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王都キルシュカの玉座の間に、朝の光が差し込んでいた。
かつてグロウルが血で汚したこの場所も、今は清められ、新たな主を迎えている。
ハイネ・トゥリエ・キルシュカ──いや、今やキルシュカ王ハイネ一世として、玉座に座る青年の姿があった。
戴冠式から一週間。
まだ王冠の重みに慣れない。
グロウルは死んだ。
セイシロウが約束通り、その首を取った。
城門を開くだけでなく、単身で王城深くまで侵入し、佞臣の命を断ったのだ。
その功績により、セイシロウには王国騎士団長の地位が与えられた。
しかし──
「陛下」
老臣ヴァルナーが進み出る。
白髪の老人は、王家に仕えて五十年になる忠臣だ。
「そろそろ、王妃選びについてお考えいただかねばなりません」
ハイネの表情が微かに曇る。
「まだ即位したばかりだ。そう急ぐこともあるまい」
「いえ、陛下」
ヴァルナーは頑なに首を振った。
「王位継承者の確保は、王国の安定に不可欠です。特に今は、まだ国内に不穏分子も残っております」
確かに一理ある。
グロウルの残党はまだ完全には掃討されていない。
王権の正統性を示すためにも、世継ぎの存在は重要だ。
しかし──
ハイネの脳裏に、セイシロウの姿が浮かぶ。
あの夜、結ばれた時の感触がまだ身体に残っている。
「ヴァルナー卿」
ハイネは慎重に言葉を選んだ。
「もし、余が……その、通常とは異なる相手を選んだとしたら?」
老臣の眉がぴくりと動く。
「陛下、それはまさか……」
「仮定の話だ」
ハイネは慌てて付け加える。
だが、ヴァルナーの表情は既に硬くなっていた。
「陛下、忌み人との関係は、民衆の支持を失う恐れがあります」
忌み人──その言葉にハイネの拳が震える。
「セイシロウ卿は王国に多大な貢献をした英雄だ」
「それとこれとは別問題です」
ヴァルナーの声は冷たい。
「騎士団長としての功績と、陛下の伴侶としての適格性は異なります」
ハイネは唇を噛んだ。
理屈では分かっている。
だが、心が納得しない。
「では、どうしろと言うのだ」
「形式上の王妃を迎えられてはいかがでしょうか」
ヴァルナーが提案する。
「世継ぎさえ確保できれば、その後は……陛下のご自由になさればよろしいかと」
つまり、表向きは王妃を娶り、裏でセイシロウとの関係を続けろということか。
ハイネの胸に怒りが込み上げる。
「それは欺瞞ではないか」
「政治とは時に欺瞞も必要です」
老臣は動じない。
「陛下の個人的な幸福と、王国の安定。どちらを優先すべきかは、陛下ご自身がお決めください」
◆
謁見を終え、ハイネは私室へと戻った。
頭が重い。
王冠の重さではなく、決断の重さだ。
──セイシロウに相談しよう
そう思い立ち、騎士団長の執務室へ向かう。
しかし、そこにセイシロウの姿はなかった。
「団長なら、朝早くに出られました」
副官が答える。
「どこへ?」
「さあ……訓練場にもおられませんし」
不審に思いながら、ハイネはセイシロウの私室も訪ねた。
だが、そこも無人だった。
嫌な予感が胸をよぎる。
──まさか
ハイネは城中を探し回った。
庭園、礼拝堂、図書室──どこにもセイシロウの姿はない。
夕刻になっても、セイシロウは戻らなかった。
◆
夜、ハイネが自室で一人悩んでいると、扉を叩く音がした。
「入れ」
現れたのは侍従だった。
「陛下、これが」
差し出されたのは、一通の書簡。
見覚えのある筆跡に、ハイネの心臓が跳ねた。
セイシロウからだ。
震える手で封を切る。
そして、中の文面を読み始めた。
最初の数行を読んだだけで、ハイネの顔から血の気が引いていく。
手紙は短いものだった。
だが、その内容は──
「嘘だ……」
ハイネの手から手紙が滑り落ちる。
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「なぜ……なぜだ、セイシロウ……」
俯いたまま、ハイネの頬を涙が伝う。
それは悲しみの涙か、怒りの涙か。
あるいは、その両方か。
王冠が床に転がり、金属質な音を立てた。
その音が妙に空虚に響く。
窓の外では、月が雲に隠れようとしていた。
まるで、ハイネの未来を暗示するかのように。