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8-1


 恐怖と痛みと熱さに揺り動かされるかのように、聡也は覚醒した。

 溺れる寸前で水面から顔を出したかのような息苦しさがあった。

 脳がぐるぐると掻き回されたようで、吐き気が強い。

 至るところに不具合を覚えながらも、生きている、ということに一番混乱した。


 首を斬られたはずなのに、生きている。

 聡也の頭はちゃんと胴体と繋がっている。


 いったいなにが起こったのか……。


 眼球を動かして周囲を見渡そうとした視界に、金色の光が映った。

 月光を弾く金髪だ。 

 金髪の琉斗が、聡也を見下ろしている。


「動くな」

 と、彼は言った。冷たい声だった。

 彼の背後ではごうごうと音を立てて炎が燃え盛っていた。


 え? と聡也は目を見開いた。

 この場面に、見覚えがあった。


 ポカンと口を開いたら、琉斗の平手がバシっと聡也の頬をぶってきた。


「口を開くな」


 端的に告げられる命令にも、聞き覚えがあった。

 頭の中に疑問符が散りひたすらに困惑する聡也の意識をよそに、体が勝手に身を起こそうと動く。


 火事に仰天して駆けつけてきた男たちへと琉斗が、 

厩舎きゅうしゃに火をつけられた。消火作業にあたれ」

 そう説明しているのが聞こえた。

 男たちが慌てふためきながら消火作業に当たる。それを後目しりめに、琉斗が聡也へと冷えた声を落してきた。


「いつまで座っている。おまえのせいで起こった火事だ。水を運ぶぐらいしろ」


 ……これは、聡也の意識が『雑音』の体に入った、あの最初の日とまったく同じ光景だ、と聡也はようやく理解した。


 火をつけられた厩舎も。

 それに対応する男たちも。

 金髪の琉斗も。

 全員が、あの日と寸分違わぬ行動をとっている。


「伯爵、火事がこいつのせいっていうのはまさか」

「違う。これを殺そうとした誰かが、火をつけたんだ。恐らく先日の崖の崩落で家族を亡くした者の仕業だろう」

「…………本当ですか?」

「俺がこれを庇っているとでも?」

「いや、そういうわけでは」

「貴様は俺の両親がこれのおぞましい呪いで殺されたことを知っているだろう。俺が復讐のためにこれを生かしていることも」

「も、もちろんです」

「こいつが火をつけた犯人ならば、俺がこの手で首を撥ねている。魔法の気配はなかった。この火事は人為的なものだ。わかったらさっさと消火を手伝え」

「は、はいっ!」


 聡也の前で、琉斗と使用人の男が以前にも聞いた会話をなぞっている。

 あのときはよくわからなかったけど、自分が『雑音』だという認識があるいまの聡也には、彼らの話す内容がよく理解できた。


 『伯爵』の両親が、『雑音』の呪いで死んだ、と琉斗は言っているのだ。

 そんなバカな、と聡也は思った。

 『雑音』が琉斗の両親を殺すわけがない。

 精霊の力を誰かへの攻撃に使いたいなんてそんなこと、聡也は考えたこともないのだから。


 琉斗がなにか勘違いしているに違いない、と聡也は思ったが、そう考えている間にも『雑音』の体は勝手に動き、ふらつきながらも立ち上がった。


「さっさと働け」


 すぐに琉斗の命令が飛んでくる。しかし使用人の男がそれを止めた。


「やめてくださいよ。そんな奴に手を出されちゃ、消えるものも消えないですよ。一切関わらせないでください」


 『雑音』が魔女ではないかと、ここの領民は全員疑っている。


「本当に、どこに居てもなにをしていても邪魔者だな」


 琉斗が小さく鼻を鳴らして、冷たい呟きを漏らした。

 彼の目にも、『雑音』へ対する嫌悪の感情が滲んでいて、聡也はひどく居たたまれない気分になった。


