「きみたちには少し難しい話になるけれど」
と、前置きをして、琉斗のお父さんが話を続けた。
「平等じゃない、という以上に魔女の存在は、王さまにとっては都合が悪かったんだ」
火を操る魔女。
水をつくる魔女。
風をおこす魔女。
植物を実らせ、または枯らす能力を持った魔女。
病を癒し、怪我を治す魔女。
魔女、と呼ばれる者たちはそれぞれに常人にはない能力が備わっており、民の間では魔女信仰が生まれていた。
『創まりの神』ではなく魔女を崇め、魔女にまもられ、魔女と共にコミュニティを築くひとびとも居たほどだ。
魔女とは、『創まりの神』への信仰心を惑わせる、悪しき存在である。
魔法とは、『創まりの神』に愛された勤勉であるひとびとを堕落させる、忌まわしきものである。
『平等たれ』という神の訓えに反する、ゆるされざる者たちである。
王さまはそういった思想を国民へ植え付けるべく、魔女がどれだけ非道な存在であるかをひとびとの口伝いに流布していった。
やがてそれが国土の隅々にまで広まる頃、『創まり神』の信者たちを中心に、魔女狩りがあちこちで勃発するようになっていた。
「魔女の存在をなくすこと。それが王さまの狙いだったんだよ」
琉斗の父は、緑の目をかなしげにまたたかせてそう言った。
「なんで王さまはそんなに魔女が嫌いだったんだろう?」
琉斗が父親と同じ色の瞳を動かして、『雑音』を見つめた。
父親が小さく微笑み、「それはね」と呟いた。
「魔女は、王さまにとって脅威だったからだよ。魔女たちは魔法の力で民衆のこころを捉えることができるし、その魔法は武力にもなる。戦争を起こされたら負けるのはきっと王さまの方だ。だから先に悪い噂を流して、魔女たちを追い払おうとしたんだね」
「……でも魔女は、魔法を、悪いことにはつかわないのに」
『雑音』がしゅんとうつむいて、肩を落とした。『雑音』の小さな背中を琉斗の父親のてのひらがやさしく撫でている。
「そうだね。魔女たちはとてもやさしいひとたちだ。私はそれを知っている」
父親の唇が、『 』『 』と動き、琉斗と『雑音』の名前を呼んだ。
彼の声は聡也の耳には届かなかった。
急に音声が途切れて、窓の向こうの三人の姿がかすれだす。
聡也は慌てて窓ガラスに両手をついた。
琉斗の父親が顔を上げた。目が合った、と思ったが、彼は聡也越しに窓の向こうの空を見たようだった。
緑の目がじわりと細まり、
「きみたちは仲良くしなさい」
と、父親がやわらかな声を聞かせた。
右腕に、琉斗を。
左腕に、『雑音』を抱きしめて。
「きみたち二人が仲良しでいられれば、それが新しい世界のいしずえとなるよ」
琉斗の父親は、ひとびとと魔女が共存する世界を夢見るように、そう言った。
ざぁぁぁぁっとノイズが直に脳に響いて、聡也は思わず目を閉じて両耳を塞いだ。
大音量で広がったそれは、徐々に小さくなっていき、やがてふっと掻き消えた。
聡也が恐る恐る瞼を持ち上げると、目の前にはまだ窓が浮いていた。
覗いてみると場面が変わっており、子どもたちの姿は消えていた。
変わりに部屋の中央で、琉斗の父親と女のひとが抱き合っているのが見えた。
先ほど聡也が見たときより、父親は幾分老けた印象だった。
「あの子は魔女でしょう?」
と、女のひとが涙声で叫んだ。きれいな金髪が背中で波打っている。琉斗のお母さんだ、と聡也にはわかった。
「あの子なら治せるわ。治してもらいましょうよ」
「それはできない」
「なぜっ? あなたは平気なの? 領民がこんなに苦しんでいるのに」
「魔女の噂が広まれば、魔女狩りが来る。あの子が殺されてしまう」
「大丈夫よ。皆であの子をまもればいいの。緘口令を
「無理だよ。ひとの口に戸は立てられない」
悲痛な声を上げて、母親が両手で顔を覆った。妻の肩を抱き寄せて、琉斗の父も涙をこぼした。
「きみの気持ちはよくわかる。私もつらい。流行り病で毎日誰かが死んでゆく。それを止められないのがつらい。自分の無力さが嫌になるよ」
泣きながら彼は、でも、と言葉を続けた。
「魔女裁判のことは、きみもよく知っているだろう。死刑ありきの裁判だ。魔女は首を斬られる。そして、魔女の仲間は火炙りにされる。それから逃れるためには、『創まりの神』への信仰を誓い、王への忠誠を誓い、改心の言葉を口にして、自らの手で魔女の首を落さなければならないんだ。万が一あの子が魔女だと知られたら……私たちの息子の足元に火が放たれるかもしれない。そして、愛する息子が友人の首を斬る役目を担うことになるかもしれない。そんなことはさせられない。そんなことは、させられないよ」
聡也は琉斗の父親の話を聞きながら、茫然と目を見開いた。
断頭台で、死刑執行人が剣を振り下ろすとき。
『雑音』は一撃で絶命したりはしなかった。苦痛が長引くように力加減を調整されているのだと思っていた。
けれど、いまの話では……。
魔女の仲間とみなされた琉斗が、磔になっていて。
彼の足元に松明の火が移り。
改心しろ、という群衆の合唱の中で、琉斗はなにかを叫んでいた。
周りがうるさくて聞こえなかったけれど、あのとき彼が、王への忠誠を誓っていたならば。
三度目に剣を振り下ろされたときに聡也は昏倒してしまったが、もしかしてあのときまだ『雑音』がかろうじて生きていたならば。
あの場面の続きは、『雑音』の首を琉斗が斬り落とす、というものなのかもしれない。
そうであれば琉斗はたすかったということだ。
いま目の前で繰り広げられている会話が、真実のものであるならば。
魔女の仲間であると疑われた琉斗にも、生きる道が残されていたということだ。
聡也は虚脱するほどの安堵を覚え、震える息を吐いた。
「国王は正しかったわ」
琉斗の母親が夫に縋りつきながらそう嘆いた。
「魔女なんて存在を知らなければ、こんな思いはせずにすんだのに。やはり魔女はゆるされない存在なのだわ。居ない方がいいのよ。私は恨むわ。あなたに、あの子を託した『祝福』卿を」
「悪いのは『祝福』卿じゃないよ。魔法を厭う思想そのものだ。魔女たちと共存できないこの世の中こそが、間違いなんだよ」
妻を諭したその口で、彼は泣いている彼女の頬にキスをした。
「神が『平等たれ』と言うのなら、我々も魔女たちも同じ生き物ということだよ」
深く、しずかな声でそう言った琉斗の父の名を、聡也はふと思い出した。
彼は『木洩れ日』卿だ。
王さまに統治されたこの国には、王の直轄領の他に十三の領地があって。
それぞれを十三人の伯爵が治めているのだと、聡也は……『雑音』は聞いていた。
中でも『祝福』『清廉』『木洩れ日』の領地は広く、そこを治める三人は『王の三賢人』とも呼ばれ……『雑音』は、『祝福』の領地で密やかに匿われながら育ったのだった。