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【第4話】夏季慰労会の幹事を引き受けた二人(2)

「三塚さんがやるなら、俺もやってもいいですよ」

 千隼がそんなことを口にした瞬間、柚羽は思わず目を丸くした。断る理由を一生懸命考えていた柚羽にとって、予想外の発言だったから。心の中で動揺が広がり、さらに不安な気持ちが増していく。

(え? 嘘でしょ? 何故、そんなことを言ったの!)

 柚羽はげんなりとした気持ちになり、思わず自分の目をこすった。千隼は普段から自分のことを気にかけてくれてるのん知っていた柚羽だが、今回はどうしても賛同できない。柚羽の思いとは裏腹に、屋代は相変わらずヘラヘラとしている。

「野間口君、えらーい! その調子で一緒に三塚さんを説得しよう」

 屋代の言葉に、柚羽はさらに不快感を覚えた。彼の軽薄な態度が、ますます柚羽の苛立ちを募らせていく。どうして彼はいつもこんなに楽しそうなのか、理解できなかった。

「野間口君が一人でやればいいんじゃないかな? もしくは違う誰かか……あ、屋代さんと二人とか?」

 柚羽は愛想笑いをしながら、この場を逃れるために言った。

 自分ながら良い提案だと思った柚羽は、心のどこかでほっとした気持ちを抱いた。屋代と千隼が二人で苦労すれば、少なくとも自分の負担は減る。

「俺はね、今回はパス。だって、昨年度引き受けたし、家で奥さん待ってるからね」

 屋代がさらりとそう言うと、柚羽は思わず目を細めた。屋代の言葉には、一切の誠意が感じられない。

 昨年度の経験があるから、という理由で逃げるのだろうか。まるで責任を回避するための言い訳のように思えて、柚羽の心はますますモヤモヤとした気持ちになった。

 周囲の同僚たちの視線も気になり、彼女はため息をついた。千隼の発言もどこか腑に落ちない。

 心の中の不安が大きくなり、柚羽は自分の意見が無視されるのではないかと恐れる。柚羽は自分の思いをどう伝えればいいのか、頭を悩ませていた。

 屋代の軽薄さに負けないよう、柚羽は決意を固める必要があると感じた。自分の意見をしっかりと主張し、無理なことは無理だと言える勇気が欲しい。そう思った瞬間、心の中で小さな炎が灯ったような気がした。

「屋代さんが駄目なら、他の営業部の事務の子とか? とにかく、私はやりませんから!」

 柚羽はきっぱりと言い切った瞬間、心の中の重荷が少し軽くなった。自分の意志をしっかりと伝えたことで、少しだけすっきりした気持ちになったが、同時に不安も芽生えた。

「まぁまぁ、そう言わずにさぁー。お願いしますよ、三塚さん」

 屋代の甘ったるい声が耳に響き、柚羽は思わず寒気を感じた。屋代のその声の裏には、何か狡っ苦しい意図が隠れているように思えたからだ。

(あぁ……、気色悪い。しかし、どうしたらいい?)

 心の中で葛藤しながら、柚羽は冷静さを保つよう自分に言い聞かせる。柚羽はこの状況から逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、同時に周囲の目も気になった。もし拒否し続けたら、他の同僚たちにも影響が出るのではないかと考えると、頭が混乱した。

「私、野間口君のおかげで営業成績が伸びたんです。だから、今が頑張り時というか……。余計なことに時間を使いたくありません」

 柚羽は、心のどこかで本音とは異なる言葉を真剣に話した。営業職が嫌いな彼女にとって、成績が伸びたところで嬉しくもなんともない。ただの数字にすぎず、心の充実感とは無縁だった。

(確かに初めて成績トップになれたのは嬉しくなかったわけじゃないけど……)

 その思いに囚われながら、柚羽はさらに自分の気持ちを整理しようとした。営業成績が良いと言われるたびに感じるプレッシャーと、周囲の期待に応えなければならないという責任感が、柚羽の心に圧し掛かっている。

(どうして、こんなお願いが回ってくるの?)

