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第5話

いつものように転校生からしつこくつきまとわれたので、凪も連れてファミレスで話し合うことになった。

瓊子の横には禮央もいた。


「この人は?」


そっか、凪と禮央は直接話したことなかったんだった。


「僕と同じクラスの雪平 禮央。この前の体育祭でピッチャーやってたよ」


「すまん、覚えてない」


だろうな。

本当に人の名前を覚えるのが苦手なのだろう。


「A組の纐纈 凪です。よろしく」


禮央もよろしくと挨拶を交わし、それぞれドリンクを取りに行った後、瓊子が口火を切る。


「今日は呼んでくれてありがとう。確認だけど、例の件についてで良かったのよね?」


「その前に、ちょっと待ってくれ」


手を伸ばして静止する。


「何よ?」


「冷める前にこのピザを一口食べていいか?」


「あなた、すごいわね」


「おう、ありがとう」


なんだかわからないけれど、とりあえずお礼を言っておいた。


「褒めてはいないのだけど」


ピザは冷めたら美味しくないだろう。

あったかいうちに食べさせてくれ。

一口食べながらみんなのことを見る。


「みんなは食べないのか?冷めたら美味しくないぞ」


みんな卓上のドリアやハンバーグに手をつけていない。

誰かの合図がないとおあずけ状態の犬みたいになってしまう。


「皓月の言う通りだ。先に食べないか?空腹だと頭が回らないし、冷めたら美味しくない」


「そうだな」


みんな食べ終わったころ、改めて瓊子が口を開く。


「じゃあ本題に入るわね」


「ちょっと待った」


「もう、今度は何よ?」


不機嫌な顔をされたがいまのうちにしておかないとタイミングを失ってしまう。


「ポテト食べたいから注文させて」


「あなたってすごい神経してるわね」


「九十九さん、これが新羅 皓月という男だ」


隣でフォロー?してくれた凪に向かってピザを食べながらサムズアップして応える。

しばらくしてポテトが届いた。


「そろそろ話してもいいかしら?」


口の中に残っているピザを飲み込み、瓊子に向かってオーケーサインを出す。


「新羅くんと纐纈くんが出会ったのは7歳のとき、纐纈くんの小学校に新羅くんが転校してきたのよね?」


「あぁ」


「纐纈くんは出会う前の話訊いてないの?」


「訊いてどうする?」


「気にならないわけ?」


「いや、皓月は皓月だし」


そういえば凪と出会う前の話とかしたことなかった。

幼少期の記憶が曖昧なのもあるが、仲の良し悪し関係なく正直他人の過去は気にならない。

椎名を除いて。


「ほら、昔ワンちゃんに吠えられて大泣きしたかわいいエピソードとか、好きな女の子と両想いだと思ってたら実は数人のうちの1人で傷ついた話とか、家族との想い出とかいろいろ……」


「俺はいまの皓月に出会って仲良くなったからな。それ以上でもそれ以下でもないよ」


「男の子ってみんなそうなの?」


「そうだな」


「だな」


凪と意見が一致した姿を見て瓊子は大きく肩を落とした。


その姿を見て代わりに禮央が口を開く。


「瓊子から訊いてると思うけど、とある企業が人型クローンを内密に作っていて日本中をクローンで染めようとしている。それを止めたいんだ」


「なんだかアメリカの映画みたいでおもしろそうじゃん」


フライドポテトもモグモグしながら答える僕を見て「ずいぶん他人事ね」と瓊子が呆れているが、他人事と言われてもいまいちピンと来ていない。

自分がクローンだなんてどうやって信じろと?


「その企業の名前はグランシャリオ・アソシエーション。もともと半導体のメーカーとして7人で立ち上げられ、いまでは200人以上の社員がいる」


日本では急激な人口減少に伴い、政府からの要請もあって各メーカーによるロボット制作が進んだ。

グランシャリオもこれに携わったことで大きく成長を遂げた。

駅前の防犯対策用ロボや施設内にいる警備用ロボ、ビルの清掃用ロボなどが次々に作られ、今後は農業用ロボや医療向けのロボも開発が進む予定だ。

当初は批判的な意見も飛び交っていたが、盗撮や強盗、落書きが年々減少し、人手不足も補えたことからいまでは多くの人の役に立っている。


瓊子が続く。

「そこで社長を務めているのが私のパパ、九十九 正道せいどう。雪平の親も役員よ。10年前に新羅くんができたことで味を占めたパパは、半導体だけじゃなくクローンにも力を入れるようになった。全国的に人型クローンを配置して会社を大きくしようとしている。もちろんクローンを作っていることは違法だから非公表にしてるけどね」


