。
<ハロー。何してたの?>
僕はなんというタイミングだと思った。
<ちょっと話を聞いて欲しいんだ>
少しの間、沈黙が訪れた。
<悪い話?>
<というか、僕の話し。通話に切り替えるから>
そして僕は朋美に電話をかけた。
「もしもし、朋美?」
『うん。それで?』
「さっき、元カノから電話がきて自然消滅かと思っていたらまだ僕のことが好きだっていうんだ。僕の思い込みでもう連絡はこないかと思っていたんだ。その話をさっき元カノと話していたんだ。もう別れたけどね」
『え! よかったの? それで』
「ああ、僕はもう元カノに気持ちはないんだ」
『……そうだったの。なんだか悪いことしちゃったわね』
「まあ、確かに僕が自然消滅をしたと思い込んでしまったのはまずかった。別れるなら別れるで話し合いをすればよかった」
『そうね。思い込みは怖いね。ところで今日会えるの?』
「ああ、会えるよ。夕ご飯食べたら行くから」
『わかった。待ってるね』
そう言って通話を終えた。
僕の家は二階建てで、僕の部屋は二階にある。母が階下から僕を呼んだ。
「譲二! ご飯よ」
「わかった、今行く」
と叫んだ。キッチンに行ってみると家族はみんな食べ始めるところだった。今夜のおかずは何だろう? と思い見てみると、魚のフライと鶏の唐揚げと五目御飯。旨そう。席につき食べた。うん! 美味しい! 僕は母に言った。
「ご飯食べたら出掛けるから」
「どこに行くの?」
「友達と会う」
母はニヤニヤしながらこう言った。
「あんた最近毎日出掛けるね。彼女でも出来たの?」
図星だ。何でわかるんだろう。
「まあ、そんなとこ」
と言うと母は驚いた口調で言った。
「ほんとにかい!?」
他の家族も驚いていた。父は、
「連れて来い」
と言うので僕は、
「そんな、連れてくるなんて早すぎるよ」
妹の時子に訊かれた。
「どんなタイプ? かわいい系 それとも綺麗系?」
僕は少し考え、
「かわいい系かな」
すると時子は、
「へー! 会ってみたい」
と言うので僕はこう答えた。
「いいって、まだ」
時子は、ちぇっと舌打ちした。これ以上訊かれたくないから急いで食べて歯磨きを入念にして自分の部屋に戻り着替えた。
今は三月上旬、季節は春。北海道はまだ、肌寒い。なので赤いTシャツの上にグレーのパーカーを着て、ダメージジーンズを履いた。靴は黒いスニーカーだ。妹の声が聞こえる。
「ねえ、お兄ちゃん。彼女と会わせてよ」
しつこいなぁ、と思いながら僕は慌てて家を出た。
さすがに時子は追っては来なかった。いくらしつこいとはいえ、そこまではしないだろう。僕の白い普通乗用車に乗りバックをした。勢いよくバックしたせいで危うく歩行者をひくところだった。危ない危ない。しかも女子児童二人。ここでひいたらとんでもないことになる。犯罪者だ。いくらやる気があってやった訳じゃなくても。僕は、ふぅ、と冷や汗をかいた。ゆっくりでいい、と自分に言い聞かせた。
