『人型クローンを作っている企業が日本にいる』
この投稿がSNSにアップされたのは瓊子の家に行ったすぐ後だった。
世間はまだMellowDearz.の元メンバー小椋 純恋と有名声優の不倫報道の波で騒いでいるときで、投稿者の登録者数が多くないこともあってそこまで大きな騒ぎにはなっていなかった。
一体誰がこんな投稿をしたのだろうか。
放課後、僕は瓊子を呼び出して動画を見せた。
「なにこれ⁉︎」
瞳孔が開いたまま驚いた様子でいる。
投稿者のアカウントを見てさらに驚いた。
「知ってるのか?」
質問に答える前に電話で誰かと話し出した。
「鍵開いてるからリビングで待ってて」と言って通話を終えると、神妙な面持ちで「これから時間ある?」と訊かれたのでとくにないと答えた。
「じゃあついてきて」
そう言ってとある場所に足早に向かった。
相変わらず説明不足なやつだ。
状況を説明してくれ。
言われるがままついていくとそこは瓊子の家だった。
この前行ったばかりだぞ。
もしかして、告白?
ちょっと待ってくれ。
心の準備がまだできてない。
たしかに瓊子は美人だが僕には椎名という心に決めた人がいる。
申し訳ないが断ろう。
リビングに向かうと、そこには髪が長く、すらっとしたとても綺麗な人がいた。
「瓊子ちゃん」
瓊子と目鼻立ちはあまり変わらないのに何なんだこのとてつもない大人の色気は?
細い手足なのに出るところは出ているからか?
「この人は?」
「
「イボシマイ?」
どこかの米の名前か?
「パパはママと出会う前、違う人と結婚してたの。その人の写真見せてもらったことあるけど、韓国出身のすごく綺麗な人だったわ。そのときの子供が紫萌さん」
「あなたが新羅 皓月くんよね?会いたかったわ」
清楚でありながらどこかミステリアス。
これだけ色気のある人と目を見て話すなんてあと何十年かかるわからないくらいに緊張する。
僕の存在をたしかめるため前
「ちょっと、新羅くん。紫萌さんのことをいやらしい目で見ないでくれる?だいぶ気持ち悪いから」
蛇のような鋭い目で睨まれた。
「あら?実物はけっこうかわいい顔してるじゃない。彼女はいるの?」
「いえ、いません」
そんな特別な存在を作ってしまえば相手を悲しませてしまう。恋人がクローンだと知ったら特別な思い出も時間も真っ暗な
「紫萌さん、
「なに瓊子ちゃん、この子のこと好きなの?」
「いや、まったく」
そんな食い気味で否定されると傷つくんですが。
「ってか高校生の前でそんな
服の問題ではなくこの人の問題な気がする。
ほとんど露出がないのにこの妖艶さは罪でしかない。
「もう、そんな言葉どこで覚えたの?でも大人の魅力に気づいてくれてお姉ちゃんは嬉しいわ」
「今日はそんな話しに来たんじゃないでしょ?」
「もう、相変わらず真面目なんだから。もう少し肩の力抜かないと彼氏ができても重荷になっちゃうわよ」
「う、うるさいな」
瓊子はどこか紫萌さんに弱い。
弱みを握った気がして心の中で小さくガッツポーズをする。
「これ、紫萌さんでしょ?」
例の投稿動画を見せる。
アカウント名は『星 のえか』という金髪に青い瞳をしたショートカット美女。
AIで生成されたキャラクターらしいがリアルと遜色ないくらいの見た目と動きをしている。
それにしても、どこか瓊子を
「わかりやすかった?」
「うん、ものすごく」
「そう?ひねったつもりだったんだけど」
「だって、KANOE SHIHO(カノエ シホ)を入れ替えると、HOSHI NOEKA(ホシ ノエカ)でしょ?」
「瓊子ちゃんすごい!ご明答!」
緊張感のない紫萌さんに対し、はぁ〜っと深いため息をつく瓊子。
「ってかこれ私に似てない?」
「瓊子ちゃんよりちょっと色っぽくしたつもりなんだけど」
「いや、そんなの求めてないし」
「これは今回の計画を止めるために作ったアカウントよ?変に加工したらフェイク動画だと思われちゃうじゃない。だから身近にいる人を参考にさせてもらったの」
「にしても身近すぎるし」
知り合いの拡散する人って紫萌さん本人だったんだ。
「それより、どうして投稿したの?まだ証拠が集まってないはずよ」
「不測の事態が起きたのよ」
紫萌さんの話はこうだ。
瓊子の父、九十九 正道の異母姉妹である紫萌さんは簡単な面談でグランシャリオに社長秘書として入社した。
