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第1話

満員のスタジアムに歓声が湧き上がる。


真夏の夜をさらに暑くするような熱気がこの街すべてを包み込む。


「みんなー、盛り上がってるー?」


その熱狂に会場は興奮の坩堝るつぼと化し、汗をぬぐう時間を与えないほどにせわしない。


「最後の曲行くよー!」


「一緒に歌って、Starlightスターライト


曲名を聴いたファンから大歓声が上がると、イントロが流れ出した。

五色に色分けされた服を着たアイドルが汗をかきながらキレのあるダンスを踊っている。

濡れた髪がひたいについたままサビを歌う彼女たちは観客のみならず街全体を活気づけた。


(あ〜、もうやばかった!)

(みんな可愛いし歌も踊りも上手いしマジ最高!)

(ほんと、永遠に見てられる)

(最後にStarlightもってくるあたりセンスよすぎ)


余韻に浸りながら帰っていく観客たち。

あまりの嬉しさにタオルでなみだぬぐう人もいる。


僕は親友のなぎとこのアイドルのライブを見に来ていた。


5人組女性アイドルグループ、MellowDearz.メロディアス


10代後半と20代前半で構成された女性アイドルグループで、抜群のスタイルとルックス、キレのあるダンスでアイドル界の新星と呼ばれ、デビュー前から多くのファンを魅了し、「かわいい」や「かっこいい」とSNSを通じて膾炙かいしゃされていた。

彼女たちのファンのことを〝dear.〟ディアーと呼び、デビュー曲である『Grandeur』グランデュールは日傘を使ったダンスがかわいいと再生回数が5億回を突破し、二曲目の『イルリョク』も激しいダンスが話題となり再生回数は6億回を突破した。

そして先週三曲目となる『スーパーノヴァ』が発売されたばかり。

とくにメンバーの中心である椎名 美波しいな みなみ藍沢 凛陽あいざわ りひはAIで生成されたのではないかと噂されるほどの美しさと歌唱力を持つ。

そんなのメンバーはこうだ。


椎名 美波

170㎝近い身長のあるクールビューティー担当。

同じ世代に生まれたとは思えないほど整った顔とスタイルで、キレのあるダンスが好評。

その美しさから性別問わず人気が高く、彼女の握手会は毎回長蛇の列ができる。

ライブのときは背中まで伸びた長い髪をポニーテールにして、イメージカラーであるオレンジのリボンをつけ、キレのあるダンスでファンを魅了するグループの中心人物。


藍沢 凛陽

ルックス、歌唱力ともに抜群な絶対的センターで、『リヒメイク』と呼ばれるナチュラルメイクが若い女性の間で流行っている。

サラサラのロングストレートヘアーは、同世代のみならず30代の人たちも真似するほどに美しく、とあるヘアケアのCMに起用されてからというもの、その商品は爆発的にヒットした。

イメージカラーは紫。


深乃 梓希ふかの あずき

メンバーのまとめ役。イメージカラーは水色。

歯に衣着せぬ物言いが清々しいとマダムたちからは評判が良く、クイズ番組にも出るほど頭が良い。


柊木 柚鈴ひいらぎ ゆず

いつもニコニコしていて愛嬌があり、年配の人にも愛されているムードメイカー。

食レポが上手くグルメ番組にもよく出演している。

イメージカラーは黄緑。


小椋 純恋おぐら すみれ

椎名と藍沢の次に人気があるかわいい担当。

少々あざとさもあるが、スタイルの良さもあって男性ファンが多い。

歌も上手くファンサービスも良いため人気がある。

イメージカラーはピンク。


ここ出海町いずみまちでのライブで約1ヶ月に渡るツアーも今日で終焉しゅうえんを迎える。


皓月こうきがアイドルのライブに誘うなんてはじめてだな。明日、雪でも降るんじゃねぇか」


「まだ8月だぞ?そんなわけあるか」


親友の軽口かるくちが理解できずに真顔でツッコミを入れる。


揶揄やゆしたんだけど」


揶揄ってなんだ?


アイドルのライブに来たのは人生はじめてだ。

いままで興味がなかったわけではなく、お金を払って時間を使って行くまでに至らなかった。それに、自分が必死に応援している姿を想像したら引いてしまって、いつしか画面越しで見ているだけで充分と思えていた。