 心の中で葛藤しつつも、柚羽は一歩踏み出す勇気を持たなければと思った。目の前にいる屋代の軽薄さに負けず、自分の意見を伝えることができるのか、改めて自分に問いかけた。

「三塚さんに朗報だけど……」

 屋代は、まるで自分の言葉を引き延ばすことで、その影響力を増そうとしているかのように、会話の間をわざと空けてくる。その不自然なテンポに、柚羽は一瞬イライラを覚えたが、興味を引かずにはいられなかった。

「大きな声では言えないけど、外回りしながらお店探したり、ビンゴ大会の景品探ししてもいいよ」

「え?」

 柚羽はその言葉を聞いた瞬間、心が躍った。正当な理由で仕事をサボれるというのは、柚羽にとってまさに夢のような提案だった。少しの間、頭の中でシナリオが描かれる。

(適当に営業回って、目をつけていた新しく出来たカフェでランチして、景品探して……! ヤバい! サボれるプランならいくらでも考えられる!)

 柚羽は思わずニヤニヤしてしまった。普段の堅苦しい仕事から解放され、自由に過ごせる時間のことを想像すると、心が軽くなっていく。柚羽の目は、期待に輝き始めた。

「浜野部長公認だからね、大丈夫だよ」

 その言葉を聞いた瞬間、柚羽はますます興奮した。

 上司の公認があるなら、なおさら安心だ。これまでの苦労が一瞬で報われるような気がする。

「やっぱりやろうかなー? 職場の集まりも大切ですよね」

柚羽はにこにこしながら、心の中では、すでに理想の一日が形を成し始めていた。

 ランチを楽しみ、のんびりとお店を巡りながら、品物を吟味する様子を思い描く。

(これなら、みんなにも喜んでもらえるし、私も楽しめる!)

 柚羽はその気持ちを抑えきれず、次第に自分の心の中で計画を具体化していく。自分が考えた計画で楽しい時間を過ごすことを考えると、ますますワクワクしてしまう。営業成績など一時的なものだと思い、柚羽はこの機会を逃すわけにはいかないと決意した。

「さっすが、三塚さん! ありがとう。二人ともよろしくね。詳細はまた後ほど教えるから」と屋代は言い残し、嬉しそうに去って行った。柚羽はそんな屋代の背中を見送る。

「三塚さん、夏季慰労会楽しみですね」

 その声は、ずっと屋代の隣に立っていた千隼から発せられた。資料を持ちながら、千隼は隣のデスクの椅子に腰を下ろすと、意気揚々と続けた。

「楽しみではないけどね、仕方ないから引き受けたんだよ。もちろん、みんなのためにね」

 柚羽は心にもないことを口にし、あたかもそれが本心であるかのように振る舞う。まるで自分が素晴らしい幹事であるかのように、彼女は内心でニヤリとした。

「はい、幹事頑張りましょう」

「うん」

 二人は、まるで運命を共にするかのように、一致団結した。柚羽は自分たちの結束が生まれたことを感じた。夏季慰労会というイベントの背後には、仲間たちとの絆を深める機会が待っている。

(みんなが楽しむ姿を思い浮かべると、少しワクワクしてきた)

 柚羽は、自分が幹事としてどんな素晴らしい会を作り上げられるかを想像した。美味しい料理や楽しいゲーム、そして笑い声が絶えない時間。それらが彼女の頭の中で織りなされ、心を弾ませていた。

「野間口君、何か特別な企画を考えてる?」

 柚羽は興味を持って尋ねた。

「まだ具体的には決めてないけど、みんなが楽しめるように工夫しようと思ってます。例えば、ビンゴゲームとかどうですか?」

「いいね! それなら、景品を集めるのも楽しくなりそう」

 柚羽は千隼の提案に賛同し、心の中でアイデアが次々と生まれていった。周囲の仲間たちを思い浮かべながら、柚羽の顔には自然と笑みがこぼれる。

(みんなに喜んでもらえるし、私もサボり楽しめる!)

 二人はそのまま次々とアイデアを出し合いながら、デスクワークを進めていた。


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