目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

2-2

 琉斗は初対面のその日から毎日、ノウの歌を聴きに来た。

 そして三日目にはノートを手にしていた。


「ノウの曲を書き留めてもいいかな?」


 書き留める、という意味がわからなかったけれど、ノウは頷いた。


 琉斗はノウが歌っている間、鬼気迫る表情でずっと鉛筆を走らせていた。

 ノウが歌い終わっても琉斗の手は止まらなかった。

 淀みなく動く鉛筆の先が丸くなってゆくのが面白くて、ノウはそれをじっと見下ろしていた。



「できた」


 琉斗がようやく顔を上げた。


「見て、ノウ」


 誇らしげに広げられたノート。そこにはオタマジャクシのような黒い記号が踊っていた。

 これはなに? と問うと、「音符だよ」と琉斗が答えた。

 音符ってなんだろう。首を傾げたノウへと、琉斗が弾むように告げてくる。


「さっきのノウの曲を書いたんだ」


 ノウの曲、と言われてもよくわからない。    


「見てて」


 琉斗が音符のひとつを指さして、「ら」と声を出した。


「ら、ら、ら~ら、らら」


 琉斗の指が五本の線の上を滑る。音符に行き当たるたびに彼の口からは、さっきのノウの歌と同じメロディがこぼれた。

 ノウは目を思い切り見開いた。


 すごい。

 すごい。


「なんで歌えるの?」


 僕の歌なのに、どうして琉斗が歌えるんだろう?


 一度聴いただけなのに、まるきりさっきのノウの歌そのものだった。

 不思議に思って訊ねると、琉斗がくしゃりと笑った。


「こうやって楽譜にすれば、誰でも歌えるんだよ。ねぇ、ノウ。きみの歌に伴奏をつけたい。今度、ギターを持ってきてもいい?」


 ギター、というものがよくわからなかったけれどノウは頷いた。琉斗がすごく楽しそうだったから、きっとノウにとってもそうなんだろうと思えた。



 翌日、琉斗は黒い大きなケースを背負ってきた。

 興味津々で見つめるノウの前で、琉斗がケースを開いた。

 中には、きれいな飴色の木でできた楽器が入っていた。クラシックギターというのだと、琉斗が教えてくれた。


 琉斗はギターを抱えると、地面に座り込み、なにやら少しあちこちを触りだした。

 ノウはその間に琉斗のノートをパラパラと見た。

 昨日よりも音符がたくさん増えていて驚いた。 


「ノウ、聴いてて」


 琉斗がそう言って、息を吸い込んだ。


 ポロン、と音が鳴った。


 琉斗がギターを爪弾く。ポロン、ポロン、と曲が奏でられる。ノウの歌だ。


 ノウは琉斗の隣に腰を下ろした。地面は冷たい。でも靴を脱いで、靴下も脱いで、裸足の足を土の上に置いて、ノウは唇を開いた。

 琉斗の出す音に合わせて、歌が下りてくる。

 ノウは歌った。


 琉斗のギターと、ノウの声が混じり合う。

 気持ちいい。

 音が橋裏に反響する。幾重にも重なって、響いている。


 ポロン……。


 最後の一音が鳴ったとき、ノウの目から涙がこぼれた。なんの涙なのか、自分でもよくわからない。

 琉斗がぎょっとしたようにギターを傍らに置き、ノウの肩を掴んだ。


「ごめんっ! ノウ、嫌だった?」


 焦ったように尋ねられ、ノウは首を横に振った。


「ううん。リュートの音は、気持ちよかった」


 気持ちいいのに泣いてしまうなんて、自分はどこかおかしいのだろうか。

 でも中々涙を止めることができずに目をごしごししていると、琉斗がノウを抱きしめてきた。


 琉斗の温もりと、琉斗の匂い。

 それがノウの肌に沁みて、なぜだか胸がぎゅっとなった。


「ノウ、あのさ」

「うん」

「僕と一緒に、音楽をやらないか?」

「うん」


「……え?」


 琉斗が抱擁をほどいて、目を丸くした。


「え? いま、うんって言った?」

「うん」


 こくりとノウが頷くと、琉斗が鼻の頭が触れそうなほどに顔を近づけてくる。


「僕、本気で誘ってるんだけど」

「うん」

「本当に僕と一緒に活動してくれる?」

「歌えばいいんでしょ?」


 ノウは笑った。まだ涙の名残で目の奥が熱かったけれど、それは不快な熱さではなかった。


「リュートがギターで、僕が歌えばいいんでしょ? 歌うよ、僕。歌いたい。リュートのギターで歌いたい」

「ノウっ!」


 琉斗がまたノウを抱きしめてきた。

 しがみつくような強さで抱きしめられて、息苦しいほどだ。


「ノウ、仕事を辞めてくれる? それで僕の家で一緒に暮らそう。ずっと音楽のことを考えていられるよ。僕がぜんぶノウのいいようにしてあげるから。ノウ、一緒に暮らそう」


 耳元で琉斗の熱い声が囁く。


 ノウは頷いた。

 後先は考えない。

 いま、自分がそうしたいと思ったから、頷いた。

 躊躇はなかった。

 出会ったばかりの琉斗。それでも彼は、ノウにとってはいま一番身近な人間で、そして、一番あたたかなひとだったから。


 琉斗の抱擁が深くなった。

 抱きしめる腕の力が心地よい。ノウは、琉斗に溺れてしまいそうだと思った。















この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?