罪と知りながらも会社の利益のために実行し続ける故意犯。

犯罪に手を染めていることを知らずにしているよりもタチが悪い。

ましてやそれが自分の親で会社のトップにいるなんて娘からしたら赦せないだろう。


僕がどうしてそんなことを?と訊こうと思ったが、その前に凪が質問した。

「利益のためか?」


「えぇ。人手不足で困っている自治体に人型クローンを置くことで多くのお金やモノが動きその土地を活性化させマージンをもらうのが狙いよ」


「建前上はそう言って正当化してるけど、実際は人の姿をした操り人形マリオネットだ。その土地の生まれという風に脳内のマイクロチップに植えつけて、子供を産ませて、将来的にグランシャリオの信者にしたいんだろう」


(ちょっと、そんな言い方したら新羅くんが……)


小声で禮央に注意していたが、店内がちょうど静かになった瞬間で丸聞こえだった。


「ごめん、そんなつもりじゃ」


「いや、いいんだ」


これだけ言われてもまだ自分がクローンであることを受け入れることができていなかった。

証拠があれば受け入れられるとかそういうことじゃなく実感がない。

きっと時間とともにじわじわと感じていくのかもしれない。


「雪平もこの計画に賛同してると思ってたのに、私が来るまでまったく進んでなかったから我慢できずに転校してきたの」


「皓月と仲良くなるにつれてどんどん情が入ってきて、真実を知るのがこわかった」


「気持ちはわかるけど、本人にたしかめないことには前に進まないじゃない」


「証拠がない状態で友達に尋問みたいなことをしたくない」


禮央とは高二のときに同じクラスになった。

はじめは全く接点なかったし正直とっつきにくい印象だったけれど、話しかけてみたらけっこう良いやつで、音楽の趣味も合うし、頭も良かったからテスト勉強(ほぼノート丸写しだが)を介して仲良くなった。

仲良くなりたてのころ、図書館で「クローンとかAIについてどう思う?」とか、「もしクローンが実在したとして、それが日本全土に広まったとしたらどうする?」と言った質問をされていたが、そんなこと考えたこともなかったのでただただ戸惑っていた。


再び禮央が口を開く。

少し重い表情で。


「皓月がクローンだということを知ったのは中学生のとき。ある日突然瓊子からDMが飛んできた。俺の母親の務めるグランシャリオという会社の社長の娘で親が人型クローンを量産しようとしてるって。当時は面識なかったし詐欺さぎか何かかと思って無視してたんだけど、何度もしつこく連絡くるから一度だけ会ってみようと思った。そこから何回か顔を合わせるようになって話していくうちに信憑性しんぴょうせいが増した。計画を止める話を訊いたときは正直無謀むぼうだと思ったよ。俺たちだけでどうこうできる問題じゃないし、自分の親がクローンを作りに関与してるなんて信じられなかったから。俺の家も瓊子の家同様あまり家族の仲が良くないから親に直接問いただすことはせず、2人で証拠をつかむ選択をした」


「私はこっちで証拠を探してたから、雪平には新羅くんと接触して彼がクローンであることを受け入れてもらうために話すようにお願いしたの」


「そのために皓月と同じ高校に入った。最初は違うクラスだったから周囲の人に訊きながらどんな人なのか情報収集をしてた。この計画には皓月にSNSで証言してもらう必要があるんだけど、クラスが一緒になって皓月と仲良くなるにつれてどんどん訊きづらくなってタイミングを失った」


「おまえらスパイかよ」


鋭い口調でそう言う凪の表情がいつになくけわしかった。

空気が一気にピリつく。

こんなこわい顔をした親友を見たのははじめてだ。


「纐纈の言う通りだ。スパイみたいなことをしてすまない」


申し訳なさそうに深々とお詫びする禮央を見て胸が痛くなった。

正直僕は1ミリも恨んでないし怒ってない。

もしその感情をぶつけるのだとしたらそれは2人じゃないから。


「でも時間が経つにつれてだんだん自分の目的がわからなくなってきた。俺たちのしていることは正しいのかなって。友達を傷つけてまでやるべきことなのかなって。そんなことを考えていたらいろいろなことが嫌になって情報をシャットアウトしたくなった」


思い返してみると、出会ったころの禮央はヘッドフォンをしていなかった気がする。図書館でクローンについて訊かれたときもしていなかったが、いつしか毎日してくるようになっていた。

そのころから昼休みも1人で過ごすようになった。

きっと自分のしていることに対してだけでなく、誰かと接することで傷つけてしまうことがこわくなってしまったのかもしれない。


「1つ訊いてもいい?」


「何?」


「僕がこの出海西高に入ることを2人はどこで知ったの?」


禮央と瓊子が一瞬目を合わせた後、

「私が答えるわね。それはあなたのお爺様よ」


爺ちゃんが?


