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第2話

どのくらい経ったのだろう。

死後の世界はこんなにも温かく明るいのか。

暗くて何もないと思っていたけれど意外と現世と変わらないんだ。


天井の蛍光灯が見える。

最後に椎名の顔が見たかった。声が聴きたかった。一度だけでいいから手を繋ぎたかった。

なんて叶わない願いをしながら魂が抜けていく自分を感じる。

そう思っていたとき、目の前に大きな瞳が現れた。


「し、椎名⁉︎」


いや、そんなわけがない。

ここがどこかもわかってないのに椎名がいるはずない。

きっと夢か幻だ。


「皓月くん?」


椎名によく似た声だ。

まぶたが重くてうまく目を開けることができないが、椎名にそっくりだった。

ドッペルゲンガー?

いや、そんなわけない。考えすぎた。

僕のことを覗き込むその顔は眉根が下がり不安に満ちていた。


「椎名、なのか?」


こくりと頷いた直後、彼女の瞳からは眩いもの落ちてきた。


「無事でよかった」


そう言って僕の手をぎゅっと握った。

彼女の手は少し冷たくも温もりがあった。


僕は死ねなかった。

いや、本当は生きたかったのかもしれない。

自分の存在意義を失い、生きる意味をなくしていた。

どこかで誰かに助けてほしかったのかもしれない。

こんなにも心配してくれていたことが嬉しかった反面、申し訳なさが勝ってきた。


「どうしてあんなところにいたの?」


少し目を潤ませ、心配と不安の感情が入り混じったような表情に素直に言うことができなかった。

こんなにも心配してくれている人の前で誰にも知られず寒いところで痛みなく消えられるなんて。


「いろいろあって疲れたんだ」


椎名はあの日、仕事終わりにマネージャーの忽那くつなさんとホテルに戻ろうと車を走らせていたとき、雪道で倒れている僕を見つけて病院に連れてきてくれたそうだ。

指先は凍傷していて、あと数時間あのままだったら危なかったらしい。

人に助けられて気づく命の大切さと自分の価値。

自分がクローンであるという事実を忘れさせるくらい誰かに必要とされていることが素直に嬉しかった。

ずっと手を握られていたことで体温は上昇していた。

もっとドキドキするかと思ったが不思議と気持ちはおだやかだった。


「すごく心配したんだよ。もう少し遅かったら凍死してたかもってお医者さんが……」


瞳にはまだ光るものがある。

洟をすすりながら心配そうに見つめる彼女。


「ごめん」


「皓月くんのいない人生なんて嫌。私にとって皓月くんは生きる希望なの」


本当のことを言うべきだろうか。

当時の新羅 皓月はもうこの世にいなくて、久しぶりに再会した僕はまがいもので、本人の記憶を脳内のマイクロチップに埋め込んで繋ぎ合わせているなんて。


「どうしたの?元気ないよ?」


どこまで話すべきか正直迷った。

僕はクローンで本当の人間じゃない。

君の前にいるのはまがいものの新羅 皓月なのだと。


「例のニュース、あれ、皓月くんのことだよね?」


「……知ってたんだ」


あれだけ拡散されていれば彼女の耳に入っていても無理ないか。

でも、一番知られたくない人だった。

これ以上好きになったらどうして良いかわからなくなるから。


「もう会わない方が良いと思う……」


「それ、本気?」


本気なわけがない。

ずっと一緒にいたい。

でも、彼女の将来のために、彼女が幸せになるためには僕じゃなくてまともなヒトでないといけないんだ。


「僕は、まがいものだから」


椎名の顔が一瞬こわばった。


「皓月くんは、皓月くんじゃん」


「えっ?」


「クローンとか言われてもよくわかんないけど、私にとっての新羅 皓月くんは1人だけ」


「きっとたくさん迷惑かける」


「それでもいい。それでも私は皓月くんの支えになりたいの」


人工的に作られた存在の僕は今後どんな弊害へいがいが起きるかわからない。

もしかしたら脳内のマイクロチップによっていままでの記憶を忘れてしまうかもしれないし、椎名のことすら忘れてしまう可能性だってある。

そんな状態で一緒にいるなんて許されるのだろうか。


「仮にここにいる皓月くんが本当の皓月くんじゃなかったとしても私の意志は変わらない。誰かに作られて誰かの手のひらで転がされているならそんなの私が壊してやる。だからもう会わないなんて言わないで」


