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第24話 勇人の里帰りをふたりで、そして知る

 * * *



「──父さん、今帰ったよ」

 実家の玄関を合鍵で開けて声をかけると、物音と軽い足音が響いて、父親が姿を見せた。

「おかえり、勇人。元気そうだな」

「優和さんが良くしてくれるから。──父さんも元気そうで良かった」

「こんにちは、お久しぶりです。私まで来てしまいすみません」

 勇人の隣に立つ優和が、温和な声で挨拶する。

「いえ、こちらこそ息子がお世話になっています。狭い家ですが、ゆっくりしていって下さい」

「ありがとうございます。──お邪魔します。こちら、大した物でもないのですが、よろしければ」

「これは、お気遣いありがとうございます」

 優和が洋菓子店で買った焼き菓子の包みを父親に手渡す。これは、個人経営の店の物だが、実は予約待ちの人気商品だ。

「父さん、お茶出すの手伝うよ」

「勇人は機織さんと座っていなさい。せっかくの里帰りなんだから」

 そう、この日は優和の家に越して以来、初めての里帰りだった。自宅の匂いが懐かしい。

 深呼吸していると、「なう」と鳴き声が聞こえて、毛並みの良いサビ猫が姿を現した。

「父さん、猫飼い始めたの?」

「ああ、職場に良く来てた猫でな。社員の皆で餌をやってたんだが、雨の降る日も必ず来てたから……情が移ったかな、ちゃんと屋根のある家で暮らさせたくなったんだよ」

「そうなんだ。──あ、足にすり付いてきた」

 元が野良猫とは思えない懐っこさだ。抱き上げて撫でると、喉を鳴らす。

「この子の名前は決まっているんですか?」

「色々考えたのですが、みたらしと呼んでいます」

 ペットに食べ物の名前をつけると長生きしてくれるというジンクスは勇人も聞いた事がある。父親は、おそらくそんな願いを込めたのだろう。

「みたらし、父さんと仲良くしてくれよ?」

 思わず声のトーンが甘やかす高さになる可愛さだ。

 猫は応えるように顔を胸もとへすりすりと擦り付けて、しきりに甘える。

 ──良かった、父さんが一人になっても寂しそうにしてなくて。

 ほっと胸を撫で下ろし、興味のある面持ちの優和にも抱っこさせてみる。

「……こいつ、人見知りしないんだな。みたらし?お前、大物になるぞ」

 優和は猫を飼った経験があるのだろうか、案外慣れた手つきで優しく抱っこしていて、猫も嫌がる事なく腕に収まっている。

「みたらしは多分、優しい人を見分けてるんじゃないですか?」

「……俺が優しい人間かは自分じゃ分からんが」

「優和さんは優しいですよ、ちゃんと」

「悪い気はしないな」

 リビングに向かいながら、他愛もない会話を交わす。

 そう広くもないリビングだが、サッシからの日差しが明るくて、掃除も行き届いている。父親はきちんと整頓しているようだ。

「父さん、今もお酒は控えめにしてるの?」

「それは心配いらないよ、風呂上がりのビール以外飲まないから」

 父親といい優和といい、風呂上がりのビールはそんなに美味しいのか。未成年の勇人には分からない魅力があるようだ。

「みたらしの為にも元気でいなきゃ駄目だよ?」

「そうだなあ、勇人もまだ高校生だしな。大学進学も控えてるもんな」

「勇人君の受験勉強なら私がフォローしますのでお任せ下さい」

「お仕事もお忙しいでしょうに、これは頼もしいです。きっちり鍛えてやって下さい」

「え……あの、適当に手を抜いて欲しいんですが……」

「俺に手抜き?」

「すみません、撤回します……」

「二人とも、仲良くしているようで何よりだよ」

 優和と勇人のやり取りを見て、父親が安心した顔になる。にこやかに笑って、母親が生前好きだった紅茶と茶菓子を出した。

「アップルティー久しぶりに飲むよ」

「甘い香りですが、飲み口は軽くてさっぱりしていますね。それにまろやかで美味しいです」

「そう言って頂けて良かったです」

「……あのさ、父さんに訊きたい事があるんだけど、もしかして僕、異能の事で母さんから教わってないことある?」

