幽閉生活はそれから幾日も続いた。
三日おきの琉斗の訪問を最初は数えていた聡也だったが、やがてそれもやめてしまった。
使用人たちの暴力は相変わらず続いていた。腹と背中の痛みは恒常的にあった。魔女として死刑になるよりも早く、いずれこの男たちに殺さるんじゃないかと聡也は思った。
蹴られたことが原因か、たまに血尿が出る。トイレの片づけの際にそれがわかるだろうに、誰もなにも言わなかった。
つまり、魔女の疑いをかけられている時点で、そういう扱いがふつうと見做されているということだ。ここで『雑音』を庇う者などひとりも存在しない。
ふだん、扉の隙間から監視するだけの琉斗が、室内まで足を運んでくるときがある。
『雑音』の髪を切るときだ。
「薄汚い口を開くなよ」
と前置きをした上で、ハサミを持った琉斗が『雑音』の茶色い髪を切ってゆく。散髪はこまめになされたから、『雑音』の頭はいつもこざっぱりとしていた。
声を出すな、話すな、という琉斗の命令を『雑音』はきちんとまもっていた。
誰にも話しかけないし、暴力を振るわれているときも声は必死に我慢する。
聡也もあの火事のあった日に殴られた頬の痛みは鮮明に覚えていて、金髪の琉斗への怯えがあったから、それを推してまで話したいとは思わなかった。
『雑音』として過ごす日々が積み重なってゆくたびに、聡也の暗鬱な気分も募った。
唯一の慰めは、精霊たちだ。彼らが居なければきっと早々に気が違っていただろう。
終わりの見えない幽閉は、しかしある日突然終わりを迎えた。
閉じられていた鉄の扉が開き、剣を携えた男たちが聡也を迎えに来た。
「出ろ」
と言われて聡也は歩いた。
両脇を男たちに挟まれるようにして、久しぶりの外へ出る。太陽が眩しかった。目を細めた聡也の視界に、金色の光が映った。頭上の陽光を受けて金髪をきれいに煌めかせた琉斗が険しい表情で立っていた。彼の冷たく凍ったような顔を見て、聡也は、部屋からの解放が決して良いことではないのだと悟った。
「王城からの査問委員が来た。魔女裁判を始める」
よく通る琉斗の声が、そう告げてくる。
『雑音』の死刑が決まったのだ。
王城からの使いが来たからだろう、正装姿の琉斗が外套を翻して歩く。その背を追って、聡也も足を踏み出した。
幽閉生活のせいで脚力が弱っており、少し行くだけで息が切れた。靴は与えられていないから、小石や草で足の裏が痛む。
数歩行ったところで何気なく振り向いて初めて、聡也はこれまで閉じ込められていた場所が小さな塔であったことに気づいた。林の中にひっそりと建てられた石造りの塔だ。それは木々に紛れてすぐに見えなくなった。
足場の悪い道を、よろめきながら歩く。
どうしても遅れる『雑音』を、琉斗が時折立ち止まって待っている。両脇の男たちは剣の柄に手を掛けて魔女が怪しい行動をしないか監視するだけで、手を貸してはくれない。
肩で息をしながらなんとか足を動かしていた聡也の耳に、不意に、誰かの声が聞こえた。
「魔女めっ! こんなとこに隠れていたのかっ!」
「死ねっ、死ねっ!」
怒声とともに
聡也は思わず顔を庇い、目を閉じた。
悲鳴が聞こえた。呻き声も聞こえる。
いったいなにが起きたのか、と恐る恐る瞼を持ち上げて……聡也は驚愕した。
目の前に、真っ赤な血だまりができていた。
鉄臭い匂いが漂い、その中心で誰かが倒れている。
恐る恐る確認してみると、それは琉斗だった。
「うわぁぁぁっ!」
「伯爵っ! 伯爵!!」
「医者だっ。医者を呼べっ」
「先に止血を!」
「伯爵!」
聡也は茫然となりながらも、琉斗の傍らに斧が転がっているのを見た。
『雑音』に投げつけられた斧が、間違えて琉斗に当たってしまったのだ。
斧を投げたのだろう領民が、腰を抜かして蒼白になっている。
血まみれの惨状の中、『雑音』が動いた。
両手を空へ掲げて、精霊を呼び、歌った。
光が躍る。
木と水の精霊が集まり、光の雨を琉斗へ降らせた。途中、風の精霊たちも顔を出して、光の輪に楽しそうに加わった。
『雑音』の歌に合わせて彼らはなお輝きを増し、『雑音』の願い通り、琉斗の傷を癒してくれた。
跡形もなく傷が消えたわき腹を抑えながら、琉斗が信じられないと言わんばかりの表情を浮かべて、ゆっくりと身を起こした。
瀕死だったはずの伯爵が起き上がるのを、男たちは唖然と見ていた。
「魔女だっ!」
誰かが叫んだ。
「魔女が居るっ。見たぞっ魔法を使う瞬間をっ!」
その声を皮切りに、突如として茂みから黒いひと影が飛び出してきた。
そろいの黒装束に身を包んだ彼らの左胸には、王の紋章が金糸で縫い付けられている。王家直属の査問委員会……つまり、魔女狩りの王命を賜った者たちだ。
魔女狩りたちは『雑音』の体を抑えつけ、その場で縄を打った。猿轡をされ、目かくしの布を巻かれた。
視覚を奪われた聡也はその後牢に繋がれ、翌日には断頭台の上に引き立てられた。
木製の台にはくぼみがあって、そこに首を嵌めらて、固定される。両手も同じように固定され、その下準備を終えた段で目かくしが外された。
目の前には誰かの足があった。そして、ぎらりと光る剣先が見えた。恐怖を与えるためにわざと聡也の視界に剣を持ってきているのだと知れた。
首を斬られる、ということが俄かに現実味を帯びて、聡也は震えた。
なんとかして逃げたい。そう思うのに『雑音』は諦めきったかのようにわずかの抵抗も見せない。
心配した精霊たちが周りに集まってくる。『雑音』の顔に触れて、だいじょうぶ? というように飛び跳ねている。
それを蹴散らすようにして、死刑執行役の男の足がドンと床を踏み鳴らした。その音に驚いて精霊たちは散ってしまった。
周囲から歓声がドッと響いた。
魔女を殺せ、とひとびとは口々に叫んでいる。
たすけて、と聡也は言いたかった。しかし口には猿轡が嵌まったままだ。
火の精霊の力を借りて、この断頭台を燃やしてしまえば。
土の精霊を呼んで、地震を起こせば。
もしかしたら、ここから逃れられるかもしれない。
聡也はそう考えたが、『雑音』にその気はまったくないようで、鼻歌ですら奏でることはなかった。
民衆の、怒号のような歓声が聡也の耳を射る。
頭上で、剣が構えられる気配がした。
怖い。怖い。恐ろしくて歯の根が合わない。
首の後ろで風が起こった。刃が振り下ろされる。
あまりの恐怖にぎゅっと目を閉じた。
そして、狂うほどの痛みの中、聡也は自身の断末魔の悲鳴を聞いた……。