こんなにも想ってくれる人がいたのに自分の人生を勝手に終わらせようとするなんて本当に情けない。

アイドルだからとか住む世界が違うとか勝手に決めつけて。


「ごめん」


「ねぇ、出会ったときのこと覚えてる?」


よく覚えている。

僕が作られたのは7歳のときで、本当の僕と椎名が出会ったのは4歳のときだからそれはいまの僕じゃない。

本当の僕の記憶は脳内のマイクロチップによって繋ぎ合わせている。

でもなぜか彼女との記憶だけは鮮明に覚えている。

一緒にプールに入ったり公園で走り回ったり家でゲームしたり。


「小さいとき引っ越しが多くてなかなか馴染めなかったの。でも皓月くんと過ごした何気ない半年間がすごく楽しくて、皓月くんといると嫌なこといっぱい忘れられるの。だから今度は私の番。私が皓月くんの支えになるから」


幼いころのたった半年間。

何気ない日常だった半年間。

それでも彼女にとってはものすごく価値のあるものだった。


「これ、もらって」


彼女がいつも腕につけていたシルバーのブレスレット。

メッセージアプリのアイコンにも映っていたものだ。


「私が好きなブランドでね、MellowDearz.メロディアスが結成された記念で買ったんだけど、なぜかこれをつけてると気持ちが落ち着くの。だから辛いことあったらこれ見て思い出して」


「そんなに大事にしているものもらえないよ」


「大事にしているものだからもらってほしいの。だから二度とこんなことしないで。皓月くんには私がいるから」


なんだろう、心の奥底から湧き上がってくるこの感情は。

嬉しくもあり切なくもある言葉にできない感情。


「ありがとう」


「もし次こんなことしようとしたら絶対許さないからね。地獄の果てまで追いかけて連れ戻すから」


本気で訴えるその瞳を見て決意する。

ブレスレットを腕につけ、もうこんなことをしないと彼女の前で約束した。



数日ぶりに学校に帰ってくると正門のところにみんながいた。

病院から両親に連絡がいき、それが凪やみんなのもとにも伝わっていた。


「あのSNSが拡散されてから嫌な予感がしてたんだ。急に学校に来なくなるし連絡もつかないし。相談もせずに勝手に消えようとすんな」


凪にめちゃくちゃ怒られた。

当たり前か。

親友って言っておいて本当に大変なときに相談しないんだから。


「まったくよ。私たちがどれだけ心配したと思ってるの」


「俺たちがいるのに勝手に自分の人生終わらせようとすんなよ。しんどいときに助けてやれないなんて辛いじゃんか」


「ホントホント。新羅くんって本当そういうところあるよね。友達だと思ってたのに悲しいよ」


椎名だけじゃない。

凪も夏海なみ昱到いくと歩風あゆかもみんな僕のことを受け入れてくれている。

嬉しすぎて感情が爆発しそうだ。


「みんな、ごめん」


「ニラコ、今度パンケーキおごりな。一番高くてでっかいやつ」


「いいね。私にもおごって」


「しょうがないから私は焼肉で我慢してあげる」


歩風だけ毛色が違うが今回ばかりは何も言えない。

この気持ちは誰にも理解されないと思って1人で抱え込んで勝手に終わらせようとしていた。

でも間違っていた。

こんなにも心配してくれている友達がいるんだ。


「皓月、俺が落ち込んでるときにライブ連れてってくれたよな?叶綯かなちゃんにも内緒で必死にチケット取ってくれて、あれめちゃくちゃ嬉しかった。だから今度は俺が返す番だ。いつでも俺を頼ってくれ。でないと親友やめるぞ」


「あぁ、わかった」


僕はこんな友達思いなやつらに囲まれていたことに気づかされた。

もう二度とこんなことはやめようと心に誓った。


「ちょっと待って」


「新羅くん、どういうこと?」


振り向くと女子2人が鬼の形相をしている。

えっ?なんで?


「あのときのライブ、妹さんが行きたがってたって言ってなかったっけ?」


「たまたまチケットが取れて、本人が体調崩したから代わりに行ったって言ってなかったっけ?」


あれ、そうだっけ?