 来い、と促されて琉斗の後に続いて歩く。

 歩を進めていると、精霊たちが足元にじゃれついてくるのが見えた。


 うたって、うたって、と彼らはさざめく。

 光の玉が足元で飛び跳ねる様が可愛くてきれいで……見ている聡也の気持ちも束の間やわらいだ。


 しかしふと思い出す。

 この後、琉斗にしたたかに殴られたということを。

 あのときの痛みを思い出して聡也は背を震わせた。


 うたって、うたって。

 精霊たちは無邪気に促してくるけれど、絶対に口を開いてはいけない。

 ちょっとでも歌おうとすれば琉斗に殴られる。

 聡也は必死に唇を引き結んだ。


 しかし、『雑音』の体は聡也の思う通りには動かなかった。

 『雑音』は息を吸い込んで、

「あ」

 と、ささやかな音を発した。

 その瞬間、振り向いた琉斗がこぶしを振り下ろすのが見えた。


 左頬を殴られ、聡也は地面に倒れた。


「いまなにをしようとした!」


 苛烈な怒声が夜の森に響いた。

 もう口を開いてはならない。これ以上琉斗を刺激してはいけない。

 聡也は必死に体を止めようとするのに、『雑音』は言うことを聞かずにまた唇を動かす。

 二発目のこぶしが頬にめりこんだ。


「けがらわしい口を開くなと、俺になんど言わせる!」


 殴るだけで飽き足らず、琉斗の足が聡也を蹴ってきた。

 意識が朦朧とする。

 なぜ、こんな場面を繰り返さなければならないのか。

 痛くて、苦しくて、つらい。

 昏倒する直前、琉斗の声が鼓膜を震わせた。


「おまえは二度と声を発することを禁じる。わかったか、『雑音』」


 二度目のその言葉を聞きながら、聡也は意識を手放した。


 そして目を覚ますと、あの石造りの塔の一室に幽閉されていた。

 鏡に映る『雑音』の顔も、服装も、行動も、すべてが同じだった。

 壁の隙間から入り込んでくる精霊のかけらたちですら、『一回目』と同じだ。

 だから三日に一度の入浴の度に『雑音』は使用人の男たちに殴られるし、その度に聡也は痛みを感じた。


 金髪の琉斗は監視にやってきて、たまに『雑音』の髪を切るために部屋に入ってくる。

 さほど伸びてもない茶色の髪を刈られながら聡也は、この琉斗も『その日』がくれば斧で刺されてしまうのだろうか、と考えた。


 あの領民たちの凶行を防ぐことができれば、『雑音』は魔法を使うこともなく、斬首刑に処されることもないのではないか。


 しかし止め方がわからない。『雑音』の体は聡也の思い通りにはならないから、ここから逃げることすらできない。


 鬱々と考えている内に月日は流れ、ついには『その日』が訪れてしまった。


 剣を携えた男たちに囲まれ、『雑音』は部屋から出た。

 外では琉斗が待っている。

 このまま行くと石礫いしつぶてと一緒に斧が飛んでくる。行きたくない。行きたくない、と念じるのに『雑音』の足は動く。


 『一回目』の記憶通りに、石が投げつけられた。頭や顔目掛けて投擲されるそれに、聡也は思わず目を閉じた。

 そして瞼を持ち上げたときには、琉斗が血だまりの中に倒れていた。

 斧を受けたわき腹から、どくどくと赤い液体が湧き出ている。

 それを見て『雑音』が歌う。癒しのための歌を、躊躇もなく歌う。

 精霊たちが光り舞う。琉斗の傷は次第に塞がってゆき、出血も完全に止まった。


 『雑音』はその場で取り押さえられた。

 猿轡を嵌められ、目かくしをされて、ひと晩を牢で繋がれ、翌日には断頭台に上げられた。


 魔女を殺せ!

 群衆の渦巻く殺意と熱狂、そして好奇の視線の中、死刑執行人が刀を振り上げた。


 聡也は、二度目の死を味わった。






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