「生前、お爺様はよくウチに来てパパとあなたの話をしてたわ。子供だからわからないと思ってリビングで話してたけど、年を重ねるにつれて話がつながっていくのがわかってゾッとした」


具体的にどんな話をしていたのかは訊かないようにしたが決して良い内容ではないことはわかった。

詳細を訊けば爺ちゃんのことが嫌いになってしまうかもしれないから。

何がきっかけで僕を作ったのかはわからないけれど、自分が母親のお腹から産まれてきていないことがいまだに信じられない。

僕は昔から記憶が曖昧なところがあって、とくに幼いころの記憶はほとんどない。

ただ不思議と椎名と過ごした半年間の記憶だけは鮮明に覚えている。


良い機会だから穴埋めをすることにした。

瓊子が転校してきた初日、放課後の教室で禮央と話していた内容について。


ー「ちょっと、どういうこと?」


「何が?」


「何がじゃないわよ。全然進んでないじゃない。このままいけば多くの『クローン』が『産まれて』しまうのよ」


「わかってる」


「本人に協力してもらわないと話が進まないの。一言依頼するだけでしょ?」


「簡単に言わないでくれよ。いろいろタイミングがあるんだ」


「私がお願いしたとき協力してくれるって言ってたよね?」


「わかってるよ。でもな、『皓月』の気持ち考えたら」


「そんなこと言っていたらもっと多くの被害者が出るのよ?それでもいいの?」


「なら、『皓月』にはなんて説明する?」


「それは準備が整ったらちゃんと話すつもり。こっちはこっちで動くから、そっちもお願いね」


あのとき2人は僕のことやクローン計画について話していたようだ。

もっと話す場所あったろ。


「九十九さんが転校してきたのはこの計画を止めるためか?」


静かに聞いていた凪が表情を変えずに質問する。

小学校時代からの友人がクローンと訊いていまどんな気持ちでいるのだろう。


「えぇ、そうよ。あと、瓊子でいいから。自分の苗字嫌いだし」


「それで、どうやって止める?」


「まずは証拠を集めた後、SNSで人型のクローンがいることを拡散し認知してもらう。もちろん新羅くんと特定されないように細心の注意を払うけど。その後パパの会社名を公開して、証拠を警察に渡して計画を止やめてもらう」


「いきなり会社を出しても信じてもらえないからか?」


「そう。証拠もなしに投稿したらただの会社否定になっちゃうし、計画を止めさせるためには証拠を持った上でクローンがいることを広めるの」


「ただこれには問題があって、俺たち高校生が見せる証拠を信じてくれる大人がいるかどうか。そして万が一、皓月のことが特定された場合、皓月自身にどのような影響が出るかわからない」


