君は8組の
あの、霊界に通じてるって噂の――
* * *
このN県J市の冬は陰鬱だ。
気まぐれに雪を散らす灰色の雲が、いつも僕たちの頭上で蠢いている。
昨晩降った重たい雪は早朝の除雪車で押し除けられ、排気ガスで染まった路肩の黒い雪と、マーブル模様に混ざり合っていた。
中学校に向かう僕の心模様も、この路肩の雪壁と同じようにごちゃごちゃだった。
ずっと好きだった
キミコさん。
それはこの中学に取り憑いているとされる、女子生徒の怨霊だ。生前はとてつもない美人で、先輩後輩問わず数多の男子生徒を虜にしていたらしい。
しかしある日、雪道で転んだ拍子に、雪に埋もれていた尖った鉄屑で顔に消えない傷を負い、それがきっかけで取り巻きからは見向きもされなくなる。
悲観した彼女はここ学校の屋上から飛び降り、やがて地縛霊となった。
それ以来、浮かばれない彼女の魂は、放課後の校舎を徘徊している。そして逢瀬を楽しむ男女を見つけては、蛇のような黒い影で女生徒に噛みつき、呪いをかけるらしい……。
呪いを受けた女子は、一週間後に目を覆いたくなるような醜い傷を、その顔に負うとのことだ。
まるでキミコさんのような……。
そんな怪異に、僕たちは出会ってしまったのだ。
「康平くん、私どうすればいいの!?」休み時間になると服部さんが席にやってきて、僕の肩をガクガクと揺する。「昨日お母さんに相談したけど、信じてもらえなかった! 先生だってきっと信じてくれないよ!」
「うーん……どうしよう……」
やはり、大人が信じてくれるわけないか。僕は頭を抱え、唸る。でも焦ったところで妙案が思い浮かぶわけでもない。
「なにそれ、サイテー……自分には呪いの害がないからって、他人事なんでしょ!?」
「そんな事ないけど……」
有名な神社とかに相談すればいいのだろうか? それともテレビで有名な霊媒師? どっちにしろ中学生の子供の話を信じてくれるかわからないし、お金だって持ってない。
「あーあ! なんで康平くんなんかと付き合っちゃったんだろ」
服部さんはでかいため息を吐いて、僕を睨んだ。
「私、本当はバスケ部の桜木先輩が好きなんだからね! でも先輩はリードしてくれるオトナな女性が好きらしいから、経験値稼ぎで康平くんと付き合ってあげたの。それだけなのに……うええええん……」
そう言って泣き出す。めちゃくちゃ暴論なのに、泣かれちゃうと何も言い返せない。女の涙ってすごい。
「絶対に責任とってよ」
「ええ……」
「かわいい私がキズモノになるかもしれなんだよ!? あんたなんかと一瞬だけでも付き合ってあげたんだから、お礼として命懸けでも呪いを阻止してよね!!」
最悪の気分だ。
でも放課後の教室の雰囲気にのまれて、唇を近づけたのは僕だ。僕に呪いの責任があるというのは、真っ当な気もする。
でも、だからと言ってどうしたら?
僕が頭を抱えていると、突っ伏して制服の袖で涙を拭っていた服部さんが顔を上げた。
「あ、そういえば……」
「あの、どうしたの?」
腫れ物に触るように僕は聞き返す。
「8組に、霊界に通じてるんじゃないかって噂の『
「はあ?」
どうしよう、何を言ってるのかわからない。
「だって幽霊みたいなやつなんだから、幽霊同士、互角に戦えるはずだよ!!」
「ええ……そういうもんなの?」
服部さんが、全教科赤点ギリギリの少し残念な子だった事を思い出した。それでいて、一度言い出したら聞かない子である事も。
「じゃあ他に何かいい案あるの?」
そう問われても、やっぱり何も思い浮かばない。
「ちくしょうキミコめ。自分がモテないからって、可愛い女子を憎むなんて陰キャクソ野郎じゃない!!」
服部さんは声高らかに叫ぶ。僕の机に奇異の視線が集中して、めちゃくちゃ恥ずかしい。
「そう! 陰キャには、陰キャをぶつけんだよ!!」
* * *
服部さんにドヤされた僕は、放課後に2年8組へと向かう。もちろん服部さんは着いてこない。今日は友達とカラオケに行く予定があるからだ。
2年8組のドアを開けた瞬間、その空気の異様さに気付き、足を止める。
窓際の一番後ろの席あたりに黒い影がうずくまっていて、そこを中心に広がる濁ったオーラが、教室全体を覆っているような気がした。
正気を保つために、僕は目を瞑って頬を両手でパシパシと叩く。再び目を開けると、そのどす黒いオーラも薄らいだような気がした。
その席には女子の制服を着た人が座っていた。いや、人かどうかも怪しい。長く伸びた黒い髪が顔の半分以上を覆っていて、異常なほどの前傾姿勢で貪るように文庫本を読んでいる。
