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第8話

墓参りのとき以降、ネロの様子がおかしいらしい。

吠えることなど滅多にないネロが散歩に出かけるたび走りだしては爺ちゃん婆ちゃんの墓の前で吠えるそうだ。

あまりにも頻度が高いので何かあるのではないかと凪と2人で見に行くことにした。


「う〜ん、何もないな」


周りを見渡すがあやしいものは何もなかった。

ただの勘違い?

そう思いたかったが違和感が止まらない。

凪に確認したところ、ネロが吠えるようになったのは爺ちゃんが墓石に入ってから。

ネロと爺ちゃん婆ちゃんの面識はない。

爺ちゃんが亡くなったのはたしか去年の年末だった。

亡くなる前に2つのことを希望していた。

『婆ちゃんと同じ墓に入る』

『大事な手帳を必ず墓石に入れてほしい』

当時はその手帳がなんなのか気にも留めなかった。

きっと婆ちゃんとの思い出のものだろうと思っていたから。

これは推測の域を出ないが、ネロが吠えたのはおそらくその手帳に何かあるのだと思う。しかし、爺ちゃんが墓石に入れることを強く希望したものを勝手に掘り起こすなんてもちろんできないし、新羅家で一番決定権を持っていたのは間違いなく爺ちゃんだったから、父さんも母さんも爺ちゃんの言うことに対して抗うことはしなかった。

僕はこの手帳のことが気になって気になって仕方なかった。


家に帰ると父さんと母さんがいたので、手帳のことを訊く良い機会……のはずが、この日はそんな空気じゃなかった。


「近くの高校でいいわよ」


「いまのうちからしっかり学んで良い高校、良い大学に行かせないと」


「学力なんて最低限あれば充分じゃない」


さすが僕の母さん。

そう、学力は必要最低限あればいいんだ。


「俺は叶綯を皓月のようにはしたくない」


人を失敗作みたいに言うな。

あんたの息子だぞ。


「叶綯は中学校でも成績優秀だし、ちゃんとした学校を出て1人で稼げるようにならないといけない。俺たちのころと違っていまはAIにどんどん仕事が奪われていって仕事も限定されている。未婚者も増えて女性が1人で生きていくのが当たり前になっているんだ」


「大丈夫よ。あの子、私に似て人に愛されるから」


母さんってたまに見ていて痛いがこの飾らない感じが良いと前に椎名が言っていた。

彼女が母さんの信者にならないか心配だ。


聞き耳を立てていた僕の背後から軽く舌打ちが聞こえた後、父さんと母さんのいるリビングに入っていく妹がいた。

眼鏡越しに見える眼はいつになくこわかった。


「勝手に私の人生決めないでくれる?」


「父さんは叶綯のことが心配なんだ」


「母さんはあまり気にしてないけどねぇ」


「おい、愛香」


「あなたは心配しすぎなのよ。叶綯は叶綯なりに考えてるし、不安なことや気になることはちゃんと訊いてきてくれるしっかりした子よ。叶綯の人生なんだから叶綯が決めればいいのよ」


優しくて真面目だが心配性の父さんと楽天家で自由人だが気が強く口の悪い母さん。

良くも悪くも妹は母さんに似たからこうなると父さんに立場はない。

母さんと妹が手を組んだら何も言えないのだ。

でも今回は母さんに賛同する。

子供を心配する気持ちはわかるけれど、母さんの言うとおり、妹の人生を邪魔する権利は誰にもない。


「しかし、父さんは叶綯に幸せになってほしくて」


「父さんの意見を押しつけないで。マジでだるい!」


そう言ってドカドカと大きな足音で部屋に戻っていった。

いま大学に行くことの価値を問われている時代。

将来どう生きるかは自分で決めることだし、幸せの定義は人それぞれ。親子かどうかは関係ない。

ってか僕が中学生のときこんな心配してくれていたっけ?