正直自分がクローンであることをまだ受け入れていない。

いままでの僕の人生を否定された気がするから。

でも、こればかりはやってみないとわからない。


「俺は反対だ」


「纐纈くん」


「友達が苦しむ姿を見たいと思うやつがいるかよ。それに皓月だけじゃなく皓月の家族の生活が一変してしまう可能性だってある。そんなリスクがあるのに協力なんてできない」


「友達思いなのはわかるけど、新羅くんと同じような人がこれ以上産まれないためには私たちで止めないと」


「俺は友達を傷つけたくない」


男同士は普段こういうことを言い合ったりしないから照れくさい。でも、こんなにも思ってくれて友達がいることを再認識できて嬉しかった。


「凪、ありがとう。でもこれはやるべきだと思う」


「正気か?」


やっぱりクローンを作るなんて間違っている。

どうなるかはやってみなきゃわからないし、生きていればなんとかなる。

もちろん被害はまったくないほうがいいけれど大きくなってからでは遅い。だったら小さいうちに収めるべきだ。


「なにかあったらすぐに言ってくれよ。皓月はすぐ突っ走るから」


「纐纈くん、新羅くんありがとう」


「俺のおじさんのことをずっと嗅ぎ回っていたのはこの計画のためか?」


「えぇ。悪いけど纐纈くんのこと色々調べさせてもらったの。あなたのおじさん警察官なのよね?」


纐纈 いさみ


凪のお父さんの兄にあたる人で警察官をしている。

小学生のころたまに遊んでもらっていた記憶があり、「いっさん」という愛称で呼んでいた。


「たしか現警視長で次の警視総監候補と訊いてるけど、合ってるかしら?」


「えっと……」

役職を言われてもまったくピンとこない。

話の腰を折ってしまったことは申し訳ないと思いつつも、いっさんがどのくらいの立場の人なのか気になった。


「新羅くんって刑事ドラマとか見なさそうだものね」


さらっと失礼なこと言われたんだが。

相棒とか科捜研の女とか一応見ていたし。

あと警視庁・捜査一課長も見ていたから課長が偉いってことはわかる。


「警視総監が警察官のトップで、警視長はその次だ」


凪に言われてなんとなくわかった。

要は二番目にえらい人ってことだろ。

いっさんすごくね?


「証拠ならもうつかんでる。だから協力してくれるか交渉してほしいの」


「交渉はしてみるが、その拡散する人は見つかってるのか?」


猜疑心さいぎしんに満ちた様子で問いかける凪。

自分が関わることで友達の人生が変わってしまうかもしれない。


「大丈夫。そこは知り合いにお願いしてあるから」


この計画を完遂するには大人の協力はマスト。

警察の偉い人や影響力のある人が協力してくれるとなれば一気に話が進むという算段らしい。


急にサスペンス映画みたいで楽しくなってきた。

なんだか刑事になった気分だ。


「皓月、なんでそんなにワクワクしてるんだ?」


「一度刑事ドラマみたいなことやってみたかったんだよ」


「言っとくけど皓月は刑事役にはなれねぇぞ」


「マジ?」


「マジ」


「どっちかって言うと刑事に守られる側だな」


「なんだよー」


それじゃあ話が違う。

僕は◯◯時◯◯分と時間を言いながら犯人に手錠をかけたかったのに、一気にやる気がなくなった。


「あなたって本当に緊張感のない人ね」


「まぁなんとかなるっしょ。ほら、同じ意味で『種子島たねがしま』みたいなニュアンスの外国の言葉あるだろ?あれだ」


「ケセラセラな」


「いまのでよくわかったわね」


全然近くない言葉を自分で言っておきながらよくわかったなと凪に感心していたが、それ以上に感銘かんめいを受けている様子の瓊子だった。


「やっぱりみんなにも証拠を見せた方がいいわね。いまからウチに来てくれる?」


そう言って席を立った。


ー瓊子に連れられてやってきたのは出海町から少し離れた富裕層の住む高皇町たかみまち

事件なんて一年に一度も起きないのではないかというくらいで閑静かんせいで美しい街並み。

街行く人はみな高そうなものを身に纏い、日傘を差しながら犬の散歩をしている。

レストランなのかホテルなのかわからないようなオシャレな建物が軒を連ね、高級車が数多く止まっている。

経営者や芸能関係の人しか住めないような雲の上の世界。

そんな一等地の奥に一際大きくそびえる白い一軒家がある。


表札には『九十九』の文字。

巨大な門扉もんぴを開くと姿を表す広大な庭。

エントランスの駐車場には何台もの外車が並び、二階にはパラソルも見える。

そこにはきっとベンチがあってプライベートプールがあるのだろうと想像を膨らませる。


「入って」


玄関には人の気配がまったくなかった。

ペットや家政婦がいそうな高貴な空間なのに、なんというかどこか寒くて空虚くうきょな感じがした。

一瞬迷ったけれど、知っておいて損はないと思ったから訊いてみた。


「あの、言いづらかったらいいんだけど、家族は?」


「……私とパパだけ」


なんだろう、光が当たっているのにどんより暗くて胸の奥がざわついてもどかしい感じ。

僕と妹の関係とは違ういびつ混沌こんとんとした感じ。


「パパは昔から仕事第一で、ママや私との時間なんて作ろうとしなかった。それは私が小学校に入ってからも変わらなくて、運動会や学芸会、授業参観の日がいつかも把握していなかった。私の誕生日やクリスマスだって何もなかった。家族3人でご飯なんて食べた記憶なくて、いつも仕事ばかりしてた。家に帰ってこない日もたくさんあったからきっと他に女がいたんだと思う。中学卒業と同時にママと別れてから少しは変わるかと思ったけど、相変わらず仕事のことしか頭になくて、普段の私のことなんて何も知らないし興味すら示さない。おかげで自由に動けてるけど」