ある日社長室で書類の整理をしているとき、とある書類を見つけた。
それはなにかの誓約書だった。
たくさんある中の一枚だったため、そのときはあまり気に留めてなかったようだが、後ほど見返してみると『生前の記憶』とか『脳内のマイクロチップ』という言葉を目にし、それがどうも気になったそうだ。
後日もう一度たしかめようとしたがそのときはもう見当たらなかった。
それから色々調べていたら違法であるクローンを作っていることがわかった。
「自分の親が不正を働いていて、しかもその会社のトップだなんて知って黙っていられる?」
たしかに父さんや母さんが不正をしていて、それを黙って見ている人は薄情な気がする。
親だけじゃない。友達が同じことをしていてもそれを赦せる人はいないだろう。
同時期に瓊子も自宅であのレポート用紙を見つけた。
直接問いただしてもきっと良い答えが返ってこないことをわかっていたので紫萌さんに相談したら話がつながったようだ。
「これはグランシャリオ社内の問題だからあなたたちセンシティブな世代の子たちを巻き込むわけにはいかないって言ったんだけど、この子全然聞かなくて」
もしこの事実を知らないまま普通の学生として生きていたら、僕はこんなに悩まなくてよかったんじゃないかと思った。
「私のパパが関わってるのを黙って見てるなんてできない」
きっと紫萌さんなりに瓊子に及ぶリスクを案じてのことだろうけれど、どっちも自分の親の不正を正したいのだ。
そこからさらなる情報収集をしていたとき、禮央の親も関わっていることを知り、彼もこの計画阻止に加わった。
しかし、その誓約書だけが見つからないままいまに至った。
「ようやくその誓約書の
「だから投稿したの?」
「そう、場所はわかってる。あとは手に入れるだけ」
「普通手に入れてからじゃない?もしこのまま誓約書が手に入らなかったらどうするの?」
「安心して、それはいまから手に入れるから」
だから先に投稿して拡散させるまでの時間を作ったってことか。
紫萌さんの車に乗って向かった先は瓊子の家から15分ほどのオフィス街。
高層ビルが多く立ち並ぶその一角にそれはあった。
「ここって?」
オフィスのエントランスには北斗七星をモチーフにしたマークがあり、『株式会社グランシャリオ・アソシエーション』と書かれている。
瓊子も来たのははじめてのようだ。
そうだろうな、高校生が企業に来る機会なんて会社見学のときくらいだし。
受付でゲストカードを渡され中に入っていく。
数人のスーツを着た人たちとエレベーターや廊下ですれ違ったが、定時後の時間ということもあり人はまばらだった。
時折こちらを振り返り、学生がいることに怪訝な表情を浮かべる人もいたが、その都度瓊子が「こんにちは」と笑顔で挨拶していた。
僕と違って瓊子は世渡り上手なのだろう。
たどり着いた先は社長室だった。
一度左右を確認した後、紫萌さんがカードキーで中に入る。
「ねぇ、こんな堂々と入って大丈夫なの?」
小声でそう言う瓊子はどこか不安そうだった。
「私、社長秘書よ?」
「そうじゃなくて」
秘書とはいえ、勝手に入っていいものなのだろうか。
「今日お父さんは出張で戻ってこないからいまがチャンスなの」
紫萌さんが社長のデスクの後ろの壁に立てかけられている高そうなアートの1つをずらしてボタンを押すと、横にあった棚がゆっくりと動き、新たな部屋が現れた。
中にはディスプレイ付きの大きな金庫があった。
そのディスプレイには『あと3回』と表示されている。
「ここに誓約書が?」
「たぶん」
「たぶんって」
「どこ探してもなかったのよ?もうここしかないじゃない」
この人はいつもこうなのだろうか。
瓊子が少し苦手にしている理由がわかった気がする。
「瓊子ちゃん、開けられる?」
「えっ?」
「この金庫、指紋認証と暗証番号の2つが必要なの」
すごいセキュリティーだな。
「順番は?指紋認証から?暗証番号から?」
「わからない」
「えっ?」
「だってぇ、こんなの触る機会ないし」
いや、そんなふくれっ
この人は打算でやっているのか天然なのかわからなかったが、振り回されている瓊子に少し同情した。
「ちなみにこの金庫、ロック解除を3回間違えると警報音と同時にセキュリティー会社と社長に通知が行くシステムだから気をつけて」
マジですごいセキュリティーだな。
ってかなんでそんなこと知ってるんだろう?
