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第66話 久しぶりの乾杯

仕事の都合だと嘘をついて星矢の演奏していたライブハウスから抜け出してきた翔太は、落ちてきたメガネをかけ直してコンビニにフラッと立ち寄った。


小腹が空いたなとウロウロと眺めていた。


明太子入りのしらたばが無いかと、チルドコーナーをあっちに行ったりこっちに行ったりして、細長いバジル入りサラダチキンも買い物かごに入れる。お目当てのしらたばはノーマルタイプしか無いことにがっかりして、お酒のビール缶を3本かごに入れて、レジに行こうとした。


スーツのズボンのポケットに入れていたスマホのバイブが鳴る。


誰からかと確認すると星矢からだった。


ただ、星矢のフルートの音色が聴きたかっただけだった。家出をしてから2週間は経っていた。何も言わずに帰って来ないことにラインも電話さえもすることができなかった。自分自身の接し方が悪いと気づいていたからだ。


残業が続いて帰りが遅いこと。上司の付き合いも毎回じゃなく、断ればいいのに毎回参加していること。全部家事全般を星矢に任せてしまったことを申し訳なかったなと反省していた。


たまたま、翔子から連絡が入って、星矢がフルート演奏をするという情報を

聴いていた。

翔子自身は、奏多の習い事に保護者としてついていかないといけないため、

見にいけないから代わりに行って欲しいと頼まれた。


「もしもし……」


レジの会計を後回しにして、お菓子コーナーで電話に出た。


『先輩、今大丈夫ですか? これから仕事ってことでしたけど……』


「あ、ああ。そうだな。今から外周りに行かなきゃないんだ。短い時間なら電話できるけど」


嘘を平気で星矢につくようになるなんてと翔太は悲しくなってきた。

慣れないメガネが下がってくる。チョコレートコーナーで、アーモンドチョコはどれにしようか悩みながら、電話に応える。


『少しですか? えっと、もし良ければでいいんですけど……』


「ああ」


『……今日の夜、帰ってもいいですか?』


星矢はとても言いづらそうに話した。翔太は内心すごく嬉しく感じたが、

心の傷はまだ癒えてない。すぐに返事はしづらかった。しばし沈黙が続く。


「……」


アーモンドチョコレートじゃなく、星矢の好きなマカダミアチョコレートを

買うことに決めた。


『先輩、無理ならやめますよ』


「いや、来ていいよ。星矢、マカダミアチョコって好きだよな?」


『……本当ですか? はい、アーモンドよりマカダミアが好きです!』


「おう。んじゃ、買って帰るから」


『あ、ありがとうございます。そしたら、夕方帰りますから』


「お、おう」


星矢はダメもとで電話して良かったと感じた。翔太は電話を終えると、星矢の好きなマカダミアチョコレートをかごに5箱入れて、 鼻歌を歌いながら、レジに向かった。星矢の喜んだ顔を想像するだけで笑みがこぼれた。


買い物を終えると駆け足で、自宅に帰る。

かなり乱雑に散らかった部屋を大急ぎで片付けた。

廊下には燃えるゴミ袋の山。

テーブルにはお惣菜の食べ終えたパック、割り箸、カップ麺のつゆが入ったままのもの。飲み残しのブラックコーヒーのペットボトル。


いつ食べたかわからないカビの生えた団子のパックがあった。冷蔵庫の中は、星矢が買ってたであろう食材がたくさん腐れていた。臭いが充満している。


自炊はほとんどできてなかった。

買ってきてすぐ食べられるもので過ごしていた。

あまりにも仕事の疲れと寂しさでモノで埋め尽くしたかった。

翔太は星矢が帰ってくると知って、綺麗にしたくてたまらなくなる。


自分で洗ったことのないベッドのシーツや枕カバーも洗濯してコインランドリーに駆け出した。


翔太はいつもやりたくないと思っていた家事が今日は何だか鼻歌が出るくらい楽しくなっていた。


*****


午後5時頃、チャイムが鳴る。

ソファに座り、お気に入りの映画を鑑賞していた翔太は、よそよそしい星矢を中に通した。


「チャイムなんて鳴らないで入ってくればいいだろう。 鍵持っているのに……」


「いや、その。何か、悪いかなって思ってたんです」


廊下で話しながら、玄関からリビングに行く。


「何が?」


何も怒ってないよとでも言うような態度の翔太だ。本当は怒るどころか悲しくて寂しかった。きょとんとした顔をする星矢。


「な、何か本当ごめんなさい。急に出て行ったみたいで。驚かせましたよね」


「あのさ!!」


翔太は話の腰を折るように話し始める。


「あれ、良かったな。確か、高校の時にもフルートを吹いていたんじゃないか」


「「モーツァルトの“フィガロの結婚”」」


向かい合い、指をさして同時に話した。タイミングも一緒でびっくりしていた。


「まさか、同時に言うなんて……」


笑いがとまらない。涙がでるくらい笑った。


「先輩こそ、なんで一緒に言うんですか」


「いやいや、星矢こそ」


「おかしいの! ウケるんな」


「ですね」


「……てかさ、今頃気づいたんだけど、星矢、俺のこといつまで先輩って

言い続けるんだ?」


ソファの近くのテーブルにつまみと缶ビールを並べながら言う。


「え、えっと。高校の時から先輩は先輩でしたから。抜けないんですよね」


「名前で呼べって」


「え、良いんですか」


「それも!」


「へ?」


翔太は星矢の胸元に指さす。


「敬語も言わなくていい」


「え、急にそんな……年上だし、今すぐには変えられないですよ」


「俺がいいって言ってるんだから、いいんだよ。ほら、飲むぞ。あと、コレ、星矢の好きなもの」


テーブルに置いていた缶ビールを2つのグラスに注いだ。コンビニのビニール袋に入っていたマカダミアチョコレート5箱を取り出した。


「え?! なんで5箱も?」


「まぁ、景気祝いだ」


「給料日直前ですよね?! どこが景気良いんですか」


「そ、そんな堅苦しいこと言うなよ。今日は星矢と俺のお祝いなんだから」


「お、祝い…」


頬を少し赤くして、星矢は嬉しそうだった。ビールの入ったグラスとグラスが重なった。高音の良い音が響いた。


「乾杯」


お互いにビールを飲んだ。


「うまい!! 星矢、今日は、寝かせないぞぉー」


「えーーー?!」


すでに酔っているのか、嬉しくてテンションが高いのか翔太はビールをがぶがぶ飲んだ。星矢は何をされるのだろうとドキドキした。


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