こんな広い家に父親と2人。

会話もなくすぎていく時の流れは一体どんな感じなのだろうか。


「ちなみにママは田舎に帰って、いまは新しい男性と幸せに暮らしてるみたいだから安心して」


気になって訊こうとしていたことをみ取ってくれた。

気まずくならないよう笑顔でそう言ってくれたが、口角を無理やりあげているところを見るに本当は家族3人で過ごしたかったのだろうと予測した。


そこから何も言わないままリビングに向かうと、何畳あるんだといわんばかりの広い空間に見たこともないような大きなソファとアイランドキッチンが中央にあった。

こんな家に一度は住んでみたいと思いながらも我が家の現実と比較してしまう。


「こっちよ」


二階にある父親の部屋の前に着くと、そこには〝SEIDO〟と書いてあり、高そうな石で彫られていたが、僕にはその価値がまったくわからなかった。

指紋認証で開く父の部屋を瓊子が開けると、部屋の中にはそこには難しそうな本がたくさん並び、大きな観葉植物や高そうな絵が飾られていた。


「これ、蟷螂子かまきりこだよな?こっちはアナスタシア・スコップ。すごい、生ではじめて見た!」


壁に飾られていた絵を見ながら目を輝かせている。

こんなテンションの高い禮央を見たのははじめてだ。


「禮央って絵、詳しいんだな」


「絵はその人の心を投影とうえいする。見る人の状態によっても見え方が大きく変わるから面白いぞ」


そう言われても禮央以外誰も絵のことを知らないから返しに困った。

デスクに置かれている1枚の写真を見ると、白衣を着た男女数人が笑顔でピースサインをしている。


「この人たちは?」


「あなたを作った当時のメンバーよ」


グランシャリオは約40年前、半導体メーカーとして企業し、その後、日本人の人口減少を解消するため20年ほど前にはすでにクローン生成計画があったそうだ。

瓊子の父親が社長になってからというもの、利益追求思考に変わり、半導体を作りつつもクローン作りが本格化していて、公表はされていないがクローン計画専用のプロジェクトチームもあるそうだ。


「この真ん中にいる人が私のパパで社長の九十九 正道。その横にいるメガネをかけた女性が雪平 かおるさん。表向きは総務部の部長をしているけどクローン計画のプロジェクトメンバーの1人でリーダーをしてる」


近年、海外では体内にマイクロチップを埋め込む人が増えてきていてそれは世界の人口の半数近くまで増えつつある。

指と指の間に埋め込むことでICチップの役割を果たし、財布やスマホというものが不要になり、ネット回線を通じて買い物ができたり動画が見られたりする。

しかし、日本ではまだまだ抵抗感があり、身体に及ぼす影響を懸念したり個人データの漏洩ろうえいを恐れている人も少なくない。

このグランシャリオはこのマイクロチップの制作も手がけているそうだ。


「ここにパパが書いたレポート用紙があるの」と言ってにデスクの裏にある隠し扉を開けるとそこには頑丈な金庫があった。

どこで番号を知ったのか、ダイヤルを数回回すとカチャッという音と同時に金庫が開くと、瓊子の言う通りそこにはクリアファイルに入ったレポート用紙があった。


表紙には『|Popular Increase Project《ポピュラー・インクリース・プロジェクト》(人口増加計画)』と書かれていた。

その表紙を見て寒気がした。

人口増加計画って意図的に人を増やすってこと?


