死刑の日になった。
聡也は断頭台に上げられ、首と両手を固定された。下準備が終わると、目かくしの布が外された。
眼下では、魔女の死刑をひと目見ようと多くの領民が押しかけているのが見えた。
彼らは口々に「魔女を殺せ」と叫んでいる。
断頭台は高い場所にあって、領民たちとは柵で隔てられていたが、時折石がそれを飛び越えて投げ入れられる。
聡也は自由にならない首をそれでも動かして、琉斗を探した。
目いっぱい目線を動かすと、
『雑音』の口は猿轡で塞がれている。しかし喉からはくぐもった声が漏れていた。苦渋に満ちたうめき声が口の隙間から絶え間なく押し出されていた。
頬に濡れた感触があった。『雑音』が泣いている。聡也はそうと悟って、驚きに目を
誰に殴られても蹴られても、石を投げられても泣かなかった『雑音』が。
磔の琉斗を前にして、初めて泣いたのだ。
なぜ、と昨日から幾度も繰り返している問いが、また胸に込み上げてきた。
なぜ琉斗が自らの身を挺してまで、飛んでくる斧から『雑音』を庇ったのか。
なぜ『雑音』は自分を虐げてきた琉斗が磔にされているのを見て、泣いているのか。
なぜ、なぜ、なぜ。
『この世界』に来てから飽きるほどに繰り返してきた「なぜ」という言葉が、聡也の脳裏を埋め尽くす勢いで噴き出してくる。
涙を流し続ける『雑音』の目が、琉斗のそれと交わった。
琉斗が口を開いた。民衆の怒号にところどころかき消されながらも、
「違う!」
と叫ぶ彼の声は聞こえてきた。
そうだ。琉斗は違う。彼は魔女じゃない。魔法なんて使えない。
だからあの縄をほどいてあげて。
そう訴えたかったけれど、猿轡が邪魔をする。
聡也の頭上で剣が構えられる気配がした。魔女狩りを見たいひとびとのボルテージが上がった。熱狂が場を支配している。
聡也はここでまた首を刎ねられるのだ。
琉斗に、あやまることすらできずに。
首の後ろに、ものすごい衝撃が走った。最初の
痛みで気が狂いそうになる。それでも聡也は目を閉じるまいともがいた。
目の端に、赤いものが見えた。
炎だ。
火の粉を撒き散らす
べつの男が、桶を磔の琉斗に向けて放り投げた。
入っていた液体が、バシャリ、と琉斗の下半身を濡らした。
「魔女は死ね」
「裏切り者は死ね」
恐ろしい怒号と歓声が響く。
白装束の男が松明の火を、琉斗の足元へ近づけてゆく。
「改心しろ」
「改心しろ」
「改心しろ」
合唱のようにひとびとの声が揃った。
炎が。
琉斗の足へと。
琉斗の、足へと……。
待って! と聡也は叫んだ。
待って、待って! 違う、琉斗は違う! 違うから!