「前に私が試したときは全部ダメだった」
すでに経験済みだったんですね。
「まぁとりあえずやってみましょう」
この人、軽い口調でとんでもないプレッシャー与えるじゃん。あと、無責任。
まずは指紋認証から。
どの指でやればいいのだろう。暗証番号のことも考えると、ここで間違えると苦しくなる。
さすがに小指はないだろうから、親指か人差し指あたりが妥当だが、左右で指紋が違うため慎重にいかないといけない。
そんなことを考えていると、瓊子が迷わず自宅の金庫と違う指で
「この前、こっそりパパの指紋採っておいたの」
用意周到な彼女な感動し、「すげー」と言いながら拍手する。
紫萌さんも同じように拍手をし、彼女はどこかむず痒そうにしていた。
あとは暗証番号。
三桁なのか四桁なのかもわからないし、暗証番号のパターンなんていくつあると思ってるんだ?
「瓊子、暗証番号は心当たりあるか?」
「わかるわけないでしょ」
なぜ怒られた?
1回目、2回目ともに暗証番号が違った。残すはあと1回だけ。
次間違えれば社長に通知が行ってしまう。
そうなればこの計画を止めようとしていることがバレてしまう。
瓊子が試した数字と紫萌さんが当時試した数字以外で思い当たる数字を必死に考える。
……もしかして⁉︎
閃いた僕は瓊子に伝えると、
「そんなわけないでしょ。次間違えたら終わりなのよ?真面目に考えて」
「じゃあ他にあるのかよ?」
一瞬だけ感情的になってしまって頭痛がした。
「ないけど」
一か八か僕の言った数字(9109)を押してもらうと、画面上に解除と出て簡単に開いた。
「ほら言ったじゃん」
「もう、なんでこの数字なのよ」
九十九の漢数字9109というなんとも安易な数字だった。
金庫の中には1枚のファイルが入っていた。
「あった」
「これが当時の誓約書」
爺ちゃんと瓊子と紫萌さんの父親が結んだおそろしい誓約書。
甲と乙とか普段目にしない文字が並んでいる。
「拝借
「ちょっと紫萌さん」
「瓊子ちゃん、これ全部コピーして」
「えっ?」
「こんな時間まで高校生を連れ回してたらあやしまれるわ。さっ、早く」
拝借というからこのまま借りていくと思い込んでいた。
きっと瓊子も同じことを思っていたのだろう。
ややこしい。
瓊子がその誓約書の写メを撮った。
「これで証拠が揃ったわ。さて、いきましょう」
社長室を出ると、こちらに気づいた1人のスーツの男性がやってきた。
いかにも仕事ができそうな見た目の人が徐々に迫ってくる。
この奥に部屋はない。
「ねぇ、こっちに来るんじゃ?」
紫萌さんに動じている様子は見られないが、こちらの心臓はすでにバクバクだ。
スーツの男性はこちらの前に立つと、明らかに怪訝な表情を浮かべている。
そりゃあそうだ。こんな遅い時間に高校生が社内にいるのだから。
「庚さん、こんなとこで何してるんですか?」
ちょっと紫萌さん、どうするんですか。
これまずい展開なんじゃ……。
「専務、お疲れ様です」
専務?この人が?
やけに若いな。
ってか専務でどのくらい偉い人なのだろう。
「トイレに行こうと思ったら人影が見えてね。その子たちは?」
「お父さ、いえ、社長の前の奥様の娘さんとそのお友達です」
瓊子は笑顔で「いつも父がお世話になっております」と
「この子たちがうちの会社に興味を持ってくれてたので社内を案内してました」
「こんな遅い時間にですか?」
「え、えぇ。色々見てみたいって言ってくれたんでつい嬉しくなって連れ回しちゃいました」
「おかげさまで大変勉強になりました。父の会社はステキですね」
満面の笑みでそう言う瓊子が僕はこわくなった。
「また見学に来たいときはいつでも言ってくださいね」
そう言って専務は去っていった。
優しそうな人だったな。
この人たちは僕のことを知らないのだろうか。