きっと気持ちの悪い顔をしながら大声出しているのだろうと思ったら一歩踏み出す勇気がなかった。

話題の彼女たちはアプリを開けばCMや広告に出てきて、メディアを席巻せっけんしている。

よく変わっていると言われるが、僕は流行りの曲をほとんど聴かないし、芸能人やスポーツ選手もあまり知らない。

何かにあらがっているとかではなく、興味のないこと以外頭に入らないタイプなのだ。

しかし、実際に生で聴いてみるとその迫力や歌唱力に思わず身体がリズムを取っていた。

正直こんなにも楽しいものだとは思わなかった。

推し活とかいう言葉とは無縁だと思っていたが、いざ経験してみると日々のストレスが全部飛んでいく。そんな感覚だった。

今日でのMellowDearz.のファンになるのは間違いない。


「流行りの曲を聴かない皓月がこんなにハマるなんて、来週クレマチスが咲くかもな」


中学生のとき流行りの曲についてクラスメイトと話していたがまったくわからなかった。

昔から偏頭痛持ちで、それが原因でたまにすごく眠れないときがある。

たまたまSNSで耳にしたR&Bの曲が衝撃的で、そのメロディーを聴くとすうっと眠れるようになりそこから一気にハマった。

アーティストの柔らかく綺麗な声となだらかな奥深い音はポップスにない魅力があり、心の奥にピアノの音が響き渡る感じがたまらない。

以前お気に入りのプレイリストを友達に聴かせたことがあったが、横文字ばかりでわけわからんと言って誰も共感してくれなかった。

カレーライスは混ぜてから食べるし、ピザは一切れをぐるぐるに巻いてロールケーキのようにして食べる。

他の人と違うということは理解している。

ってかクレマチスってなんだ?


