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第16話 愛

 ◆


 ハイネの手が震えながら、床に落ちた手紙を拾い上げた。


 涙で滲む視界の中、セイシロウの筆跡を追う。


 手紙には、こう記されていた。



『殿下


 このような形でお別れすることをお許しください。


 私は殿下をお守りすると約束しました。


 その約束を、今も、これからも守り続けます。


 ただし、その守り方を変えねばなりません。


 殿下は立派な王となられました。


 グロウルを倒し、国を取り戻し、民の希望となられた。


 その殿下の傍に、忌み人である私がいることは、殿下にとって重荷でしかありません。


 王には世継ぎが必要です。


 私にはそれを助けることができません。


 むしろ、私の存在が殿下の邪魔になる。


 愛する者の邪魔になることほど、辛いことはありません。


 覚えておいででしょうか。


 最初にお会いした時、私は申し上げました。


「殿下の手となり足となり、行く手を塞ぐ障害の一切を斬り倒す」と。


 今、その障害は私自身です。


 だから、私は去ります。


 殿下には相応しい王妃を迎えていただきたい。


 あの夜のことは生涯の宝です。


 殿下が私を受け入れてくださったこと。


 私の名を呼んでくださったこと。


 あの時、私は世界で一番幸せな男でした。


 その記憶があれば、私は生きていけます。


 最後に、お願いがあります。


 もし殿下に危険が迫ることがあれば、陰ながらお守りすることをお許しください。


 姿は見せません。


 ただ、遠くから殿下の無事を見守らせてください。


 それが、私にできる最後の奉仕です。


 殿下、どうかお元気で。


 立派な王として、末永くこの国を治めてください。


 そして、時には幸せを感じてください。


 それが私の一番の願いです。


 永遠に殿下を愛する騎士


 セイシロウ』


 ◆


 手紙を読み終えたハイネは、その場に崩れ落ちた。


 王冠が床に転がり、冷たい音を立てる。


「馬鹿者……」


 声が震える。


 涙が止まらない。


「誰が……誰がそんなことを望んだ……」


 拳で床を叩く。


 痛みなど感じない。


 心の痛みの方が、遥かに大きいから。


「余は、ただお前と……」


 言葉が続かない。


 ただ共にいたかった。


 王である前に、一人の人間として。


 セイシロウを愛する者として。


 窓の外を見れば、月が静かに輝いていた。


 あの夜と同じように。


 二人が結ばれた、あの夜と。


「セイシロウ……」


 震え声でその名を呼ぶ。


 だが、もう答える者はいない。


 ハイネはゆっくりと立ち上がった。


 そして、落ちた王冠を拾い上げる。


 その重さが、今までとは違って感じられた。


 愛する者を失った重さ。


 それでも王として生きねばならぬ重さ。


「お前がそう望むなら……」


 ハイネは王冠を頭に戴いた。


「余も、王としての務めを果たそう」


 だが、心の中で誓った。


 形だけの結婚はしても、心は永遠にセイシロウのものだと。


 ◆


 それから年月が流れた。


 ハイネは賢王として国を治めた。


 隣国から王妃を迎え、世継ぎも生まれた。


 だが王妃への愛はなかった。


 敬意はあった。


 優しさもあった。


 しかし、愛だけはなかった。


 月の美しい夜。


 ハイネは必ず一人になった。


 そして、あの手紙を取り出しては読み返すのだった。


 時折、不可解な事件が起きた。


 王を狙った刺客が、いつの間にか倒されているのだ。


 誰の仕業かは分からない。


 ただその剣筋を見ればハイネには分かる。


 約束通り、セイシロウが陰から守ってくれているのだと。


 しかしハイネは決してその影を追おうとはしなかった。


 それがセイシロウの選んだ道ならば、尊重するしかない。


 ただ、心の中で呟くのだった。


「ありがとう」


 と。


 そして。


「愛している」


 と。


 その言葉が届いているかは分からない。


 だが、ハイネは信じていた。


 どこかでセイシロウも同じ月を見上げていることを。


 それが二人の愛の形だった。


 引き裂かれても、なお続く愛の形だった。


(了)

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