傘に当たる雨が激しかった。さしてるはずなのに、濡れないかと心配になるくらいの雨だ。星矢は翔太の左隣を少しだけ離れて歩いた。傘のはじから雨粒が落ちないようにする配慮だ。
本当ならば、もう少し近くにいたい。翔太は、自分のアパートはあそこだと指をさした。線路の向こう側。踏切がカンカンカン鳴っている。駅付近のために何度も電車が通るようで踏切の音も間がないうちに鳴っている。
「今なら行けるな」
やっとこそ、踏切の呪縛から抜け出せた。2人は少し駆け出した。
水たまりに軽く入ってしまうが靴は濡れなかった。
アパートのドアの前、傘を閉じてぐるぐる回して水気をとった。
星矢は翔太の傘を何も言わずに下から上へと丁寧に整えた。
傘がびしょ濡れていたため、手が濡れてしまっている。
自分のものより先に翔太の傘を整えた星矢は次に自分の傘を整える。
「さんきゅ、助かった。今、コーヒー入れるから、中入ってて」
星矢は、やっと雨の降らない部屋に着いてほっとした。バサっと頭に何かがかぶさった。
「タオル。それで拭いていいぞ」
翔太は洗面所から畳んで置いていたフェイスタオルを自分の頭と星矢の頭にかぶせた。さりげない優しさがきゅっと胸を締め付ける。
「あ、ありがとうございます」
「拭いたらちょうだい。洗濯するから」
星矢は急いで濡れた頭と濡れたスーツを拭き取って、丁寧に畳んで翔太に渡した。
「すぐ、洗うのに畳まなくてもいいよ。本当に丁寧なんだな。ま、そういうところ、悪くないけど……」
注意してるんだか、ほめてるんだか分からなくなっている。
「あ、すいません。ついつい……」
翔太は受け取ったタオルを洗濯機の横のカゴに入れた。
「そこ座って。白いソファ。クッション置いてるところ」
翔太はリビングのソファを指差した。小綺麗にしていて、インテリアはモノトーンに揃えられていた。ソファの上にあったのは肌触りの良いベージュ色のクッション。触り心地がたまらない。星矢はクッションをペットのように撫でてぎゅーと抱っこした。
その仕草を見て、翔太は微笑ましかった。
台所にある電気ポットからお湯をマグカップに注ぎ入れる。インスタントコーヒーの粉が入っていた。一瞬で、溶けていく。鼻にコーヒーのいい香りが漂っていく。
「ブラックでいい?」
「はい。コーヒーはブラックでも飲めるようになりましたから」
星矢が言うと翔太はクスッと笑った。
「高校の時は飲めなかったんだな」
「あ、実は、そうなんです。砂糖とミルクたっぷり入れないと
無理でした。今ではコーヒーの苦味の違いもわかりますよ。キリマンジェロが1番好きです。高いですけどね」
「ほー。良く知ってるなあ」
翔太はマグカップを持って、熱さを冷ますようにふーと
息を吹きかけて、口に含んだ。
「先輩、早速ですけど、アルバムって……どこですか?」
「あ、そうだったな。今持ってくる」
星矢は翔太がクローゼットの中を探してる間にコーヒーを飲もうとした。猫舌でなかなか飲めなかった。何度もマグカップに息を吹きかける。何回かしてようやく飲めた。
何の品種のコーヒーか聞いてなかったが、美味しく飲めた。ちょうどいい苦味だった。
翔太はクローゼットから持ってきたアルバムを
見せようとリビングにあるテーブルに乗せようとして、
星矢のそばにずり落ちた。
「あ、悪い……落ちた」
翔太は星矢の横に落ちたアルバムを拾おうとし、星矢も同時に拾おうとして、ものすごく近い距離になった。柔軟剤の香りだろうか、爽やかな匂いが星矢の鼻を通り過ぎていく。翔太は、星矢が取ろうとしていたことに気づき、ポンっと肩に触れた。
「大丈夫だって、そんな慌てなくても拾えるから。でも、ありがとうな」
細かいところに良く気がつくんだなと翔太はそこまで気を回さなくてもいいのになと感じた。アルバムをテーブルに置いて、そっと星矢の隣に座る。
想像以上に近かった。こちらの鼓動が聞こえるのではないかというくらいだ。
「ん? どうかしたか?」
美容院で切ったばかりなのか整った髪型に昔から変わらず鼻筋が通った顔。
まつ毛が長くて炎天下の部活で焼けたであろう肌。スーツが筋肉でむちむちしている。あの時とは違う体格の翔太にどきっとする。それに比べて星矢はまだまだもやしのように細くて弱々しく、猫っ毛のようにふわふわした髪。女の子みたいな白すぎる肌。全然成長していない自分が情けなくなる。
「べ、別に何でもないですよ。部屋、綺麗にしてるなあって思って。僕はこんなに綺麗に整えられないから」
じっと顔を見ていただなんて言えないからごまかした。褒められたと思って、照れたのか翔太は鼻の下を人差し指で擦った。
「ほら、アルバム見るぞ」
翔太はゆっくりと縦30センチ横50センチはあるだろうか大きい写真アルバムを開きはじめた。同級生ではなかったが、このアルバムに自分も映っていたかったなと思ってしまった。