ページをめくると、

『いよいよ日本の人口は1億人を切った。数十年後には日本人は減少し続け、いずれ日本という国は衰退すいたいしていき、外国からの借金も増え続けるだろう。政府が打ち出した子供政策も効果がなく若年層は減っていく一方だ。だから我々が結婚や出産というものに価値を見出さなくなった若者への対策を講じる必要がある。そこで目をつけたのが人工的に人口を増やすことだ。人と人が愛し合い出産し子育てをすることが理想だがそれでは時間が足りない。もっと効率よく数多く産んでもらう必要がある。いまの若い子たちに結婚や出産に対する価値を見出してもらうことでひとつの解決策となるはずだ』


次のページをめくる。

『我々は密かにプロジェクトチームを立ち上げた。この計画を“Popular Increase Project(通称PI計画)”と呼称し、クローン生成を現実のものとする。そのために対象者を集め、脳内に専用のマイクロチップを埋め込み、リアルな人間と同じような生活ができるのか、結婚や出産に対して意欲的になるのかなど検証する必要がある。なお、この計画は未来永劫えいごう日本が存在するための人口増加計画であり、延命行為ではない。また、クライオニクス(人体冷凍保存)の処置が叶わず死亡が確定している人体に限って行うため、慎重かつミスなく行う必要がある』


「数年前から一部の国では自分の身体を冷凍保存したいと希望する人が増えているそうだ。本来は延命や治療の一環だったんだが、最悪脳みそさえ残しておけば『新しい自分』でいられると思っている人も少なくないらしい」


流転るてんするという考えはなく、生前とまったく同じ身体で同じ存在として蘇りたいと希望する人が増えていて、その数は年々増えているの」


少しでも延命したいと願うことは賛同できる。

誰だって死ぬのがこわいから。

でも転生となると話は別。

人生何度もやり直せたらいまを生きている意味はどこにあるのだろう。

些細なことに傷ついて落ち込んで、小さなことに喜びを得て、誰かに対して怒ったり泣いたり、友達とバカなことして笑いあって、好きな人にときめいて。

そういったかけがえのない瞬間があるから生きていると感じる。

その価値はいまこのときしか味わえないから。


再びレポート用紙に目を通す。

『専用マイクロチップの作成と量産に成功し、順調に行っていた計画も数ヶ月が経ち行き詰まった。海外から対象者を集めるのはいろいろとリスクがある。ただでさえオフィシャルにできない上、この計画は莫大ばくだいな費用がかかる。半導体で売り上げた費用だけでは正直足りない。予算を抑えるため、日本で冷凍保存されている人はいないのだろうか……調べた結果、ここ出海町にそれはあった。とある施設の地下に冷凍保存されている人体がいくつかあるようだ。私は数人の知り合いにお願いしたがこんな馬鹿げた計画はないとすべて断られた。しかし、この計画が成功すれば多くの人が救われる。日本が豊かになれば国民も豊かになる。そのためには日本人の数を増やす必要があるのだ。手詰まりかと思えたとき、1人の強力な支援者が現れた』


僕はこの後の文字を見て戦慄した。


『出海町の地主をしている新羅 河勝こうしょうさんだ。彼の支援により我々の研究は一気に前進した。冷凍保存されている彼の孫である新羅 皓月くんを必ず蘇らせることを条件に』


爺ちゃん自ら依頼して僕を作らせたってこと?

一体どうして?何のために?


『地主である河勝さんは顔が広く、我々グランシャリオのPI計画を耳にしていたことで依頼が来た。本当は出産のできる女性で試したかったが、まずは人型クローンの生成を成功させる必要がある』


この人の言っていることにまったく賛同できなかった。

自分の理想を固辞こじつけして正当化しているようにしか思えない。

僕はそんな人たちに作られたっていうのか。

ダメだ、感情的になったら頭痛がしてきた。


次の文章には例の手帳について記載があった。


『河勝さんから依頼を受ける際、彼が大切に持っていた手帳を一度だけ見せてもらったことがある。そこには生前の孫(本当の新羅 皓月)との思い出の記録が残されていた。河勝さんによると、彼が亡くなったのは4歳のとき、その日は雪が降った後の日で路面が凍結していた。彼の両親が旅行に行くため、河勝氏と奥様の家に彼を預けていた。先日の雪にテンションが上がった彼は外で走り回っていたとき、2人が目を離した隙にすべって頭を強く打った。助かる可能性が極めて低いことを知った河勝さんは、知り合いがやっている冷凍保存治療をしている施設に連れて行った。そこから数年、彼の状態は一向に良くならないなかクローン生成のことを知ったという』


当時の会話の記録として、こうも書かれている。


『ある日河勝さんが手帳を不注意で落としてしまったことがあり、そのとき親切に交番に届けてくれた人がいたそうだ。名前はわからないが、彼が取りに行くと黒い中型の一匹の犬がいた。その犬に吠えられたが、あまり気にすることなく、大事な手帳が戻ってきて安心したそうだ』


