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第15話 重み

 ◆


 王都キルシュカの玉座の間に、朝の光が差し込んでいた。


 かつてグロウルが血で汚したこの場所も、今は清められ、新たな主を迎えている。


 ハイネ・トゥリエ・キルシュカ──いや、今やキルシュカ王ハイネ一世として、玉座に座る青年の姿があった。


 戴冠式から一週間。


 まだ王冠の重みに慣れない。


 グロウルは死んだ。


 セイシロウが約束通り、その首を取った。


 城門を開くだけでなく、単身で王城深くまで侵入し、佞臣の命を断ったのだ。


 その功績により、セイシロウには王国騎士団長の地位が与えられた。


 しかし──


「陛下」


 老臣ヴァルナーが進み出る。


 白髪の老人は、王家に仕えて五十年になる忠臣だ。


「そろそろ、王妃選びについてお考えいただかねばなりません」


 ハイネの表情が微かに曇る。


「まだ即位したばかりだ。そう急ぐこともあるまい」


「いえ、陛下」


 ヴァルナーは頑なに首を振った。


「王位継承者の確保は、王国の安定に不可欠です。特に今は、まだ国内に不穏分子も残っております」


 確かに一理ある。


 グロウルの残党はまだ完全には掃討されていない。


 王権の正統性を示すためにも、世継ぎの存在は重要だ。


 しかし──


 ハイネの脳裏に、セイシロウの姿が浮かぶ。


 あの夜、結ばれた時の感触がまだ身体に残っている。


「ヴァルナー卿」


 ハイネは慎重に言葉を選んだ。


「もし、余が……その、通常とは異なる相手を選んだとしたら?」


 老臣の眉がぴくりと動く。


「陛下、それはまさか……」


「仮定の話だ」


 ハイネは慌てて付け加える。


 だが、ヴァルナーの表情は既に硬くなっていた。


「陛下、忌み人との関係は、民衆の支持を失う恐れがあります」


 忌み人──その言葉にハイネの拳が震える。


「セイシロウ卿は王国に多大な貢献をした英雄だ」


「それとこれとは別問題です」


 ヴァルナーの声は冷たい。


「騎士団長としての功績と、陛下の伴侶としての適格性は異なります」


 ハイネは唇を噛んだ。


 理屈では分かっている。


 だが、心が納得しない。


「では、どうしろと言うのだ」


「形式上の王妃を迎えられてはいかがでしょうか」


 ヴァルナーが提案する。


「世継ぎさえ確保できれば、その後は……陛下のご自由になさればよろしいかと」


 つまり、表向きは王妃を娶り、裏でセイシロウとの関係を続けろということか。


 ハイネの胸に怒りが込み上げる。


「それは欺瞞ではないか」


「政治とは時に欺瞞も必要です」


 老臣は動じない。


「陛下の個人的な幸福と、王国の安定。どちらを優先すべきかは、陛下ご自身がお決めください」


 ◆


 謁見を終え、ハイネは私室へと戻った。


 頭が重い。


 王冠の重さではなく、決断の重さだ。


 ──セイシロウに相談しよう


 そう思い立ち、騎士団長の執務室へ向かう。


 しかし、そこにセイシロウの姿はなかった。


「団長なら、朝早くに出られました」


 副官が答える。


「どこへ?」


「さあ……訓練場にもおられませんし」


 不審に思いながら、ハイネはセイシロウの私室も訪ねた。


 だが、そこも無人だった。


 嫌な予感が胸をよぎる。


 ──まさか


 ハイネは城中を探し回った。


 庭園、礼拝堂、図書室──どこにもセイシロウの姿はない。


 夕刻になっても、セイシロウは戻らなかった。


 ◆


 夜、ハイネが自室で一人悩んでいると、扉を叩く音がした。


「入れ」


 現れたのは侍従だった。


「陛下、これが」


 差し出されたのは、一通の書簡。


 見覚えのある筆跡に、ハイネの心臓が跳ねた。


 セイシロウからだ。


 震える手で封を切る。


 そして、中の文面を読み始めた。


 最初の数行を読んだだけで、ハイネの顔から血の気が引いていく。


 手紙は短いものだった。


 だが、その内容は──


「嘘だ……」


 ハイネの手から手紙が滑り落ちる。


 膝から力が抜け、その場に崩れ落ちた。


「なぜ……なぜだ、セイシロウ……」


 俯いたまま、ハイネの頬を涙が伝う。


 それは悲しみの涙か、怒りの涙か。


 あるいは、その両方か。


 王冠が床に転がり、金属質な音を立てた。


 その音が妙に空虚に響く。


 窓の外では、月が雲に隠れようとしていた。


 まるで、ハイネの未来を暗示するかのように。

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