少し運転して、飲み物を買いにコンビニに寄った。僕は五百ミリのペットボトルのカフェオレ一本を買い物かごに入れ、朋美も五百ミリの玄米茶を一本かごに入れた。一応、朋美にあげてもいいと思って三百五十ミリの缶チューハイを一缶かごに入れた。レジに持って行き、会計を済ませた。お客さんは三、四人くらいしかいなかった。おじさんばかり。若い女性でもいれば目の保養になったのに。まあ、これから杉山朋美という二十二歳の若い女性に会いに行くからいいけれど。
外に出てみると既に暗闇。車に乗り再度出発した。可愛い可愛い僕の朋美。今、気付いたことがある。避妊具を持っていない。なのでコンビニに戻り避妊具を購入した。レジの店員が若い女性だから恥ずかしかった。その店員はちらりと僕の顔を見て笑いそうになっていた。何が可笑しいのだろう。疑問に思ったけど何も言わなかった。自分だって同じことしてる癖に、と思った。朋美を待たせちゃ悪いと思い急いで車に乗った。さっきは危なかったから車の運転は慎重にと心掛けた。
コンビニから十分くらい走って朋美のアパートに到着した。車を路肩に停め降りた。そして、速足で彼女の部屋に向かいドアの前でチャイムを鳴らした。ピンポーンと聴こえた。すると、室内から「はーい!」
と元気で明るい声が聴こえた。
「譲二?」
訊かれたので、
「そうだよ」
と答えた。
ガチャリと鍵を開ける音が聴こえた。僕はドアを引いた。目の前に天使と言っても過言ではないくらい可愛い朋美が笑顔で立っていた。ピンクのワンピース姿で。香奈と別れて朋美と交際してよかったと心底思う。香奈にはない若さと可愛らしさ。だから香奈と別れたことは後悔をしていない。微塵も。
「入って」
「うん」
彼女の横を通り過ぎて行くといい香りがした。何の匂いだろう? 香水か? それとも柔軟剤の香りか? メイクも薄くしてある。朋美と目が合った時、ニコッと彼女は微笑んだ。思わずドキッとした。自分の顔が紅潮しているのに気付いた。恥ずかしい。恥ずかしくて目も合わせられない。部屋の中はいい香りがして、綺麗に整理整頓されていた。彼女は後ろからついて来た。
「ソファに座っていいよ」
と言うので僕は、
「うん、わかった」
と答えた。
「夕ご飯食べたの?」
「いや、まだだよ。朋美は?」
「うちもまだ。お腹空いたね。なんか作ろうか」
「え! 作ってくれるの?」
「うん。何がいい?」
俺は考えた。そして思い付いたのは、
「シチューがいいな」
「お、いいね。具材やシチューのルーがないから買いに行こう」「わかった」
僕は立ち上がり先に部屋を出た。その後に朋美が出た。部屋の鍵をかり、路上駐車してある俺の車に乗った。朋美は助手席に乗った。ああ、いい匂い。そう思いながら発車した。たまに行くスーパーマーケットに十分程で着いた。何かジャンパーでも羽織ってくればよかった。肌寒い。
「朋美は寒くないか?」
「少し寒いね。何か着てくればよかった」
「風邪ひかなきゃいいけど」
僕がそう言うと朋美は、
「確かに」
と言った。
僕は朋美に手を差し出した。
「え?」
彼女は戸惑っているようだ。
「手をつなご?」
僕が積極的に言うと、
「うん」
と言いながら手を差し出してきた。僕は優しく握った。そして、笑みを彼女に見せた。朋美も笑顔を見せてくれた。可愛い!
