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第14話 グロウル


王都の城壁に立ち、眼下に広がる帝国軍の陣営を見下ろしながら、グロウルは深い溜息をついた。


──まさか、あの軟弱な第三王子がサルビナ帝国を動かすとは。


想定外だった。


ハイネ・トゥリエ・キルシュカ──ただ美しいだけの飾り物。


そう見做していた自分の不明を、グロウルは今更ながらに恥じた。



グロウルは元々、王国騎士団の団長だった。


三十年以上、王国のために血を流し、その地位まで上り詰めた。


だが、その間に見えたのは国の腐敗と緩やかな衰退だった。


貴族たちは私腹を肥やし、民の苦しみには目もくれない。


晩年の先王は既に判断力を失い、取り巻きに良いように操られていた。


北方で大規模な飢饉が起きても、貴族たちは「たかが飢饉」と備蓄米の開放を拒んだ。


その時、グロウルの中で何かが壊れた。


──このままでは、王国は内側から腐り落ちる。


その確信が、グロウルを反乱へと駆り立てた。



クーデターの準備には三年をかけた。


腐敗した貴族制度を一掃し、民のための政治を実現すること。


その理想に賛同する者を集め、グロウルは決起した。


反乱そのものは、驚くほど簡単に成功した。


王都は一夜にしてグロウルの手に落ちた。


だが──


──ここからが、本当の地獄の始まりだった。



権力を掌握した直後から、問題は山積していた。


財政は完全に破綻し、国庫は空だった。


軍を維持するため、グロウルは約束した減税どころか、懲罰的な重税を課さざるを得なかった。


「話が違うではないか!」


民衆の不満が高まり、グロウルは自分が最も憎んでいたはずの圧政を行うことになった。


各地で反乱が頻発し、それを鎮圧するために軍を派遣する。


軍を維持するために重税を課し、それがまた新たな反乱を生む。


悪循環だった。


──俺は、何という愚か者だったのか。



そんな中で、ハイネ王子がサルビナ帝国の庇護を受けているという報せが届いた。


ハイネは帝国軍で武勲を立て、その護衛騎士セイシロウは一人で二十人の蛮族を斬り伏せたという。


かつての軟弱な王子は、今や軍を率いる指揮官として成長している。


──人は、これほどまでに変われるものなのか。



今、帝国軍三万が王都を包囲している。


グロウルの手勢は、せいぜい五千。


籠城戦に持ち込んだところで、勝ち目はない。


降伏すれば命は助かるかもしれないが、それだけはできない。


最後まで貫き通す。


それが、自分なりの矜持だった。


「将軍、敵の使者が参りました」


部下の報告に、グロウルは振り返る。


「通せ」



現れた帝国軍の将校が、ハイネ王子からの書状を差し出した。


『グロウル将軍へ。貴公の功績は認める。だが、今の道は王国を滅びへと導くのみ。武器を捨てよ。命は保証する。ハイネ』


短い文面だが、そこには王者の風格があった。


──成長したな、あの小僧も。


返答は決まっていた。


「帝国軍に宿営する偽王ハイネへ。我が志に悔いはない。明日の朝、城門を開く。正々堂々、雌雄を決しようではないか。グロウル」


使者に書状を渡し、グロウルは踵を返した。



その夜、グロウルは一人、執務室で過去を振り返っていた。


──結局、俺も権力に溺れた愚か者の一人だったか。


いや、違う。


ただ、統治するということの難しさを理解していなかっただけだ。


深夜、グロウルは城内が妙に静かなことに気付いた。


窓から外を見ると、城門の一つから松明の列が流れ出ていく。


脱走兵たちだった。


「……そうか」


責めはしない。


彼らには彼らの人生がある。


気が付けば、城内に残っているのは百人にも満たなかった。


その時、親衛隊長が部屋に駆け込んできた。


「将軍、東門に不審な……」


言いかけて、親衛隊長の表情が凍りついた。


胸から剣の切っ先が突き出している。


崩れ落ちる親衛隊長の背後に、黒装束の男が立っていた。


無表情な瞳。


「セイシロウか」


グロウルは静かに腰の剣を抜いた。


「だが、そう簡単にはやられんぞ」



二人の剣が激突した。


グロウルの剣は重く、セイシロウの剣は水のように流れる。


──強い。


この男は、自分がこれまで戦ってきたどの剣士とも違う。


「ハイネ王子のためか」


剣を交えながら、グロウルは問うた。


「いかにも」


セイシロウが初めて口を開いた。


「あの方を苦しめた報い、受けていただく」


次の瞬間、セイシロウの剣速が跳ね上がった。


グロウルは必死に防御するが、少しずつ押されていく。


刃が肩を掠め、鮮血が散った。


「ぐっ……」


だが、グロウルは退かない。


これが、自分の選んだ道の終着点なのだから。


渾身の力を込めて、グロウルは斬りかかる。


だが、セイシロウの姿が霞のように消えた。


気付いた時には、既に遅かった。


背後から突き出された剣が、グロウルの胸を貫いていた。


「が……は……」


血が口から溢れ出る。


「見事……だ……」


セイシロウは剣を引き抜き、静かに血を払った。


「貴方もまた、一人の武人だった」


その言葉に、グロウルは微かに笑った。


「だが……俺は……間違って……いたのか……」


最期の問い。


セイシロウは少し考えてから、答えた。


「志は間違っていなかった。ただ、方法が間違っていただけだ」


その答えに、グロウルは満足そうに目を閉じた。


──そうか……志は……。



グロウルが倒れ伏した時、既に東の空は白み始めていた。


間もなく、城門が内側から開かれ、帝国軍が雪崩れ込んできた。


こうして、グロウルの反乱は終わりを告げた。



後日、ハイネはグロウルの亡骸の前に立った。


セイシロウが、執務室で見つけたという書き付けを差し出す。


『民のためと信じて立った。だが、力なき理想は、ただの暴力と変わらぬ。次の王には、真の力と慈悲を持ってこの国を導いてもらいたい』


ハイネは静かに紙片を畳み、懐にしまった。


「厚く葬れ。彼もまた、この国を愛した一人だったのだから」

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