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8-2


 肌に炎の熱を感じて目を開けた。


「動くな」


 冷たい声が落ちてくる。


 見上げると、金髪の琉斗の背後で厩舎が燃えていた。


 首を斬られてはあの火事の日に戻る、という不可思議な現象を、聡也はもう幾度も繰り返している。


 もう何度断頭台に繋がれ、何度剣を振り下ろされ、何度斬首される痛みを味わっただろうか。

 その回数を数えることにすら疲弊して、聡也は苦しみの中、新たに始まった『繰り返し』の日々に身を置いた。


 どうすればこの地獄から抜け出すことができるのか。

 なぜこんな目に遭っているのか。

 わからないことが多すぎて目眩がする。


 聡也の抱える苦痛とはまるで関係ないと言わんばかりに、『雑音』の体はこれまで通りの行動を繰り返す。

 精霊に乞われるままに歌を歌おうとし、琉斗に殴られ、石造りの塔に幽閉されて、死刑を待つ日々を送る。


 湯の入った大きなたらいを持ってきた三人の使用人たちに、腹や背中を殴られ、蹴られて、血尿を出しながらも一向に逃げようとしない『雑音』に、歯がゆさを覚えることももうなかった。首を斬られる度に気持ちが疲弊して、気概も体力も底をついていた。

 深い虚脱の中で、聡也は茫洋となにもできぬ日々を過ごす。



 今日は散髪の日だ。

 金髪の琉斗がハサミを手に、伸びてもない『雑音』の茶色い髪を切ってゆく。


 シャキ、シャキ、と耳元で鳴る音を聞きながら、聡也はふと、刃物が怖いと言っていた『元の世界』の琉斗のことを思い出した。


 琉斗の胸をさすり、戯れのように指を絡めた。聡也の中のやさしいやさしい記憶だ。


 『雑音』としての人生をずっと繰り返し続けているから、『元の世界』のことがもう何百年も前のことのように思われた。


 あっちの琉斗は刃物が怖いからと、包丁どころかハサミだって使いたくないと言ってたのに、こっちの琉斗は平気なんだな、と考えたらなんだか不思議で、聡也は彼がどんな表情で散髪しているのか知りたくなった。


 金髪の琉斗はとっても怖いけれど、本当は使いたくもない刃物を嫌々使ってるのだとしたら、かわいそうだなと思った。


 『雑音』の体は自分の思う通りに動かない、ということを失念して、聡也は背後の男を振り仰ごうとした。


 するとなぜか、『雑音』がすこし顎を動かした。


 視界の端に、琉斗の顔が映った。


 『雑音』が動いたことに気づいた琉斗が不機嫌に眉を寄せて、『雑音』の頭を掴んで強引に前を向かせた。


「動くな。刃が変な場所に当たるぞ」


 冷たい声が注意を促してくる。

 そして『雑音』の頭に手をのせたまま、琉斗が言葉を繋げた。


「髪が伸びると顔が隠れる。顔が見えないと、不要な邪推を煽る」


 彼の淡々としたセリフを受けて、『雑音』がこくりと頷いた。

 その動作と呼応するように、聡也の中に新たに生まれる記憶があった。


 魔女の疑いをかけられた人間がまずすること。

 髪を刈って、顔を見せ、潔白であることを証明すること。

 長い髪は表情どころか口元までも隠してしまう。髪に隠した口で呪文を唱えているのではないかと、疑われないように、髪はつねに短くしておかなければならない。


 聡也は驚いた。

 火事の日から斬首刑までを幾度も繰り返しているが、このやりとりを見たのは初めてだった。


 なぜ、これまでと違うことが突然に起こったのか。

 『雑音』の体が聡也の思い通りに動いたことも不思議だった。

 殴られないよう、殺されないよう、行動を変えようとしてもできなかったのに、さっきはなぜ琉斗の顔を振り仰ぐことはできたのか。


 聡也はもう一度背後に立つ男を見ようと、顔を捻った。しかし今度は『雑音』は微動だにせず、大人しく髪を切られるばかりだった。

 琉斗もそれ以降は声を発することはせず、黙々と散髪を終えて部屋を出て行った。

 彼を追いかけようとした聡也だったが、『雑音』の体は座ったままで、やはり聡也の意思とは乖離かいりしているようだった。


 たった一度の、ほんの少しの変化。

 聡也はその原因がわからずに、残りの日数を無為に過ごした。


 そして塔を出る日がやってきた。明日にはまた斬首の苦しみを味わうこととなる。


 死への恐怖は、『雑音』として生き返るたびに深まっていた。

 慣れることは決してない。明日が来るのが恐ろしい。


 死が避けられない結末であるなら、もう蘇りたくはなかった。これで終わりにしてほしい。


 聡也は泣きながら男たちに引き立てられ、塔から出された。嗚咽するほどに涙を流しているのに、『雑音』の目にはひと粒の雫も浮かばないのだから、泣いている自分が滑稽にすら思えた。