「それにしてもあの椎名 美波と皓月が知り合いだったなんてマジで驚きだよ」


親友よ、そんな大きい声で言わないでくれ。

周りにはファンという名目で近づき、あわよくば付き合えるかもという浅はかな考えをしたケモノがたくさんいるのだから。

オレンジのTシャツにオレンジのスニーカー。まるでどこかのスポーツチームを応援しに行っているかのような僕の格好は誰よりも目立っていた。

周囲には椎名のイメージカラーであるオレンジや藍沢のイメージカラーである紫のタオルを持った人が多くいて、グッズは真っ先に売り切れた。

5人の中でも2人は飛び抜けて人気がある。

ミーハーと思われるかもしれないがそれだけ魅力がある証拠。

でも僕は椎名に対して特別な想いがあった。

きっとあっちは覚えていないだろうけれど。


今日のライブに行く前、財布の中身を見て落胆らくたん。いや、絶望した。

愛すべき紙幣様が1枚もなかったのだ。

小銭くんをかき集めても次の給料日まで生活費はカツカツだった。

だから少しでも多くのオレンジを身にまとうことで椎名に近づける気がした。

いくら親友とはいえ、このことを話せば確実に気持ち悪がられるから心の奥深くに留めておこう。

その後も生産性のない会話をしながら駅の方に向かう。


「で、この後どうする?」


どうするって言われても金がない。

小銭くんだけではドリンクバーだけで終わってしまう。

高校生にとってライブのチケットは決して安くない。

ましてやいま一番人気と言っても過言ではない人気アイドルグループだからチケット代も他のアーティストより高い。

グッズを買う金もないからTシャツもタオルも何もない。

買えるとしても使い道のないクリアファイルやバッジくらいだ。

ファミレスに行ってドリンクバーで満腹感を味わうので精一杯。


彼女は誰もが知っているアイドルになり、ステージ上で光輝いている。

それを遠くから見つめるしかなかった。


凪と近くのファミレスに入り、なけなしのお小遣いを使ってドリンクバーとフライドポテトを注文する。

勢いでグッズを買っていたらきっとドリンクバーのみの注文だっただろう。

でも次のバイト代が入るまでは大好きなスイーツ巡りはおあずけだ。

氷をパンパンに入れたジュースを飲みながら、向かいに座る親友に話しかける。


「今日のライブどうだった?」


凪を誘った理由は二つある。

一つは1人でライブに行くのが恥ずかしかったから。

もう一つは凪のことが心配だったから。


凪の所属する野球部は夏の全国大会を目前に敗れた。

二年生ながらキャッチャーとしてレギュラーを務めていたが、最終回にエラー(ワイルドピッチ)で失点し、夏の大会が終わった。

いつもクールな凪がグラウンド上で号泣している姿を見て、思わずもらい泣きしそうになった。

大会後の凪はそれがものすごく悔しかったようで練習に明け暮れた。

学校で会っても少し元気がなかった。

昔から一緒にいるからわかる。

あんなに落ち込んであんなに悔しがる親友の姿ははじめてだった。


「楽しかった。ありがとう」


少しでも気がまぎれてくれればと思って誘ったから、今回のライブに来てくれたときは素直に嬉しかった。

近所に住む凪とはいつもキャッチボールをしたりバッティングセンターに行くことがほとんど。

たまに近所のショッピングセンターやファストフード店に行くくらいで、こうしてアーティストのライブに行ったのははじめてだ。

今回のライブは僕にとっても親友にとっても良いものになったと思う。

MellowDearz.は男女問わずファンが多く、早くも二期生のオーディションがあるのではないかという噂も流れているほどに勢いがある。

チケットは即完売するため、今回ライブに行けたのは奇跡に近かった。


ー「ただいま」


「おかえり」


母さんの優しい声と同時に香ばしい香りが鼻腔びくうから全身に染み渡り、食欲をそそられる。

フライドポテトしか食べてないからものすごくお腹が空いている。


「ご飯できてるわよ」


「母さんの手料理なんて珍しいじゃん。今日なんか良いことでもあった?」


「あん?いまなんて?」


自慢じゃないが母さんは美人だ。

口悪いし少し暴力的だけれど、友達からも羨ましがられるほどに綺麗な人。

そんな母さんだがあまり料理をしない。

バイト先での残りものをレンチンするくらいしかしない。

だからたまに料理をしている姿を見ると何か裏があるんじゃないかと勘繰かんぐってしまう。

今日も職場から余りものをもらってきてくれた。

お腹が空いていたので玉子焼きに手を伸ばそうとすると、

「うがいしたの?手洗った?食べるときはお箸使いなさい」

相変わらず口うるさいなと思いながらも怒られたくないので言う通りにする。

近所のスーパーで働く母さんは廃棄間際の余りものをよくもらってきてはそれを夜ご飯にしている。

時給は決して高くないけれど、シフトの融通も利くし食費が浮くからと言って続けている。

そのため家計はかなり助かっているそうだ。

普段あまり料理をしない母さんだが甘いものを作らせたら天才だと息子ながらに思う。

学生のころ、元カレのためにスイーツ作りを頑張っていた時期があり、それからハマって作り続けているそうだが、普段の立ち居振る舞いからはそんな健気けなげで乙女な一面は1ミリも垣間かいま見えない。

実際母さんの作るパンケーキは世界一美味しいと思う。

友達とスイーツ巡りをしていても母さんの作るパンケーキより美味しいものは出会ったことがない。

きっと父さんも母さんの作ったスイーツに胃袋をつかまれたのだろうと勝手に推測する。

父さんは地元の消防士。

炎の中に飛び込み人を救う勇敢ゆうかんな姿に誇りを持っている。

小学生のとき、休みの日は寝てばかりで全然遊んでくれないから傷つけるようなことたくさん言ってしまった記憶があるけれど、いま思うとわがままだったなと思う。

そんな父さんは今日夜勤で帰りは朝になる。


「ライブどうだった?」


「楽しかった」


「久しぶりに見た美波ちゃんはどう?」


「画面越しと変わらないよ」


「昔からかわいかったけど、アイドルになってすっごく綺麗になったわね。別の世界の人みたい」


母さんの言う通りだ。

ステージの上で踊る彼女は別の世界線で生きているくらいにまぶしくて輝いていた。


「せっかくならお家に呼べば良かったのに。久しぶりにお話したかったわ」


どこにそんなチャンスがある。

相手はスーパーアイドルだぞ?

最後に会ったのはもう13年も前のことだし、当時はまだ4歳だった。

僕のことなど覚えているわけがない。


「どうせ13年も前のことだから覚えてるわけない。とか思ってるんでしょ?」


この人エスパーか。


「女の子っていうのはね、昔の思い出を意外と覚えているものなのよ」


「母さんの口から女の子って言葉を聞くとちょっと……」


「明日からあんただけパンの耳にするからな」


母さん、それは軽いネグレクトなのでは?と突っ込もうかと思ったが論破されて終わるのが目に見えていたのですみませんと素直に謝った。


「あんたは黙っていれば良い子なのに。まったく、親の顔が見てみたいわ」


誰が言ってんだ。

黙っていれば良い子ってそりゃあそうだ。

大人しくて受け身の人ほど自分を抑えて生きている。

自分が傷つかないように人を傷つけないように。

自分を変えようと思っても勇気を出すタイミングがないのだ。


「ってかDMでも飛ばせばいいじゃんか」


「母さんはもうSNSやってないの」


もうってことは過去にやっていたってことだよな。

いまの時台、少子高齢化の時代とはいえSNSは世界の役半分の人が利用しているといわれている。

海外では体内にマイクロチップを埋め込む人も増えてきていて、そこからネットや動画を楽しんだり買い物もできる時代。

日本ではまだ抵抗のある人が多くごくわずかだが、スマホや財布を持たない人も増えてきている。

母さんがなぜSNSを止めたのか訊くことはしなかった。


「そういえば叶綯かなは?」


「今日はお友達のお家で一緒に受験勉強するって」


そう訊いてホッとした。

両親はともかく、妹の叶綯と同じ空間にいるなんて勘弁してほしい。

中学生の妹は現在思春期真っ只中で、僕のことをまるで害虫のように扱う。目が合えば脳内の引き出しからありとあらゆる毒を吐き捨てる。眼鏡越しに見える瞳からは殺意すら感じるときだってある。

数日前には寝つきが悪く、喉が渇いたから麦茶を飲みにリビングに行ったら『なんでいんの?うざっ』と言われたし、この前なんて風呂上がりに身体を拭いていたらすれ違いざまに『なんでいんの?きもっ』と言われた。身体を洗っているのにどうしてそんなことを言われなければいけないのだ。

ってか僕の家でもあるし。

生まれてすぐのときはあんなに可愛かったのに、ここ数年は驚くほどに冷たい。

冷徹、冷酷、酷薄こくはく、非情、無情。

温厚で温和で優しさのかたまりである僕の妹とは思えない。

こんなことを言ったら本当に殺されそうだから決して口にはしないが。


母さんの手料理を食べ終え片づけをする。

自分で食べたものは自分で片づける。

これが新羅家のルールだ。

久しぶりに激しい運動をしたせいもあって急に眠くなってきた。

ベッドに飛び込むとそのまま眠っていた。

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