僕はゆっくりと彼女に近づき、警戒されないように愛想笑いを浮かべた。
「あの、こんにちは、僕は1組の
とりあえず自己紹介。その女子は何も言わず、視線も文庫本から動かさない。
「あの、ここって
女子は何かを呟いた。
「え? 何?」
僕は聞き返す。
「……わるいかよ……」
「ごめん、よく聞こえない」
「……女が、蕪太郎って名前で……悪いかよ……」
その言葉で、僕は彼女が件の『影山蕪太郎』本人である事を知った。およそ女らしくないその名前について、一瞬だけ疑問がもたげるも、すぐに失礼な事を言ってしまったと反省する。
「ごめん、知らなくて。1組と8組って、あんまり接点ないから」
彼女は何も言わない。視線はまだ、文庫本のままだ。
「あの、いい名前、だと思うよ?」
「……うそついてんじゃねーよ、クソが……」
小声なのにめっちゃ口が悪い女子だ。
「……で、なんか用……?」
「ああ、えっと」
男を想定していたから、ざっくばらんにキミコさんの相談をして、早々に立ち去ろうと思っていた。どうせ対処出来るわけがないのだから、相談したという事実だけを服部さんに伝えられれば十分。
でも、相手が女子となると、やっぱり気まずい……。『お前、幽霊と同類っぽいんだよ』って遠回しに言っているようなものだから。まあ、実際に見た目は同類っぽいんだけど……。
ボサボサの髪、妙に猫背な体勢、小さな掠れ声。一昔前に流行った、テレビから出てくる悪霊のお姉さんにそっくりだ。
困ってしまった。面と向かって相談はしにくいけど、かと言って何もせずにこの場を立ち去るのも変な感じだ。
だから僕は『放課後に残ってるとキミコさんが現れるらしいよ?』『影山さんはキミコさん知ってる?』『実は僕、昨日キミコさんに遭遇しちゃってさ……』 と、雑談みたいに事のあらましを語ってみる。
話題に食いついてくればそれでいいし、無関心ならしれっと立ち去ればいい。
影山さんは横目で僕をチラリと見て、また何かを呟いた。
「え、なに? 聞こえないよ」
「……放課後の学校で……いちゃついてんじゃねーよ……」
「う、ごめん……」
なんで僕が影山さんに謝らなくちゃならないのかわからないけど、確かに放課後の学校でイチャつこうとしたのは褒められた事じゃない。
「……目の前でイチャつかれたら……そのキミコって悪霊がキレるのも、うなずける……」
「でもそれを言うなら、キミコさんだって、生前は校舎内でイチャついてたって噂だよ?」
僕は生前のキミコさんの噂を、知ってる範囲で影山さんに説明する。生前は多くの男子から好かれ、でも顔の傷が原因で転落してしまったという話だ。
話し終えて、影山さんの視線が僕に向けられている事に気付く。手入れされてない長くてボサボサの髪の毛の隙間から、真っ黒い目が僕の顔を見上げている。
失礼だけど、僕は背筋に悪寒が走った。
キミコさんと遭遇した昨日の放課後と、同じような感覚だった。
「……あたしはね……ひとつだけ、ゆるせねーものがあんだよ……」
「え、なに?」
こわいこわい……
「……それは、ファッションで陰キャ面してるクソ野郎さ……。『わたし〜、心が弱くて生きるのが大変なの〜。理解ある彼くんがいるから、なんとか生きていけてるけど〜』とか『好きな人に好かれないって辛いな……(ぴえん)。色んな人に好きって言われるけど、私が本当に好きな人にはいつも振り向いてもらえないの……』とか、そういうゲロカスみたいな世迷いごとをほざく、自虐風自慢クソ野郎が、あたしは心底憎いんだよ……」
うわぁ、と僕は思った。
陰湿だなとか、心が狭いなとか、みなまでは言えない嫌悪の感情を、全てをオブラートに包んだ結果、うわぁって思った。
「……そのキミコって女、そんなゲロ以下の臭いがプンプンすんだよ……。そんなのが校内をうろついてんのがうぜぇし、ぶち殺したい……」
悪霊に対して『その女』呼ばわりだ。
影山さんの背後から、黒いオーラが湧き上がるのを感じた。それはキミコさんに会った時に感じたものに似ているが、その総量はキミコさんのそれを遥かに凌駕している。
ひょっとして、ひょっとすると、食い殺せるのかもしれない。
影をさらに深い影が包み込むように。
路肩の黒ずんだ雪を、新雪が覆い隠すように。
「……明日の放課後、その女のところまで案内しろ……。自虐風自慢の、落とし前つけてもらう……」
陰キャには陰キャをぶつけんだよ!!
服部さんが言ったこの作戦は、あながち的外れではないのかもしれない。