 『雑音』と聡也が同じ存在であるのだとしたら、少しぐらい、聡也の思う通りに体を動かしてくれればいいのに、と『雑音』に対する恨みすら湧いてくる。


 あんな……琉斗を振り返る、なんて小さな変化ではなくて、ここから逃げ去るぐらいの大きな変化を起こしてくれればいいのに。


 しかし無常にも聡也の願いは叶わない。


 正装した琉斗が先を歩く。それを『雑音』が追ってゆく。

 もう少ししたら茂みが揺れる。領民たちが『雑音』を取り囲み、石を投げてくる。


 聡也は身構えた。もう何度も繰り返しているから、石礫いしつぶての飛んでくるタイミングはわかっていた。


 くる、と思った瞬間に投擲とうてきされた石が、『雑音』のひたいに当たった。

 聡也はいつものように反射で目を閉じた。

 ガツ、ガツ、と頭や顔に石が当たる。痛い。痛い。

 目を開けたら琉斗が血を噴き出して倒れているはずだ。それを見るのも気が重かった。


 ……と、そこでふと、聡也はあることに思い至った。

 いま目を閉じているのは、、と。


 聡也の意識か。

 それとも『雑音』の体そのものか。


 聡也は瞼を持ち上げた。

 血だまりの中で倒れている琉斗が見えた。

 『雑音』が歌いだす。精霊たちがきらきらと輝きながら舞い踊る。彼らの力で傷口が塞がってゆく。


 それが終わると予定調和のように聡也は魔女狩りたちに囚われ、猿轡と目かくしをされた。視界は真っ黒に塗りつぶされる。


 『雑音』が見ていないものは、聡也にも見えない。

 しかし


 聡也が見ていなかったものを、『雑音』は見ていた、という可能性はないだろうか。


 石礫を投げられたとき、聡也は毎回咄嗟に目を閉じてしまっていたけれど。

 『雑音』の目が、開いていたとしたら。

 琉斗に斧が投げられる瞬間を、つぶさに目撃していたとしたら、どうだろうか。


 そう考えてから聡也は、ああでもダメだ、と暗い視界の中、がくりと項垂れた。

 それを見ていたからと言って、『雑音』の行動が変えられるわけではない。琉斗へ、「斧が飛んでくるから気を付けて」と伝えられるわけでもないし、『雑音』の斬首刑が回避できるわけでもないのだ。


 ではなぜ自分は、『繰り返して』いるのだろう。

 聡也は改めてそれを疑問に思った。


 すべての結末が決まっているのならば、なぜ聡也は『雑音』としての生を繰り返しなぞらなくてはならないのか。


 聡也の疑問にこたえてくれる存在はなく、翌日には『雑音』はやはり断頭台に上げられた。


 首を固定され、両手首を固定され、空を見上げることも叶わず、群衆の憎悪と熱狂の野次に晒される。


 眼前では死刑執行人の剣がぎらりと光るのが見えた。

 いつもならここで聡也は目を閉じる。

 首を斬られる恐怖でなにも考えられなくなり、ただひたすらに怯えるだけだ。


 しかし今回聡也は初めて、自我を保とうと必死に死への恐怖に抗った。

 このままいつものように目を閉じても、またあの火事の日に戻されてしまうのなら。

 少しでも変化が起こる可能性がある方に賭けたかった。


 聡也の中に、散髪にまつわる新たな記憶が生まれたように。

 これまで見えていなかったものに気づくことで、終わりの見えないこの世界から抜け出す糸口があるのではないか、という期待に縋りつきたい思いだった。


 歯を食いしばって恐怖を振り払い、なんとか周囲へと意識を向けた聡也の耳に、魔女への憎悪を口々に叫ぶひとびとの怒声に混じって、聞き覚えのある声が響いた。


「…………れた! 騙されたんだっ!」


 琉斗の声だと、わかった。

 琉斗が、『雑音』の処刑を見に来ている。


 聡也は不自由な首を動かそうとした。すると『雑音』の首も動いた。

 『雑音』は顔を持ち上げ、声のする方へ目を向けようとする。


「俺は違うっ! 俺は違うっ!」


 冷たさをかなぐり捨てた琉斗の声が、くっきりと聡也に届いた。


 断頭台と群衆とは柵で隔てられていて、間に少しの距離が保たれている。

 それなのに琉斗の声は近くに響いていて……。


 聡也は声のする方向へ無理にやりに顔を捻り、そこで信じられない光景を見た。


 琉斗が、はりつけにされている。


 地面に垂直に立てられた柱に体を括りつけられて。

 断頭台に居る『雑音』同様に、見世物となっているではないか!


 なんで、と聡也は思わず叫んだ。『雑音』の口からくぐもった音が漏れる。しかし猿轡が邪魔をしてハッキリとした言葉にはならなかった。


 なんで、琉斗が。


 聡也は目を見開いたが、その直後に死刑執行人の掲げた剣が動く気配を感じ、あまりの恐怖にそこでまぶたを閉ざしてしまった。


 うなじに、刃がめり込む感触する。

 そして襲い掛かってくる震えるほどの痛みと、痛みと、痛み。


 魔女はこうなる、という見せしめの斬首刑だから、一回では楽に終わらせてくれない。


 『雑音』の最期は、痛みしかなくて。

 聡也はもんどりうちながら、もう幾度目かになる死を味わった。







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