そんな何ヶ月も前のこと覚えてない。


「どうなの?」


「新羅くん、説明して」


昱到を見ると知らん顔している。

凪は状況を読み込めていない様子だった。


「あっ、もうこんな時間だ」


「ちょっと!」


「逃げるなー!」


もう、そんな前のこと覚えてなくていいから。



椎名にもみんなにもたくさん心配かけた。

でもまだたしかめないといけないことがある。


「ただいま」


家に帰るといつになく空気が重かった。

家族全員がリビングで向かい合っているのに誰1人笑っていない。

どうしたの?と訊くと、妹が重い口を開いて説明した。

星 のえか名義によるリークが拡散したことで情報を得た妹が真実かどうか両親に問い詰めたところ自供じきょうしたらしい。


「あの、お兄ちゃん。いままでひどいこといっぱい言ってごめんなさい」


どうして妹が謝る?

急にお兄ちゃんとか呼ばれたらむず痒いじゃんか。

こんなこと言いたくはないが、そのまま辛辣しんらつな妹でいてくれた方が気楽だ。


「だって、私、その、本当のこと知らなくて……」


眼鏡を外しながら泪を拭う妹を見てどうしていいかわからなかった。

頼むから泣かないでくれ。

こんな展開聞いたことないし、受け入れられるものじゃない。


「あなたがしばらくお家を離れていたときに叶綯に本当のことを話したの。もちろん信じなかったけど」


連日報道陣が来ても妹は信じていなかったようだ。

それもそうだろう。

本当の兄は自分が生まれる前にすでに亡くなっていて、ここにいるのは『代わりの兄』で脳内のマイクロチップによって記憶がつながれていることになんて、そんなこと聞いたことないのだから。


「ずっと黙っていてすまなかった」


父さんがゆっくりと口を開く。


「本当のおまえが亡くなったとき、父さんも母さんもいなかった。目を離した一瞬の出来事だったとはいえお爺ちゃんはそれをひどく悔やんでな。何度も何度も謝られたよ。いつも気丈きじょうなお爺ちゃんのそんな姿はじめて見た。その後にクライオニクスの話を訊いてな、それには賛同した。でも延命が難しいことがわかると、お爺ちゃんは『第二の新羅 皓月』を作ることを勝手に決めていた。もちろん父さんと母さんは反対したよ。死んだ息子がかえってきたとしてもそれは本当の皓月じゃないから」


「でもお爺ちゃんは頑なだった。私たちが何度言っても皓月を再生させるって言って聞かなかった」


爺ちゃんは昔から自分の意見を通すタイプだったらしく、あの日の事故のことをずっと悔やんでいたそうだ。それの償いとして僕を作ることを勝手に依頼した。


「知ってると思うが新羅家で一番力を持っているのはお爺ちゃんだ。いまの仕事を紹介してくれたのも、この家に住まわせてももらっているのもすべてお爺ちゃんのおかげ」


「本当のことを話せばあなたはこの家を出ていってしまうのがこわかったの。だから余計な情報を入れないようSNSもやめて、あなたを自由にしてあげることでもう一度本当の家族になれるんじゃないかって」


でも結果的に僕は出ていった。

そして人生を終わらせようとした。

ずっとクローンだと知らないままだったらこんなことにはなっていかなかったのかもしれない。

もっと違うことで悩んで苦しんでいたのかもしれない。

ただこんな僕を必要としてくれる人がいる。

怒って悲しんで一緒に笑ってくれる人がいる。

それで充分だった。


「叶綯も恨まないでくれ。父さんも母さんも辛かったと思うし」


妹はいままで見たことのない複雑な表情を浮かべていた。

怒っているのか哀しんでいるのか僕には読み取ることができなかった。


「ごめんなさい。あなたをここまで追い詰めてしまって。本当にごめんなさい……」


やめてくれ、母さんの泣き顔なんて見たくない。

いつもの元気で口の悪い母さんでいてくれ。


「みんなもういいんだ。家族がバラバラになるのは嫌だし、僕はこうして新羅家の1人としてこれからも生き続ける。だからそんな顔しないでくれ」


どんなかたちであれ僕はみんなの家族だ。

だからもういい。

いまさら恨んでも何も変わらないから。

僕はいまこうして新羅 皓月として生きているし、支えてくれる人たちがいる。

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