「これって⁉︎」


「凪、どうした?」


「この犬、ネロのことだ」


「そうなのか?」


「実はネロ、捨て犬でさ。ちゃんとえさも与えられてなくてすごく痩せ細ってた。偶然にも勇さんその交番に勤めていたときにネロを見つけてその日に俺が育てることになって引き取ったんだ」


凪のいとこのいっさんは以前、交番勤務していた時期があると言っていた記憶がある。それはまだ凪が小さいころだった。

きっとネロはこのときにいっさんたちが手帳の中身の話をしていたことを聞いていて、それを伝えるために吠えていたんだろう。


その次の文章を読んで吐き気をもおよした。


『結局彼は助からなかった。しかし貴重なデータを取れる良い機会だ。諦めるわけにはいかない。元となる新羅 皓月くんの皮膚や体細胞、遺伝子などありとあらゆる情報を取り出し生成すること数年、ようやく新しい新羅 皓月が誕生した。見た目はまったく一緒。人類初の人型クローンの完成だ。彼の成功事例をもとにこれから多くのクローンを作ることができるだろう』


僕はこのことを知らないまま毎年会うのを楽しみにしていた。

爺ちゃんが亡くなった去年の冬も人目をはばからず号泣した。


人を実験台にして会社を潤そうとしているグランシャリオも自分の後悔を強引に消し去った婆ちゃんもどうかしている。

本当にどうかしている。

それにこのことを父さんや母さんは知っているのか?

爺ちゃんのことだから有無を言わせなかった可能性もあるけれど、本当の僕は父、海登かいとと母、愛香まなかの子だぞ?

そんな強引なことが容認されて良いのか?


『新しい新羅 皓月ができてから数週間が経ったがひとつ問題が生じた。マイクロチップが脳内の神経細胞と干渉すると、彼の身体に何かしらの影響を及ぼすことがわかった。おそらく他の強い刺激によるものだろう。心理状態や健康状態によってさまざまではあるが、それも含めてマイクロチップから多くのデータが取れる。今後より性能の高いクローンを生み出すうえで非常に良い参考資料となるだろう』


「たまに頭痛がするのはあなたの脳に埋め込まれているこのマイクロチップの影響だと思う」


瓊子の言葉で合点がいった。

記憶を辿ってみると、感情的になったときやドキドキしたときなど頭が痛くなることが多い。


レポート用紙はここで終わっていた。


「これが証拠よ」


「畜生だな」


凪の言葉遣いが荒いときは感情的になっているときだが、こんなにも怒っている姿ははじめて見た。


「だから止めたいの。こんな馬鹿げた計画を」


瓊子の言いたいことはわかった。

でも、いきなり自分がクローンだなんて言われてもすぐには信じられない。


「1ついい?」


「何?」


「この話が本当なら僕ができたのは10年前の7歳のときだよね?いまもその計画が進んでいるなら僕以外にもクローンがいてもおかしくないんじゃない?」


「新羅くんのデータをに他にもいる可能性はあるわ。だから急いで止めないといけない」


「皓月のようにクライオニクスでもダメだった子に親が一縷いちるの望みをかけてグランシャリオに依頼したケースもある。もちろん、誰にも口外しないことを条件に」


もしかしたらこの世のどこかに僕と同じようにクローンとして産まれたことを知らずに生きている人がいるかもしれない。

もしそうなら本当のことを伝えるべきなのだろうか?

もしかしたら知らないまま生きている方が幸せな場合もある。


死後3年後に作られた僕は若い頃の記憶が曖昧だった。

4歳から7歳までの記憶が全くないのは、単に頭が悪いわけじゃなくてそもそも存在していなかった。

でも、もしこの文書が本物だとして、こんなのどう理解しろっていうんだ。


17年間ヒトとして生きてきたはずの僕がクローンで、脳内のマイクロチップからデータを収集されているのだとしたら、意志すらもコントロールされている可能性だって拭いきれない。

彼らにとっては僕の人生そのものがサンプルなんだ。

だとすると、いままでの僕がしてきたことがすべて筒抜けということになる。

誰かを好きなり、誰かと喧嘩をし、何かに対して怒ったり泣いたり恥ずかしい思いをしたこともすべて。

怒りよりも恐怖心が勝った。

この感情はどこに向ければ良いのだろうか。


凪は勇さんこといっさんに見せるため、瓊子にこのレポート用紙をコピーさせてもらうようお願いしていた。



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