「異能か?父さんも母さんから聞かされてる範囲でしか分からないんだが」

「父さんが母さんに触れる事が妙に多かったなって。関係してる?」

 運命の人が絡む事を優和が同席している場で訊くのは躊躇われたが、これは通話より直接聞きたいし、次に里帰り出来るのがいつになるか分からない。

「勇人は頭痛や記憶障害についてなら分かってるな?」

「うん」

「……母さんが言ってたんだ、父さんに触れられると症状がやわらぐって」

「父さん限定?」

「ああ、父さんしか母さんには効かなかったみたいだ」

 やっぱり運命の人が肝になるのかと思っていると、話を聞いていた優和が口を開いた。

「無形さん、勇人君の負うリスクに関しては、先日話を聞かせてもらいました。私に勇人君を癒す力があるのなら、助力は惜しみません」

「機織さん、大変心強いお言葉をありがとうございます」

「いえ、私の方こそ勇人君のおかげで充実してるんですよ。彼にしてやれることがあるのでしたら、それは喜んでさせて頂きます」

 優和の快活な物言いに大げさな響きも偽りも感じられない。だからこそ、勇人としては二人のやり取りを聞いていて身の置き場に困ったが、元は自分の発言からだ。

 父親の言葉に優和が何を思ったか気にはなるものの、口も挟めずティーカップの紅茶を見つめた。

 その後の歓談はなごやかに進んだ。しかし、そこに電話の着信が鳴り始める。父親のスマホだった。

「──すみません、少し失礼致します」

「お気になさらず」

 画面を見た父親の表情が固くなった。気にかかるものの、父親の通話を優先させる。

 ややあって、表情を曇らせた父親が戻ってきた。

「──すまない。お世話になっている先生が入院していて、仕事が休みの日はお見舞いにも行っていたんだが……どうも今夜が峠らしい。叶うなら、最期にお礼を言いに行きたいんだ」

「あの先生が?──父さん、面会出来るならすぐに行って」

「ありがとう」

「──無形さん、病院はどこですか?距離があるなら私の運転でお連れします。精神的に不安定な状態では、ご自身の運転で行く事は避けた方が良いかと」

「それはありがたいのですが……」

「遠慮なさらず。悔いの残る別れは癒えない生傷を心に作りますから」

「……では、お願い致します」

 勇人の父親が外出の支度をする為にリビングを後にすると、優和が小声で訊いてきた。

「──勇人。お世話になっていた先生って、お前の親御さんはどこか悪いのか?」

 これは、病院まで送ってもらうならば話すべきだろう。その人は勇人にとっても父親の恩人として、決して小さくはない感謝とリスペクトがあった。

「母が亡くなった後、父のお酒が増えたのは話しましたよね?」

「ああ。それでお前が気遣うようになった事も聞いた」

「はい。──それからの父は、お酒を控える為にカウンセリングを受けるようにもなったんです。カウンセラーの方は、根気強く父の話を聞いて下さっていたそうで……」

「……それで、先生か。なら、なおさら親御さんは、立派に立ち直れたから今後も生きていこうって姿勢を見せておくべきだな」

「僕もそう思います」

「──本来なら、こういう立場の人間は入院先や進行した病状を話さないと思うが……それだけ親御さんは近しく接してきて、気遣われていたんだろう」

「はい……」

「──機織さん、お待たせ致しました。済まない、勇人も来てくれないか?」

「そのつもりでいたけど、どうして?」

「……先生の魂を見て欲しい。もし先生に……いや、何でもない」

 ──おそらく、人生に悔いが残ってはいないか、今苦痛に苛まれてはいないか、父さんは心配なんだ。

 そうしたものは魂の色を変化させる。ネガティブな色なら父親には知らせにくいが、それでも父親は何かしてあげられる事を探したいのかもしれない。

「分かったよ、行こう。──優和さん、お願いします」

「任せろ」

 その一言で、優和は安全運転で二人を病院まで運んだ。


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