ぼっ、と音を立てて松明の火が琉斗の足へ燃え移った。
「伯爵、懺悔をどうぞ」
白装束の男が朗と響く声で言った。
それに合わせて「改心しろ」の合唱がまた
聡也の頭上で振り上げられた剣が、二度目の衝撃を与えてくる。
それでも『雑音』は目を閉じなかった。
聡也も、燃えてゆく琉斗から視線を剥がせない。
火の精霊の欠片が踊っているのが見えた。
歌を歌えば、あの炎が消せる。それなのに猿轡がそれを妨げる。
民衆の怒号は止まない。
琉斗がなにかを叫んでいる。緑色の瞳はひたと『雑音』に据えられている。
なにを言っているのだろうか。
聞こえない。周りがうるさすぎて聞こえない。ちょっとしずかにしてほしい。しずかにして……聡也に、琉斗の声を聞かせてほしい。
琉斗が自分に向けて叫ぶ言葉が、怨嗟の声であったとしても。
それを聞き届けるのが自分の役目だと、聡也は思った。
しかし、
視界が黒く濁り、琉斗の姿が見えなくなった。
意識がふわりと浮き上がるのを感じた。
ふわふわと漂いながら、聡也は、琉斗が最後に言いたかった言葉は何だろうかと考えた。
そして、あの炎から無事に逃れることはできたのだろうかと不安になった。
「魔女の死刑はね、昔は火炙りだったんだよ」
不意に、誰かの声が聞こえてきた。
聡也はきょろきょろと周囲を見渡した。
すると目の前に忽然と大きな窓が現れた。そっと中を覗いてみると、窓辺にはやさしげな男のひとと、その左右には子どもが二人、頬杖をついて座っていた。
聡也との距離はほんのわずかしかないのに、三人はこちらにまるで気づかない様子で会話をしていた。
「いまは違うの?」
「いまは首を刎ねられるんだ。火炙りの途中で呪文を唱える魔女が居たからね。だから魔法が使えないように、口を塞いで首を斬るんだよ」
「どっちも痛そう……」
ぶるり、と金髪の男の子が身を震わせた。
幼い頃の『伯爵』だ、と聡也にはわかった。
とすると反対側に座る茶色の髪の少年が、『雑音』か。
「なんで魔女はそんなに嫌われてるの?」
『雑音』が頼りない口調でぽつりと呟いた。
男のひとがやさしく笑って、『雑音』の頭を撫でる。いまの『雑音』と違って、幼い彼の髪は刈られておらず、琉斗と同じくらいの長さだった。
「神さまの話は知ってるかな?」
「『
意気揚々と答えたのは琉斗だった。その琉斗の頭もひと撫でして、男のひとが頷く。
「そう。『創まりの神さま』が我々人間を生み出された。そのときの言葉が」
「「我が子らよ、平等たれ」」
琉斗と『雑音』の声が重なった。
『創まりの神さま』のお話はとても有名で、絵本も何冊もつくられていたから、二人ともそのセリフは覚えていたのだ。
「よく覚えていたね。そう。神は我々を平等に愛され、平等につくられた。けれどその神の愛をひとりじめしたのが、魔女だと言われているんだよ」
「ひとりじめ?」
「たとえば、暖炉を見てごらん」
男のひとに促され、『雑音』と琉斗が背後を振り向いた。壁際には煉瓦でできた暖炉があった。寒い季節ではないから薪も火も入っていない。
男のひとが空の暖炉を指さして、しずかな声で語った。
「私たちは冬になったら、暖炉に火を灯す。火の力を借りて部屋を暖めなければ凍え死んでしまう。でも、いまよりももっと昔、ひとびとは火のつけ方を知らなかった。寒さに凍えながら身を寄せ合って耐えていた。そこに魔女が現れて、火を与えてくれた」
「魔女、いいひとじゃん」
琉斗が笑いながらそう言って、「な?」と『雑音』に同意を求めてきた。
男のひとは頷いて、続きを口にした。
「しばらくするとひとびとは、火のつけ方を学んだ。火打ち石を使い、木をこすりあわせることで魔女の力を借りずとも火を
男のひとの質問に、『雑音』も琉斗もしかめっつらになって、うーんと首を捻った。
「みんなができた方がいいよな」
と琉斗が言った。
『雑音』もこくりと頷いて、同意を示した。
「火だけじゃなく、水も、ないと困るから。必用なだけ、みんなが自由に使えるほうがいいと思う」
「そうだね。王さまもそう考えた。『平等たれ』。神のその言葉に準じて国を治めていた王さまは、井戸を掘り、水路をつくり、家を建て、苗を植えた。ひとびとは神に祈りを捧げ、王さまに感謝し、自らが汗を流して自然の恵みを得ることができた。けれど魔女は、井戸を掘らずとも水が飲め、畑を耕さずとも実りをもたらし、医学の勉強をせずともひとを癒した」
「それのなにが悪いの?」
琉斗が首を傾げた。
「平等じゃないから?」
おずおずと、『雑音』が発言した。
男のひとが滲むような微笑を浮かべ、二人を交互に見つめた。
窓越しに三人を見ていた聡也は、男のひとの瞳が、『伯爵』と同じきれいな緑色をしていることに気づいた。
面差しも琉斗によく似ていて……男のひとは、琉斗のお父さんなのだとわかった。