店内では商品を手に取るために繋いだ手を離した。 僕がかごを持ち朋美が具材を入れていった。玉ねぎ、鶏もも肉、にんじん、じゃがいも、ホワイトシチューのルー。
「こんなもんかな」
と朋美は言った。
「レジに行く?」
僕が訊くと、
「うん、行く」
「シチュー作ってもらうから支払いは僕が出すよ」
「え? 悪いよ。うちも食べるんだから」
「いいからいいから、僕に払わせて」
「ん……。わかった、ありがとう」
店内はそんなに混んでいなかった。会計を済ませ買ったものを朋美が持ってきたエコバッグに入れた。エコバッグなんてまるで主婦のようだ。でも、塵も積もれば山となる、で毎回五円とか払うといずれは大きな額になる。僕一人だったら買い物袋を買うけど。
朋美のアパートに戻り、買ってきた物をキッチンの上に置いた。彼女は、
「運んでくれてありがとう。そんなに重くないからうちが運んでもよかったけどね。支払いもしてくれたしさ」
そこで僕は言った。
「なんも気にしなくていいよ」
朋美は笑みを浮かべながら、
「譲二は優しいよね。前から思ってたけど」
「そう? そう言ってくれると嬉しい」
「思ったことを言っただけだよ」
朋美はいい子だ。彼女になってくれてよかった。
「シチュー作るね」
「うん。よろしく!」
僕はテーブルの上に置いてあるテレビのリモコンを持って朋美に訊いた。
「テレビ観ていてもいい?」
「うん、もちろんいいよ。自由にしてて」
今の時刻は二十時三十分頃。腹ペコだ。尚更朋美の作るシチューが待ち遠しい。朋美は、
「ライスも食べるでしょ?」
「うん、もちろんだよ! お腹と背中がくっつきそうな程腹減った」
「あら、そうだったの。もう少し待ってね、今作ってるから」
「わかった」
朋美はお腹空いていないのだろうか。空腹だというような発言はしない。我慢しているのかな? 訊いていないけれど。もう少しで夕飯が出来上がるから尚更言わないんだろう。僕より大人かもしれない。三つ年下だけど。
テレビを観るとバラエティ番組が放送されていた。最近、人気のお笑い芸人が出ている。空腹に気を取られているせいか、あまり面白くない。チャンネルを回してみるとNHKで世界情勢を話題にした番組が放送されていた。僕はこういう番組が好きだ。父は、「お前はまだ若いのに、こういう番組が好きだなんて珍しいな」と言われた。でも、別に不快な思いはしなかった。
朋美が野菜を切っている音がする。まるで朋美が奥さんになったようで僕の機嫌はいい。腹は減っているがその分食べた時はとても美味しいだろう、と思うと待っているのも左程苦じゃない。
そして、
「譲二! シチューできたよ! 今、運ぶから」
「お! 手伝うよ」
「ありがと。トレーにシチュー載せるから運んで欲しい」
「うん、わかった」
僕は素早く立ち上がりキッチンに向かった。そして、テーブルの上に向かい合う形でシチューの器を置いた。それからライスを取りに行き、同じようにテーブルの上に置いた。
「譲二のシチューとライスは大盛りの方だから」
「ほんと? やったー! 早く食べようぜ!」
「今、行くから待って。譲二、子どもみたいで可愛い」
「え? 可愛い? マジか」
朋美は笑っている。
精神年齢は僕より彼女の方が少し上かもしれない。だから、僕のことを可愛いと言ったんだろう。 シチューを一口食べてみた。「旨い! やるな! 朋美」
「でしょ、うち料理好きなんだ」
「そうなんだ。だからこんなに美味しいのか。料理教室にでも通ってるのか?」
朋美は得意気になって言った。
「うん! 毎週日曜日に習いに行ってるよ」
「そうなんだ。花嫁修業だな」
そう言って僕は大きな声で笑った。彼女は微笑んでいる。まず食べてしまおうと思いシチューをもう一口食べた。ライスとシチューは合う。僕は夢中になって食べた。朋美は言った。
「ご飯もシチューもおかわりあるよ」
「うん! おかわりする」
そう言ってシチューの大皿と茶碗を彼女に渡した。
僕は食べ終えた。
「ふー、旨かった」
朋美は笑みを浮かべながら、
「譲二はたくさん食べてくれるから作り応えがあるわ」
彼女はまだ食べている途中だ。僕が食べるのが早いのか朋美が遅いのか。それを言うと、
「それは譲二が食べるの早いよ」
「やっぱりそうか」 そう言って僕は笑った。
その後、僕は食器をキッチンにのシンクの中に置いた。すると朋美は、
「置いといてくれてよかったのよ?」
と言うので、
「いやあ、食器洗いはしないけど、それくらいはするよ。置くだけだから」
「まあ、そうね」
朋美はふふっと笑った。
僕はこういう幸せが続くといいなぁ。そして、いずれは結婚したいと思ってる。朋美はどう思っているかわからないけれど。でも、きっと同じ思いだろう。
了