結局、手帳のことは訊けず仕舞いだった。


**


バイトから帰ると、スマホに着信がきていたことに気づく。

椎名からだった。

風呂上がりに折り返す。

数日前、勇気を振り絞ってデートに誘ったが連絡がなかった。

ずっとバタバタしていて返事ができなかったことを謝られたが、相手のいまの立場を考えればそれは覚悟していた。

しばらく休みが取れなくて、次いつ会えるかわからないから電話をくれたという。

久しぶりに聞く椎名の声はいままでの疲れを吹き飛ばすほどの力があった。

デビュー当時に比べてのレッスンが一段と厳しくなってきていることや、食事を摂れるのは移動時間だけで毎日三時間睡眠など、超多忙で頭がおかしくなるようなハードスケジュールの話を訊いて本当に売れっ子なのだと改めて感じた。

忙しいはずなのに声のトーンは高くどこか楽しそうに話していた。

僕の近況も訊きたいとのことで最近あったことを話す。

昱到と夏海が大会前に束の間のハロウィンデートすることや凪を狙う女子が多くいて、その中の1人である金髪美女の中原さんが外堀を埋めてくることを話すと急に無言になった。

電話越しで無言になられたらどういう表情をしているのかわからないから不安になる。


「どうしたの?」と訊くと、少しの間の後、「……なんでもない」と一言。

その声はさっきの彼女とは別人のようにトーンが低かった。


またしばらく沈黙が続く。

「ごめん、今日はもう切るね」


何がなんだかわからなかったが、この日はいつも以上に眠れなかった。


ー翌日、昱到を食事に誘った。

昨日のことを相談したかったし糖分をオーバードーズしたい気分だった。

全国チェーンのドーナツ屋でハロウィンを前に地域限定商品が出ている。

注文した大量のドーナツを置いて席につくと早速話しはじめた。

もちろん椎名の名前は伏せて。


「相談があるんだ」


「おっ、ついに彼女できたか?」


そんな吉報きっぽうならよかったんだが残念ながらそうじゃない。


「……なるほどな。その人、皓月のこと好きなんじゃね?」


まさか、そんなの天変地異が起きてもありえないだろう。


「逆にさ、皓月が好きな人と2人だけのとき別の女性が突然登場してきたらどう思う?」


いやだ、すごく。


「でもさっきまでテンション高かったのに急に人が変わったかのように低くなる。そんなことあるのか?」


「女子って言うのはそのときそのときで人格が変わる。そう思っていないとゴールのない迷路から抜け出せなくなって振り回されるだけだぞ」


そう言われるとたしかに母さんも上機嫌だったと思ったら急に機嫌が悪くなることがよくある。

叶綯は、ずっと不機嫌な気もするが。

女性という生き物はそうなのだろうか。


「夏海と付き合って一年近く経つけど、いまだに考えてることわかんねぇし。急に甘えてきたと思ったら急に不機嫌になるし」


「そういうときはどうするんだ?」


「あっちの言い分をすべて聞いて受け入れる」


「納得いかないこととかないのか?」


「こっちが納得するかしかないかは二の次だ。それよりも夏海に笑顔でいてほしいんだ」


ちょくちょく垣間見えるこの余裕や大人な発言はどこからくる?

これが昱到と僕の決定的な違いなのか?

チャラチャラしているように見えて彼女のことを大切にしている。

一途なところが昱到の魅力で夏海もそれをわかっているから続くのだろうか。


「好きになると欲が出るだろ?求め出したら止まらなくなるだろ?でもそれは言わないと伝わらないし、常に受け入れてくれるわけじゃない。好きになればなるほど欲張りになるのが人間だ。その感情をどうやって補っていくかが大切なんだ。とにかく話し合って折り合いをつけていくことが重要なんだよ」


万が一、椎名と付き合えたとして、僕は彼女のことを笑顔にできるだろうか。


「言っとくけど、その人のこと本当に好きなら変な駆け引きとか気遣いとかしない方がいいぞ。傷つかないために自分に言い訳して受け身になってもそれじゃ前には進まない。不器用でも気持ちは素直に伝えないと伝わらないから」


とは言っても相手が相手だ。

引け目に感じることはたくさんあるし、自分が彼女に見合う存在だなんて思えない。

名もなき村人Aが貴族のお穣様と付き合うくらい奇跡なことだから。


「人生1回しかないんだ。ニラコが後悔しない選択を取るべきだと思うぞ。相手の好きな人なんて関係なく自分に振り向かせるくらいの気概きがいでいったほうがいい」


昱到が夏海に告白したときにはまだ彼氏がいた。

それでも自分の気持ちを伝えて2人は付き合った。


椎名の好きな人はどんな人なのだろう。

彼女も好きな人の前だと感情的になったり感傷的になったりするのだろうか。

想えば想うほどわからなくなる。

でもこれだけはわかった。

他の人と椎名が一緒にいるのはいやだ。

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